文豪、志賀直哉は随筆「奈良」に「奈良はうまい物のない所だ」と書いた。「志賀直哉のその言葉に、奈良の飲食関係者はコンプレックスを持ってきた」と話すのは、奈良のかき氷ブームの火付け役、合同会社ほうせき箱の代表・ヒライソウスケ氏だ。「そのイメージを払拭したかった」と、2015年にかき氷専門店「ほうせき箱」をオープン。今では全国各地からおいしいかき氷を求めたかき氷ファンが奈良を訪れるようになった。ほうせき箱を立ち上げた当時は、前職である柿の葉ずし製造メーカーの代表取締役を務めていたヒライ氏。柿の葉寿司店の代表が、なぜかき氷専門店を始め、奈良に定着させたのか?いきさつから将来のビジョンに至るまでを伺った。

記事のポイント

  • かき氷で奈良に人を呼び込む!かき氷祭りを成功させ、奈良市街に専門店を開業
  • 観光課題と事業の継続を見据え、自社の多店舗展開はせずにかき氷販売店増加に尽力
  • 柿の葉っぱを使った新規事業でさらなる観光・地域振興を狙う

後押ししたのは、氷を祀る神社の存在

奈良市の中心市街地にかつて「ちから」という甘味店があった。「ちから」はかき氷の名店として知られ、地元民から愛されていた。ヒライ氏も幼い頃から足しげく通ったそうだ。

時は流れ、2013年の夏。ヒライ氏は同市にある飲食店「おちゃのこ」でかき氷を食べ、そのおいしさに感銘を受けた。従来の粗目の氷にシロップをかけるだけのかき氷ではなく、フワフワした食感と柔らかい口どけでまさに進化をとげたかき氷だったのだ。そして、かつて「ちから」のかき氷を愛したヒライ氏は、「おちゃのこ」での体験をきっかけに、かき氷に大きな可能性と地域の名物になりうるポテンシャルを感じたという。

「おちゃのこ」がすでに関東でも名の知れたかき氷店と知ったヒライ氏は、奈良でかき氷を広めれば奈良に多くの人を呼ぶことができると確信。なら燈花会や、なら瑠璃絵、なら国際映画祭などの奈良へ観光客を誘致するイベントに関わってきたヒライ氏ならではの着眼点だった。

ヒライソウスケ氏

ヒライ氏が見出した可能性を確固たる計画に変えたのは、同市内にある「氷室神社」だった。氷室神社では710年(奈良時代)を起源とする「献氷祭(けんぴょうさい)」が毎年5月1日に行われている。「氷室神社」でかき氷のイベントを行うことができれば、多くの人を呼べるのではないか。そう考えたヒライ氏は2014年の「献氷祭」の時に、宮司に直談判し、3ヶ月後の8月にかき氷のイベント「ひむろしらゆき祭り」を開催。多くのかき氷ファンが集まり、SNSを中心に一気に話題になった。弾みをつけたヒライ氏は「おちゃのこ」を退職した岡田氏とともに、かき氷専門店「ほうせき箱」をオープンした。2015年3月のことである。

2018年3月に移転・リニューアルオープンした『ほうせき箱』

市内飲食店を巻き込み、食べ歩きニーズに応える

現在、奈良は空前のかき氷ブームを迎えているが、それはまさにヒライ氏、岡田氏をはじめとするひむろしらゆき祭実行委員会の尽力によるものだ。マスメディア、SNSによる広がりで一躍有名になったほうせき箱だが、ヒライ氏はほうせき箱の成功にとどまらず、奈良市内にかき氷を提供する飲食店を増やすことに力を注いだ。

「僕らが持っている技術はかき氷専業なのでさほど広がりがありません。しかし、フランス料理や洋菓子などの技術を持っておられる飲食店がかき氷を始めることで他店にはないかき氷ができるのです。つまり、奈良においしいかき氷店が増え、かき氷を食べに来る人が増え、結果として当店にも人が来る。かき氷は2〜3軒の「はしご」が可能な食べ物です。つまり、他店とお客様を共有できるのです。」

ヒライ氏のこの考えは、奈良が抱える観光課題から生まれたものだ。

「奈良観光の課題は、奈良市から他のエリアに観光客が流れず、観光経済圏が限定的であることです。しかも、奈良は観光客の宿泊者数、ホテルの数どちらも全国最下位。そのため、滞在時間も観光収入も少ないのです。この課題を打破するために、かき氷が一役を担えればと考えています。奈良県全域においしいかき氷店が増えると、かき氷をはしごされるお客様の滞在時間が増え、宿泊にもつながると期待しています。」

かき氷に情熱をかけると決めたヒライ氏は2017年に柿の葉ずし製造メーカーの代表を辞任する。そして、2018年3月には店舗を移転し、客席数を拡大。しかし、ヒライ氏いわく、ほうせき箱を多店舗展開することは考えていないと言う。

「かき氷は誰がつくっても同じものができるというものではありません。高い技術が必要なので、製造スタッフの教育には時間がかかります。スピード感をもって「奈良=かき氷」というブランドを確立するために、当店のみならず、奈良でかき氷を提供する店舗を増やすことに尽力したいと思っています。」

44店舗を“面で見せる”戦略でムーブメントを醸成

ヒライ氏は、奈良のかき氷ムーブメントを拡大するため、ほうせき箱のSNSアカウントを他店の紹介にも活用している。

「ほうせき箱のSNSアカウントをフォローしてくれているお客様はかき氷が大好きな方々なので、新たな店舗でかき氷を始められた情報を発信すると、多くの方が興味をもってくださいます。かき氷のみならず、ほうせき箱のSNSを通じてわれわれが本当に良いと思える商品やサービスが広がるきっかけになればと思っています。」

ヒライ氏が仕掛けた「ひむろしらゆき祭」は、2年目には2日間で1万人を集客するイベントに成長した。

平成30年5月、第5回目を迎えた「ひむろしらゆき祭」

また、その年には「奈良かき氷マップ」という奈良市内でかき氷を食べられる店舗を記したガイドがつくられ、「奈良=かき氷」というイメージを定着させるきっかけになった。そして、現在、奈良市内で配られている「奈良かき氷ガイド」には44店舗の飲食店が名前を連ねている。

ヒライ氏は「奈良=かき氷」というブランドの確立を、行政の補助金に頼らずに進めている。

「行政の補助金ありきで事業を構築すると、自主財源確保へのモチベーションが低くやがて事業継続が難しくなります。また、行政が主体だと、各店舗は集客を行政任せにして自らの発信を怠りがちになる。こうした考えから、「奈良かき氷ガイド」は掲載店舗様から掲載料をいただき運営しています。そうすることで、自ら積極的に活用しより大きな効果を求めます。また、掲載店舗全体で味や品質の向上を目指しワークショップを開くなど、奈良のかき氷ブランドの価値を継続的に高めていくことにも力を入れています。」

かき氷の市場はまだまだ拡がると話すヒライ氏。特に、夏以外の季節に着目していると言う。ポテンシャルを生かし切るため、飽きさせない味を追求するとともに、店舗に足を運びたくなるような楽しみをちりばめたいと考えている。例えば、花屋さんや展覧会など他業種、イベント等とのコラボレーション。今、計画しているのは、奈良県内の温泉地とかき氷を掛け合わせる仕掛けだ。温泉に浸かりながらかき氷を食べる。そんなぜいたくな時間を過ごせる日も近いのかもしれない。

かき氷事業をキャッシュエンジンに柿の葉事業を育てる

ほうせき箱の売り上げは、立ち上げ初年度が約2,700万円で、2年目が約3,500万円。10席ほどの小さな店舗を切り盛りしながら、新規事業への投資も行ってきた。新規事業とは、奈良県産の柿の葉っぱを活用した商品企画・製造・販売事業だ。大きな店舗への移転と、柿の葉っぱ事業が投資回収フェーズに入ったことで、今年度は対昨年比で2倍以上の売り上げを想定している。そして、5年後にはかき氷事業と柿の葉っぱ事業で併せて1億円超えを目指していると言う。

「柿の葉ずし製造メーカーの代表を務めていた時代から準備してきた奈良県産の柿の葉っぱを活用した商品を、昨年から販売開始しています。例えば、柿の葉茶や柿の葉ジェノベーゼなどです。昨年、自社加工所を立ち上げました。単体ではまだ赤字ですが、柿の葉っぱを使った商品は製造から販売までのスパンが長いのでこれは想定内。これから2~3年かけて、売れ行きを見ながら展開して行きます。当分の間は、かき氷事業をキャッシュエンジンにしながら、いずれ柿の葉っぱ事業で確実に収益を上げたいと考えています。」

伝統的な柿の葉寿司の事業継承から、かき氷事業と柿の葉っぱ事業の起業へ。奈良の課題を見据えて挑戦の道に踏み出したヒライさんの姿は、地域起業家そのものだ。「『奈良に新たな食文化を』150年続く老舗の跡取りがローカルベンチャーを始めた理由」では、そんなヒライさんのライフヒストリーを紹介する。

●Kakigori ほうせき箱 概要

  • 所 在 地 : 〒630-8222 奈良県奈良市 餅飯殿町47
  • 電  話 :0742-93-4260
  • 営業時間:10:00 ~ 20:00 (毎朝8:30から整理券配布)
  • 定 休 日 :木曜日
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取材・文:大垣知哉