松山に一人の風雲児が現れた。松波雄大。大学進学を機に上京し、東京のプロデュース会社に就職も、生まれ故郷松山に戻り、新しい事業を立ち上げる。MATSUYAMAまちサーベイ、道後オンセナート、彼の携わってきた事業はどれも一風変わった色が見られる。彼が松山を盛り上げるためにしたこととは。大切にしてきた核となる思いは何なのか。そしてこれから描く未来とは。今回は松山のシェアオフィス、THE 3rd FLOORで松波さんの想いをお聞きした。

記事のポイント

  • 東京にはない松山の魅力
  • 人とのつながりでできることが増幅
  • 点としての盛況、面としての盛況

概要/プロフィール

株式会社サードフロア
クリエイティブにまつわるコンサルティング、制作ツールの作成、広報事業、官民合同文化プロジェクト『道後オンセナート、道後アート』ブランディング業務。

松波雄大さん
愛媛県出身。大学進学を機に上京する。飲食を中心としたプロデュースを行うトランジットジェネラルオフィスに就職。アルバイトを含め、約7年間働いた後、生まれ故郷で新しい事業を立ち上げ、2012年、株式会社サードフロアを起業。

松山で働くなら優位性がある

「最初の頃は、この街って魅力無いって思ってたんです。」
現在松山で地元を盛り上げる働き方をしている松波さんから飛び出したのは意外な言葉だった。

「もともと東京で飲食中心のプロデュース会社で働いていたんですけど、姉か僕が松山に戻らなきゃいけないとなった時に、姉は松山に戻らないと言う話を先に言われたんです。それでまあ困ったなと(笑)。地元は好きだけど、やりたい仕事はないから。」

「ただ、東京で戦うなら、何かに特化してそのジャンルに飛び込んで1番とるくらい頑張らないと、現状からの進歩がないなと思っていました。その一方で、やりたいことの具体的なイメージがなかった。そのタイミングで実家のカフェが大変だと言うので、手伝うという形で『仮で』帰ってきたのが最初です。」

しかし、松山に帰ってきて活動をしてみるうちに、様々なことに気がつく。

「実家のカフェを手伝いながらも、やっぱり東京に戻りたいと思い、東京でしたい企画を考えるうちに、東京だったら難しいことが松山でならできるなということがいくつか出てきたんです。」

東京での企画であれば、資金、場所、機会といった面のハードルが高い。なんらかの特異性、優位性があって目立たないと実現できないことも多いと言う。しかし、松山であれば、そのハードルが下がるのではないかと松波さんは考えた。地価は東京に比べて圧倒的に低い。資金や場所といったコストは抑えることができる。

「それに、自分は東京から帰ってきたと言うことで、この町ではそれが優位になると。じゃあこの街で何かしてみよう、というふうに思考が変わっていきました。」

つながりの大切さ

松山で活動を広げていくうちに、なぜ、なに、どうやって?と言う疑問が松波さんの中で増えていく。

「例えば、街の中で自転車が路上駐輪禁止になったんです。街の中で新しいルールができているんだけど、誰もなぜいきなりそうなったのか知らない、わからない。調べて見たら、駐輪場が新しくできたことが原因で、半径何メートルは駐輪禁止と言う新しいルールできたそうなんです。そういうことをもっとみんなに共有しようと思って、自分たちからできることがないかと考え始めました。」

街をより良くするために、と考える中で松波さんの進む方向が定まってくる。2012年には『MATSUYAMAまちサーベイ』というイベントを企画。目的は街の課題に関して実際に調査をして共有することだった。

「もう一つの目的は、二代目経営者や街で働く人たちに来てもらってこんな街になったらいいなって言う話を公開でしてもらうことでした。最後にみんなでライブを見たりしながらその話をしたり楽しんだりという3つを盛り込んだ企画でした。」

道後温泉本館

そういった企画を繰り返すうちに人とのつながりが増える。

「行政の人との接点もできました。いろいろと規制やルールがある中でわからないことも多く、どうやったら良いですか、教えてくださいとコミュニケーションをとるうちに、若い人の中で変わった人がいるねっていう話になっていたみたいです。」

その中で松波さん自身、人とのつながりの貴重さを感じる。

「自分たちの困ったことをその場で解決したり、トラブルにすぐ対応できるようなメンバーが集える場所が欲しいなと思っていました。それから、人とのコネクションを増幅させられるところがあればいいなと。」

コネクション。人とのつながり。それらは松波さんが東京で働くうちから大切にしてきたものだった。

「東京での勤め先で身につけた一番のものはコネクションとその作り方です。例えば、一つの事業を作るにしても、設計はこの人、音楽のセレクトはこの人って、それぞれのエキスパートに監修してもらっていました。そうすることによって、いろんな畑からの注目が集められる。入り口を増やすことができるんです。そうすると、いろんな人を取り込むことができますよね。」

東京で得た人とのつながりとその広げ方。それを松山でも生かすことができないか。そこで考えたのがつながりを増幅できる場所だった。

「街には人も物もことも様々ある。僕たちが何もしなくても生まれるものもあれば、もともとあったものもある。けれど、それを、新しく知ってもらったり伝えたり、生み出したりしていかないといけないんです。僕たちみんながプレーヤーなんですけど、個々が街を変えていくのは難しい。だから、その媒介者になれればと思いました。僕はある意味、つなぎ役でありそれを増幅させる役目です。」

その思いを込めて、サードフロアと社名をつけ、シェアオフィス事業を事業内容に含んだ法人を設立する。

「サードフロアと言う名前の由来は、3階にある会社と言うのもあるんですけど(笑)、サードプレイスと言う考え方に基づいています。この場所が、職場でも自宅でもない第3の大事なものになるようにという思いが込められています。」