沖縄本島中部のうるま市に構えた“まちづくり会社”で、代表理事である中村薫さんとタッグを組み、会社を牽引している宮城淳一さん。

沖縄県内のホテルでの20年の経験をもとに独立し、マーケティング・ブランドコンサルティングの世界へ。試行錯誤を繰り返しながらも着実に実績を積む中、思いがけず生まれ故郷のうるま市で観光プロデューサーを務めることに。そこでの3年間が次の新たな出会いをもたらし、新会社プロモーションうるまの発起人のひとりとなる。

外で経験したことを「うるまに置き換える」、そして「連携先とグリップする」のがこの仕事の極意だと語る宮城さん。孤高の一匹狼から連携の名手、そして影の立役者へ。その変遷をたどった。

宮城 淳一さん

一般社団法人プロモーションうるま 理事/事業統括責任者
沖縄県うるま市出身。20年間身を置いたホテル業界ではPRからマーケティング、ブランディング、マネジメント、統括、さらに新規ホテルの立ち上げや複数ホテルのスーパーバイズまで幅広く経験を積む。2009年に独立。観光商品や誘客などのプランニング業務、ホテルのリノベーション計画などで実績を挙げ、2014年からの3年間は「うるま市観光プロデューサー」として市内の観光関係団体・事業者をサポートした。2017年、一般社団法人プロモーションうるまの設立をサポートし、その後事業統括責任者、理事に就任。

「プロモーションうるま」のオフィスは、東に太平洋を望むうるま市田場の高台にある。白で統一されたシンプルな四角い外観が沖縄の青い空によく映え、どこかモダンでスタイリッシュな印象だ。素敵なオフィスですね、とつぶやくと「実はここ、もともとは宮城さんの事務所だったんですよ」と代表理事の中村薫さんが教えてくれた。「プロモーションうるまを立ち上げる時に僕らが転がり込んで、オフィスを同居させてもらって。今ではほとんど乗っ取ってしまったような状態ですが(笑)」

宮城淳一さんは、落ち着いた物腰と穏やかなバリトンの声の持ち主だ。ホテル業界に長くいた人ならでは、と思わせるような当たりの柔らかさ。それでいて、ひとたび語り出せばその言葉の端々には鋭い知性と感性が見え隠れする。そんな腕利きのコンサルタントとしての顔だけでなく、施設管理の現場では優しい笑顔と柔軟な対応力で、頼れるリーダーとしての顔も持つ宮城さん。ここに至るまでの道のりには、どんな曲折があったのだろうか。

コンサルタントとして「既成概念を変える難しさ」に向き合う

「もともとリゾートやホテルが好きで、それらに関わる仕事をしたいと思っていました」。

宮城さんは大学進学を機に上京し、卒業後はリゾート開発などを行う東京の不動産会社に就職。しかし与えられた仕事はローンや借入のチェックなど、現場とはかけ離れたものだった。「これでは持たないな」と頭を切り替えて沖縄に戻り、ホテルに入社。リゾートの現場でのキャリアをスタートさせ、幅広い経験を積んでいった。

「中でも大きかったのは、1997年開業の『ザ・ブセナテラス』の立ち上げに、関わったことですね。2000年7月には日本初の地方開催サミット(G8首脳サミット)の舞台にもなりました。さらに系列ホテルが次々と立ち上がる中、PRに加えて全社的なブランドマネジメントやマーケティング、ホテルマネジメントまで経験することができました」

2009年、ホテルで学んだ経験をより広く活かしたいと、マーケティングやブランドコンサルティングを行う新会社を、有数のブレーン複数名と共同で設立。

しかし思うように業績が伸びなかった。

「すごい人たちと組んだんですが、当時の沖縄ではほとんど誰も必要性を感じていない領域だったのかもしれませんね。ちょっと早すぎたのかな(笑)」

会社を離れ、今度は個人として活動を開始。すると徐々に多方面から声がかかるようになった。「なぜか個人になってみたら、うまくいったんです」と笑う宮城さん、生来は孤高の一匹狼タイプなのかもしれない。

観光企画や誘客の仕掛けといった観光関連の仕事を、プランニング役や推進役として請け負い、ひとりでは対応できない案件には適宜、チームを組んで連携しながらプロジェクトを成功させていった。

実績が増えるにつれて評判が広まり、ある日宮城さんのもとに県内ホテルのリブランドとリノベーションの基本計画の相談が舞い込んだ。満を持して提案したプランは、採用されたが、「そこからが大変でした」と宮城さん。

「ホテルに新しい価値を作り出すためのリノベーションなのですが、判断を迫られる場面でどうしても、今までの経験だったり、主観で選びがちになる傾向があって。そうすると、結果として『これまでと同じ』というのが出てきてしまうんです」

たとえば「ホテルの中庭に面したカフェの窓を取り払い、オープンにしましょう」という提案も当初、抵抗が大きかった。この抵抗を取り除くには、オープンにする良さをわかってもらうしかない、と宮城さんは周囲の協力を得ながらイメージに近い海外ホテルの視察を提案、目で見て肌で感じてもらった。

「五感で感じると、一発でわかります。『あ、こういうのもいいんだな』と。既成概念を変えてあげなくちゃいけない。いったんわかると、今度は自分達から『オープンで行こう』と言ってくれました。こちらの提案が、クライアントにとって自分のアイデアになると、プロジェクトはどんどんうまくいくんです」

「普段の何気ない会話」から始まる地域ビジネスのダイナミズム

2014年、ちょうどホテルのリノベーションのプロジェクトが終わろうとするタイミングで宮城さんに再び声がかかる。今度は地元うるま市の観光プロデューサーへの就任話だった。

「一緒にやってもらえないか、と言われ、最初は『え?』という感じで。それまでは外向きの、民間の仕事ばかりやってきていたので、なぜ自分に?というのが正直な気持ちでした。ただ、よくよく考えてみれば、地元の仕事はそれまで一度もやったことがなかった。外である程度の経験はしてきたし、じゃあやってみようか、と」。

この時の決断が、宮城さんを今へと続く地域ビジネスの世界へと引き込むことになる。

それからの3年間は、うるま市の観光行政や関係の中核団体に対し、観光まちづくりのためのマネジメントやマーケティングの重要性を訴えた。事業者が観光商品を売る際の「売り方」をサポートしたり、未導入の新たなアクティビティを取り入れるよう提案するなど、地道な作業を続けていった。

「市の観光振興ビジョン策定に携わることもでき、勝連城跡でのMICE開催も自分で仕掛けをつくって市に提案し、事業を取りに行きました」

初めて経験する地元の仕事に、それまでにない面白さを感じたと宮城さんは振り返る。

「普段の何気ない会話から、いつのまにかだんだん仕事になっていくんです。しかも、部分ではなく、市や県といった全体を見ながらある程度ダイナミックに仕事ができる、というのが面白かったですね。外で経験したことをうるま市に置き換えながらやっていこう、という段階では、“連携”をうまく活用することも大事だな、と感じました。県内で企業間・農商工・産官学といったさまざまな連携が進んでいることは知っていましたが、今度は自分がそれを実践する立場なんだな、と。自分ひとりではできない仕事も、連携でどんどん大きくしていける、ということにも醍醐味を感じましたね」

そんな中で出会ったのが、当時、うるま市地域雇用創造協議会に携わっていた中村さんだった。

「実は中村さんとは、以前、彼が商社で沖縄物産展の担当をしていた頃に一度接点があったんです。新宿伊勢丹でのイベントでした。不思議な縁だな、と思いましたね」。

中村さんも当時を振り返り、「あの時、僕は宮城さんのホテルの特製ケーキを地下から運んでくる係でした。緊張しながら名刺交換させてもらったのを覚えています」と笑う。

中村さんのいた雇用創造協議会は、「集まっていたスタッフも面白い、個性的な人ばかりで、彼らと一緒に仕事できたら面白いだろうな、と漠然と感じていました」と宮城さん。

やがて事業終了とともに雇用創造協議会が解散となり、中村さんを筆頭に新会社「プロモーションうるま」が立ち上がる。その時には冒頭で紹介した通り、オフィスを提供するなど宮城さんも物心両面でサポートした。

その後、観光プロデューサーの任期満了を経て宮城さんがプロモーションうるまに加わり、現在の陣容の基盤ができあがった。

知られざる「うるまのウルワツ」を世界に発信する日

宮城さんは現在、プロモーションうるまの理事・事業統括責任者として会社全体の事業推進をマネジメントしている。特に、指定管理を担う2つの公共施設の運営には、ホテルで培った長年の施設運営経験が大いに生きているそうだ。

さらに2018年10月には市の農水産業振興戦略拠点施設「うるマルシェ」の運営開始も控え、スタッフ数も同社始まって以来の規模感に成長しつつある。代表理事の中村さんと表裏一体の“影の立役者”として、宮城さんは「外で経験してきたことを、うるま市に置き換える」という前述のフレームを重宝しているという。

「勤めていたホテルの社長に、『ホテル作りは、(他の)真似をすることはできないんだよ』と言われたことがあります。同じものを持ってきたとしても、たとえそれが似たような環境であっても、土地の形状もそこに働く人の考え方も違うので、同じにはならない。コピーはできない、ということですね。でも、“考え方”がわかれば、同じことがここでも必ずできる、と本質を捉えることを教わりました。考え方がわかった上で、そこの場所に全部いったん置き換えて、やっていくんだ、と。その教えを今でも大事に思っています」

うるま市の離島、宮城島のとある場所。宮城さんはそこを「ホテル業界目線で見ると、バリ島のウルワツに匹敵するか、それ以上の素晴らしいロケーション」だという。

「ウルワツは世界有数のラグジュアリーブランドがホテルを開発したことでも知られる場所ですが、海の美しさは宮城島のその場所の方が上だと思います。ただ、この話をいろんな場面で言い続けていますが、そう簡単にはいかないですね。ホテルの開発には数々の規制もあり、インフラの整備から考えるとなれば10年、15年スケールの長い時間がかかりますから。でも、まだ諦めたわけではないです。これからもずっと、発信し続けていきますよ」。

いつの日か、世界に誇れる絶景のリゾートがうるま市に生まれる、その日まで。

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●一般社団法人プロモーションうるま

  • 代表理事 : 中村薫
  • 所 在 地 : 沖縄県うるま市字田場1304-1 1F
  • 電 話 : 098-923-5995
  • 設 立 : 2014年9月
  • コーポレートサイト

取材・文:谷口紗織