「あいお八十八ケ所」と焼き印が入った、まあるいお饅頭。しっとり柔らかいカステラの中には、甘さを控えた白あんが入っている。

山口県山口市秋穂二島。車エビの養殖など水産業と農業が盛んな海沿いのこの地で、100年以上愛され続けてきた「秋穂饅頭」。生産者の高齢化で一時途絶えかけた味を、20代の女性が新たに受け継いだ。

中学生のころから「将来は和菓子の道へ」

「小さな頃からずっと暮らしの中にあった、素朴な味。やっぱりなくなるとさみしいので」。小麦粉を計量しながらそう話す渡壁沙織さんは、東京からUターンした和菓子職人。毎日未明から工房に入り、伝統の味を作り続けている。

「おひな様のときの桜餅、端午の節句の柏餅。季節と行事ごとに必ずある和菓子が小さな頃から好きでした」。そう話す渡壁さんは、中学時代から「将来は和菓子職人」と決めていた。高校卒業後、東京の製菓専門学校へ。その後、渋谷の百貨店に入っていた和菓子店に就職する。だが、その店が2年半で閉店。東京で働き続けることも考えたが、両親や祖父母から「寂しいから帰ってきて」との声を受けて2016年10月にUターンした。

だが、翌年の春になっても就職先は見つからなかった。そんなとき、地元商工会から秋穂饅頭の話を聞いた。「ずっと作ってきた田村秋月堂さんが高齢のために近々辞められるので、その製造を継承してみないか」と。

「びっくりしました。小さな頃から当り前にあったお饅頭だから、なくなるなんて考えたことなかったんです。でも、このタイミングで話を聞いたことに何か縁のようなものを感じて、やってみようと」

当初は、饅頭を1人で作っていた女性から習いながら、1年後の春に継承する計画だった。ところがその半年前の17年秋、習う前に女性が急に体調を崩して入院。100年以上続いた味が止まってしまった。

「地域の人たちから『早く作ってほしい』という声も聞いて、とにかく私が復活させないと、と焦りました」

レシピなし。試作と試食を繰り返す日々

まず実家が営む水産会社の敷地内に急遽、小さな製菓工房を建て、そこに女性から受け継いだあん練り機、饅頭の型をとるリング、焼き印などを運び込んだ。レシピだけでも見せてもらおうと思ったが、そこは職人の世界。何十年も積み上げた経験と感覚だけで愛される味を作ってきた女性が、レシピを持っているはずもなかった。

受け継いだ焼き印。「あいお八十八ケ所」のほか、ハスの花や「寿」などもある

そこからはひたすら試作の日々。知り合いのお年寄りたちに試食してもらうたびに「なんか違うのう」「外皮が固いような気がするのう」などと指摘を受けながら、試行錯誤を繰り返した。ようやく「こんな味じゃったね」「このふんわりした食感が、ええんよねえ」と言われるまでになり、18年1月、地元の「道の駅あいお」などに卸し始めた。

夏場は1日に400個前後、冬場は1000個近く作るときも。「大変だけど、『懐かしい味ね』といった感想を聞くと、本当に嬉しいですね」とはにかむ。

秋穂饅頭が再び「日常のお菓子」となったころ、地域の人たちから新しい声が届き始めた。

「むか~し、田村さんところが作っていた玉羊羹(たまようかん)、もう一回食べられんじゃろうか」
「あの玉羊羹も、ついでに復活させてくれんかいのう……」

 

<百年の伝統を持つ饅頭の次は、昭和40年に姿を消した幻の羊羹。地域の声に応え、地域に愛される和菓子を守る。全文はこちら>