「地元からは、また遊んでるって勘違いされるけどやっぱり楽しいんです。」

北海道の中央部に位置する美瑛(びえい)町。20年以上のんびりとした空気の流れる美瑛町で町職員をしていた観音(かんのん)さんは、2011年に突如東京への長期出張の命を受け上京。東京と美瑛を行き来する2拠点生活が始まった。

ノルマもない。住むところも決まっていない。事務所もない。ただ「美瑛のためになることなら何をやってもよい」というミッションだけを負って東京に来た観音さんは、持ち前の交渉術とコミュニケーション力で前例のない仕事を切り拓いた。そのモチベーションの源泉に迫る。

観音 太郎

1989年札幌大学経営学部卒業。卒業後、風景が好きで居心地がいい場所であった美瑛で働きたいと思い、美瑛町役場に入庁。
2011年に、長期出張の命を受け東京を拠点に情報収集・人脈形成に精を出す。2013年に、北海道の町村としては3つ目となる東京事務所を設立し、初代所長になる。以降美瑛町が首都圏に求めるあらゆる業務を担当する。

直感で、シェアオフィスに事務所を構えてみた

本当に身一つで来たので、当初はマンスリーマンションで仮住まいでした。すぐに住むところ探しです。北海道って150年しか歴史がない土地だから、東京に来たからには歴史ある下町っぽい風情のあるところに住みたかったのです。それで、いろいろ探して根津(東京都文京区)に住むことに。北海道は広大な開拓地だから、車の入れない路地って絶対にない。東京の下町の少しごちゃごちゃした感じそのものがひとつの財産だと思いました。

美瑛町は、東京に事務所を持つ北海道の他都市の中では事務所開設において最後発組です。先輩たちの綺麗でしっかりしたオフィスもいいなと思った。しかし、最終的にはシェアオフィスに事務所を構えた。予算的な事もありましたが出版社、広告、IT、台湾のベンチャー…いろんな人たちが出入りする環境のほうが、何か生まれるのではないかと。とても単純な直感ですが。

1年の2/3を東京で、1/3を美瑛で過ごす二拠点生活

シェアオフィスで知り合った人の紹介でヤフーの方に会ったり、そごう・西武さんに会ったり、これまで本当にいい出会いに恵まれました。もちろん、最初のうちはたくさん失敗もあった。ものすごく怪しい内容のセミナーに参加してしまったり、名刺交換が目的の会合に参加して訳の分からないことになってしまったり(笑)。それでも、面白い話を見つけてきては東京と美瑛を往復して来ました。

でも実際は、前例がない仕事だし、私があまりにも楽しそうに仕事しているから町の人からは何かと小言を言われる。きっと嫉妬しているんですね(笑)。役所も会社も、仕事内容をブラックボックスにしていると勘違いされます。だから、内部のコミュニケーションはしっかりしたものである必要がある。やはり距離が遠いと成果が見えづらいので、それを伝える努力を怠ってはいけない。伝えることで、美瑛町の仲間から新しいアイデアをもらえるし、支援もある。「情報をオープンにする」、これが地方と東京でハイブリッドな生活をしたいと思っている人にとって大切だと思います。

観音様正面