日本において、長い歴史を持つ酒造りの世界に新風を吹かすことは容易ではない。蔵人から杜氏になるにはかなりの下積み期間が必要であるし、現状、新規で日本酒の製造免許は下りないため酒蔵を新設することもできない。しかし2016年、そんな日本酒業界になんとベンチャー企業が参入。しかも、設立から2年足らずで世界からも注目を集める存在となっている。

その名も「WAKAZE」。日本酒ファンの裾野を若い世代や海外にまで広げて、世界に「和の風」を送ることをミッションに掲げ、これまで日本酒に縁がなかった人をもトリコにする型破りなお酒を開発し続けている。代表を務める稲川琢磨氏はなぜ次々と斬新な商品を思いつくのか。事業を始めたきっかけから今後の展開についてまで、本人に話を伺った。

記事のポイント

  • 仕事と並行して始めた酒造り
  • フランス発の”SAKE”を東京オリンピックで世界へ発信することを目指す
  • 業界を、地域を変えるのがベンチャーの役割

株式会社WAKAZE

山形県鶴岡市に本拠をおく、新しいコンセプトの日本酒の開発・自社ブランド商品の販売(OEM販売)を行う日本酒ベンチャー。フランスでの酒造りプロジェクト、ヨーロッパを中心として海外の販路開拓など、海外展開を積極的に進める。現在、ボタニカルSAKE「FONIA(フォニア)」のクラウドファンディングを実施中。
>コーポレートサイト
>「FONIA」クラウドファンディングページ

寿司屋で出合った美酒が、酒造りの道を志すきっかけに

―WAKAZE創業前はどういったキャリアを歩まれてきたのですか?

慶應理工学研究科で修士課程を終了後、ボストンコンサルティング・グループ(以下、BCG)で経営戦略コンサルタントとして働いていました。BCGに入社した理由は、特にやりたいことがなかったから。学生時代のインターンで、事業部長として新規事業立ち上げに携わらせてもらった経験から、事業を作ることに強い興味を覚えていたのですが、その時点ではまだやりたいものが見付かっていなかった。だから、製造業から小売からメディカルまで、いろんな業種を見ることができるコンサルティングファームはうってつけでした。

―なぜ日本酒を造ろうと思ったのですか?

BCGで働き始めて1年ほど経った頃、寿司屋で飲んだ日本酒に衝撃を受けたことがきっかけでした。企業に入ると小遣いがよくなるじゃないですか。それで、学生のとき行けなかったような寿司屋に行くようになるんですけど、そこで飲んだ「真澄」のあらばしりがめちゃくちゃうまかったんです。

僕は学生時代サッカー部に入っていたんですけど、当時はいわゆる安酒しか飲んだことがなかったので、「日本酒=多摩川の河川敷でグロッキーになる元凶の酒だ」という思い込みがあったんですけど、この酒は全然違った。「これが本当の日本酒か!」と雷に打たれたような状態になり、こんなおいしい酒はなんとしても世界に広めたい!海外に酒蔵を造りたい!という思いでいっぱいになったんです。でもいきなりそれを実現することは難しいんで、まずはBCGで働きながら週末に作業して国内でクラウドファンディングを始めることにしました。

といっても僕一人で始めたわけではなく仲間がいました。しかも、そのうちのひとりで、東大農学部を出たあとOisixで働いていた今井は実家が蔵元だった。それで、とりあえずその蔵でなにかやろうよ、飲み比べセットつくりたいねということになり、早速クラウドファンディングをスタートしました。

企画を思いついたのは2014年12月。年が明けた1月には企画書を仕上げ、酒造りまっただ中の蔵に持参して、杜氏さんたちが見ている中プレゼンしました。めちゃくちゃ緊張したことを覚えています。だってまず、その当時は酵母と糀(こうじ)の違いさえわからなかったんですから。酒蔵の息子の今井のほうがよっぽど酒のことをわかっているはずなのに、なぜか僕がチームメンバーをまとめる役割。素人に毛が生えた程度の知識だったけれど熱意だけは伝わったのか、蔵のみなさんは酒造りを引き受けてくれることになりました。

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飲み比べセットをつくる上でまず考えたのは、外国人向けに「わかりやすい」日本酒にすること。縦軸に「甘い / 辛い」、横軸に「香りが爽やか / 華やか」を設けて4象限にわけた「甘×爽」「甘×華」「辛×爽」「辛×華」に、スパークリングタイプの「甘×泡」を足した5種類のセットを考案しました。そこの蔵が販売して僕らはマーケティングのお手伝いをするといった感じだったんですけど、クラウドファンディングでは120万円以上集まってプロジェクトが成功して、より日本酒が好きになりました。

さらに、「この事業いけるかも!」と勘違いしているところで、経産省のプロジェクトにまで採択されて、マーケティングのために海外にまで行けることに。週末と有給休暇を活用してパリで販路開拓まで達成しました。そして2016年1月、遂にWAKAZEを創立するに至るのですが、そこに至るまでの1年間は、 “週末の趣味”ということで準備を進めていたというわけです。

もちろん、そうこうしているうちに知識にもだいぶ磨きがかかりました。専門書もたくさん読みましたし、酒造りには3回入らせてもらいましたから。とはいえ、私が1から10まで自分で酒を造ることはできません。ただ今ではその役割を今井が担ってくれています。彼は気付いたらOisixを辞めていて、秋田の新政酒蔵で修行をすることに決めていた。東大大学院まで行っているのにあっさりと退職して、3年後にふたりでフランスに蔵を立ち上げるための準備として、酒造り道を究めることを選んだんです。新政での2年間の修行を経て、その後は満寿泉で知られる枡田酒造で酒の麹造りから担当していました。

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