「自分が本当に面白いと思うことにこそ情熱をそそぎたい」と、大人で、デキるビジネスマン的容姿にはミスマッチなほど、目を輝かせて語る松山知樹さん。松山さんは、宿泊施設のプロデュースや再生プロジェクトなどを通して、地域を活性化することを目的として活動する「株式会社 温故知新」の代表を務める。
同社設立以前には、コンサルティング会社を経て、「星野リゾート」に入り取締役まで務めてきた。その言葉からは、リゾート開発ビジネスに対する情熱と共に、松山さん個人としてのホテルや旅館業への愛が感じられる。コンサルティングの枠を越え、2015年から自社でホテル運営をスタートした経緯や、地域でリゾートをつくるモチベーションや思いについて聞いた。

株式会社温故知新

2011年設立のホテル旅館の運営受託・プロデュース・コンサルティング会社。
その宿があるからそこに行きたいという「目的地になる宿作り」を通して、地域活性化を目指す。今までに17都道府県におけるプロジェクトを手がける。
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星野リゾート入社の動機は実業志向

ー松山さんは現在の「株式会社 温故知新」を設立される前、コンサルティング会社を経て、星野リゾートに入社されています。宿泊施設やリゾート開発関連のお仕事を志すきっかけを教えてください。

大学を出た後に、コンサルティング会社に新卒で入りました。初めからリゾート開発に興味があるわけではありませんでした。ただそれに近い要素として、大学で都市計画を学んでしました。私は大阪出身で、その頃から少なからず東京に対する対抗意識のようなものがありました。18歳までは大阪で、それ以降は東京に移ってきましたが、その対抗意識は今も私の中にあり、それが地域において存在感のある宿の開発やプロデュースをしたいというモチベーションの一つになっているかもしれません。

今もどこかに「東京は仮住まい」という気持ちはあります。東京を拠点にしているのは、多くの人がそうであるように、ビジネス面での利便性が第一です。日本全国で仕事をしようとした時に、交通網が発達している東京が中心になるのは仕方がない。「地域の仕事をしようとしたら東京に住まなければ」という事実は一種のパラドックスですね。

最初に入ったコンサルティング会社では、大企業向けのプロジェクトを手掛けていましたが、やがて大手に向けて仕事をやるよりも、ベンチャー系の企業の方に意識が向き、2000年頃にベンチャー支援コンサルティング会社に移りました。この転職は、当時から「実業志向」が強かったことが影響しているかもしれません。「こんな企画はどうですか」と提案するだけの立場より、自分でやる、実行する事に意義を感じるようになっていったのです。ベンチャー企業との仕事のほうがより、その実業に近いイメージがありました。

そして、更に実業に対する興味、関心が強くなっていったことと、知人が星野リゾートにいた縁もあり、2005年に星野リゾートに入社することになりました。つまりリゾートに興味があったというよりも、実業に携わりたいという関心が今につながるきっかけと言えるかもしれません。

リゾートづくり、宿づくりの奥深さ・楽しさ

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ー星野リゾートでは、どのような事を経験され、またその中でなぜ独立を決意されたのですか。

星野リゾートに入社し、旅館の再生事業などに携わりました。また、客室清掃の生産性向上のための提案などを行い、効率化を進めるなどオペレーションの面でのノウハウを蓄積していきました。当時の星野リゾートはまだ知る人ぞ知るという存在でしたが、独自の開発手法やシステマチックな運営方法に「なるほど」と驚かされ、納得する場面も多くありました。しかし、同時に「私自身がやるならばもっとこうしてみたい」と感じる点もあり、独立を意識し始めます。

ー星野リゾートのリゾートづくりで、関心した点と、松山さんがもっとこうしたい、と感じられた点を具体的に教えてください。