記事のポイント

  • 民間の立場と視点から、公共性の高い課題にアプローチする。
  • 公共事業の終了とともに、事業に関わったメンバーが自己資金で起業した。
  • 地元に根ざし、時間をかけたからこそ聞こえてきた「地域の本音」をかたちにする。

沖縄本島の中部に位置するうるま市。2005年に2市2町(具志川市、石川市、中頭郡勝連町・与那城町)が合併して生まれた比較的新しい町だ。

「うるま」とは沖縄の言葉で「サンゴの島」を意味し、「琉球」と同じように沖縄を指す別名として使われる。総人口は県内第3位の約12万人。総面積87万㎢には海中道路などの橋で繋がった5つの島を含む8離島が含まれる。総人口は増加傾向にあるものの、島しょ(離島)地域では過疎化と高齢化に歯止めがかからない。このほかにも市民所得の低さ、働き盛り世代の死亡率の高さなど改善が急がれる課題は少なくない。

そうした課題に市民目線で取り組み、成果を挙げつつあるのが「プロモーションうるま」だ。平均年齢36.5歳。地元出身者や地元在住者もいれば県外からの移住者もいる、いわばワカムン(若者)がチャンプルー(ごちゃまぜ)になってジンブン(知恵)を働かす“秘密基地”さながらの会社。前編では設立までの経緯と現在の事業の全容、そして会社の核とされる地域づくりの取り組みの中の「移住定住促進事業」について紹介する。

一般社団法人プロモーションうるま

2015年設立。“100年後のうるまをつくる”を理念に掲げ、うるま市に軸足を置く民間のまちづくり会社として、移住定住の促進・地域資源活用商品の開発・イベントの企画開催といった”地域づくり”を核に、食と農のプロデュース拠点・市民の健康増進拠点・産業振興拠点という3つの公共施設の企画・管理運営も担っている。

観光ガイドブックでうるま市を見ると「那覇空港から車で約1時間」「東洋一の長さを誇る海中道路」「世界遺産・勝連城跡」といった言葉が並ぶ。いずれも沖縄の観光名所として人気が高いスポットだが、これらがうるま市にある、ということはあまり知られていない。

海中道路

通年にわたって多くの観光客が海中道路や勝連城跡を目当てにうるま市を訪れているが、ここに暮らす住民が抱える課題の重さは、外からは想像しづらいだろう。特に問題視されるのが前述した失業率の高さで、これを改善するべくうるま市では2012年に厚生労働省の「地域雇用創造事業」にエントリー。実施団体として「うるま市地域雇用創造協議会(以下、「協議会」)」を立ち上げた。この協議会が「プロモーションうるま(以下、「プロモうるま」)の前身である。

3年間という限られた時間で、わかったこと、できなかったこと

「雇用を生み出す」ことを大目的に掲げた協議会の事業は、大きく分けて4つ。失業率改善に向けた「人材育成」と「企業支援」、そして雇用機会増に向けた「観光商品の開発」と「地域資源を活用した商品(物産)の開発」。事業年度の3年間で解決するには大きすぎるミッションだが、それぞれのスペシャリストが集い、食らいついていった。

地域物産の開発のために協議会に加わったうちのひとりが、現在プロモうるまの代表理事を務める中村薫さんだ。

「協議会の設立が7月で、約8ヶ月後の2013年3月には最初の開発商品である『津堅にんじんロール』を開発・発売しました」。

津堅にんじんロール

観光商品開発や失業率改善に向けた取り組みでも、協議会全員がスピード感を持って仕事にあたり、さまざまな成果を残すべく砕身した3年間だった。
しかし「事業終了とともに協議会は使命を終え、解散する」。そのことはわかっていた中村さんらだったが、解散の日が近づくにつれて「このままでは終わらせたくない」という気持ちが募っていった。

「特に島しょ部の住民の方や、地域の生産者、事業者の方と接する中で、行政が掲げている課題とは違う、僕らなりの視点からの課題が見えてきたんです。それを何とか僕らの手で前向きにできないか、というのが、プロモうるまのスタートのきっかけになりました」

協議会の解散と同時に、10名いた協議会メンバーのうち想いを同じくする6名でプロモうるまを立ち上げたのが2015年4月のこと。のちに事業統括責任者となる宮城淳一さんが、自らの事務所の一部を提供してくれ、その小さなオフィスが彼らの“秘密基地”となった。

“秘密基地”はうるま市内の住宅地にある

「雇用創造を旗印にした協議会では、課題として見えてきてはいたものの、取り組みきれなかったことがまだまだありました」と中村さん。

たとえば低市民所得、島しょ部の人口減、働き盛り世代の高死亡率といった根源的な課題だ。そうした課題にも目を向け、民間ならではの視点と市民レベルの草の根からの活動で、また長期的な視野でうるま市のQOLを高めていこうとする、新たな「まちづくり会社」の誕生だった。