記事のポイント

  • 東京と生まれ故郷の2拠点生活を始めた一級建築士 赤羽孝太さん
  • 山が好きで移住した地域おこし協力隊の二級建築士溜池のどかさん
  • 不動産業者が扱わないレベルの空き家をDIYイベントでリノベーション
  • 移住支援制度を利用した移住者が2年で7世帯から36世帯に急増

中央アルプスと南アルプスに挟まれた南信州・伊那谷。その最北部に位置する長野県辰野町は、面積の8割以上を森林が占め、初夏になると無数のゲンジボタルが舞う自然豊かな町だ。人口は1万9740人(平成30年6月現在)。この町の移住支援制度は、平成26年に始まった空き家バンク制度と、平成28年施行の定住促進奨励金で、他の市町村と比べて特筆すべき点はない。しかし、単なる補助金支給を超えたユニークな草の根的サポートで、移住支援制度を利用した移住者数は平成27年度には7世帯から平成29年度には36世帯に。今年度も、すでに前年を2倍のペースで超える勢いである。

美しい里山の風景が広がる

500軒の空き家のうち、利活用可能は60軒

「辰野町には、高額な助成金はありません。ですがその分、アイディアとマンパワーを活用した移住者支援には自信があります。サポートは移住前から移住後まで行っていますが、とくに面白いのは空き家活用の方法じゃないかな」そう話すのは、辰野町まちづくり政策課の野澤隆生さん。

辰野町まちづくり政策課の野澤隆生さん

「平成25年に調査したとき、町内には約500軒の空き家がありました。その500軒のうち利活用可能な空き家を再度調査してみたところ、約60軒まで減ってしまった。家の中が家財道具でいっぱいだったり、壁に穴が空いている程度の理由で『利活用不可』にされてしまった物件も多かったのですが、私たち行政の人間は建築に関しては素人で、物件の状態を判断することはできません。そういった物件に光を当ててくれたのが、集落支援員で一級建築士の赤羽孝太さんと、地域おこし協力隊員で二級建築士の溜池のどかさんでした」

赤羽さんは、辰野町出身。東京の建築会社に務めるサラリーマンだったが、里帰りするたびに空き家が増えていくのを見て、寂しさを感じていた。

辰野町の集落支援員で一級建築士の赤羽孝太さん

「行政の空き家バンクは宅建協会と協定を結ぶのが一般的で、もちろん辰野でもそうしているのですが、建物の状態を10段階評価にすると、普通の不動産業者さんは状態のいい8、9、10の物件しか取り扱わないんです。1、2が利活用不能な危険空き家であるとすると、3〜7の領域の空き家をどうするのか。僕はそのことにテーマ性を感じていました」

現在は7の状態の空き家も、住む人がいなければ翌年には6になり、やがて5になり……と、朽ちていく。自分の技能を活かして故郷の空き家問題をなんとかできないかと考えたことが、赤羽さんが独立して2拠点居住を始めるきっかけとなった。

「集落支援員制度というものがあると教えてもらい、それに応募して、平成28年より、ボランテイアではなく仕事として辰野町の空き家に関われることになりました。同期の溜池さんも建築士ですが、辰野町の地域おこし協力隊に応募したのは偶然です。たまたま、建築士が辰野町に集まったんです(笑)」

溜池さんは鹿児島県出身。東京でリフォームなど住居系の仕事をしていたが、山が好きで、長野県への移住を考えて辰野町の協力隊に応募したという。

辰野町の地域おこし協力隊で二級建築士の溜池のどかさん

「町で建築系の地域おこし協力隊を募集していたわけではなく、本当に偶然、辰野町に来ました。私が来たときには空き家バンクはもう始まっていたのですが、そのほとんどが、不動産業者が扱う状態のいい『仲介物件』で、業者が間に入らない、つまり一見ボロボロだったり、家財道具が放置されている『直接物件』はほとんど動いていない状態でした」

DIY改修イベントで低予算のリノベーション

赤羽さんと溜池さんが最初にしたことは、利活用不可とされた物件へ足を運び、インスペクション(建物検査)を行うことだった。

「確かに壁に穴が空いてたり床が傾いたりしてましたが、土台や水回りなどはしっかりしていて、『直せば全然使えるじゃん』という物件がいくつも出てきました。それらを不動産業者が仲介しない直接物件として、空き家バンクに登録したんです」(溜池さん)

しかし、空き家改修にはお金がかかる。辰野町の場合、空き家バンク物件の家財道具処分に最大15万円、物件の改修には最大30万円までの補助を受けられるが、空き家歴が長い家だと補助金を軽く超える改修費が必要となってくる。それを草の根的方法でカバーするのが、移住定住促進協議会主催の「空き家DIY改修イベント」である。

「有志が集まり、移住者の家をDIYで直したのがきっかけでした。材料費は家主持ちで、ボランティアを募って床を貼ったり壁を塗ったりしたんです。家主さんも喜んでくれたし、この方法は今後も使えるのではないかと思い、事業として行ってもらえるよう移住定住促進協議会に提案し、承諾していただきました」(野澤さん)

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事例第1号の物件。現在は「農民家ふぇ あずかぼ」になっている。

日程を決めて空き家DIY改修イベントを立ち上げ、参加者を募集。講師として地元の大工さんを招き、マンパワーで天井や内壁の解体、フローリング貼り、塗装などを行う。大工さんの講師代が協議会の予算から支払われるほかは、人件費ゼロ。施工主は、DIYの材料費を負担し、取材や視察があるときには「DIY改修モデルハウス」として協力する。

この事業の事例第1号が、2017年4月にオープンした「農民家ふぇ あずかぼ」だ。近所から「廃屋」と呼ばれていた築約130年の古民家をリノベーションし、吹き抜けと無垢のフローリングが印象的なカフェに再生させた。全11回の改修イベントには地元住民などのべ250人が参加し、材料費約100万円(厨房以外)での古民家再生が実現。さらに、店主が半年かけて改修を行っている間に近所の人たちとも知り合いになり、良好な関係が築けるというメリットもあった。

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改修イベントの様子

「こういった事例がメディアで紹介され、物件を見に来る移住希望者が増えてくるにつれて、辰野の人たちが自分たちの町に自信を持つようになっています。今までは、『どうせ辰野なんて』という諦めムードがあったのですが、古民家が点在する、この里山の風景に価値を見出してくれる人が増えるにつれて、自分たちの故郷を誇りに思うようになってきている。実際、この町の風景は本当にきれいだし、その価値観を共有できるのが嬉しいですね」(野澤さん)

今回、取材場所としてお借りしたのは辰野町初の古着屋「O to &」。京都府出身の金井一記さんが比較的状態の良い古民家を自分で清掃し、DIYイベントでは店舗までのアプローチと外トイレを作った。

辰野町初の古着屋「O to &」と金井一記さん

「金井さんも、この物件を見つけるまでに全国で50軒ほど物件を見たそうですが、『この地域に住みたいから物件を探す』ではなく、『こんな物件に住みたくて、家を検索していたら辰野町にたどり着いた』という人が増えています。全国のいろんな物件を探し歩いて、最終的に辰野町の物件を気に入って移住を決めるというケースが意外と多いんですよ」(野澤さん)

とりあえず2拠点居住を始めて、割合を変えていく

2018年9月、NHKのクイズバラエティ番組で「日本の中心の中心(ど真ん中)」と認められた辰野町。これは伊達ではなく、2拠点生活にも便利な町だと赤羽さんは力説する。

「東京まで3時間、名古屋までも2時間半。遊びに行くのも、3時間で日本海で釣りができて、3時間で湘南でサーフィンができる(笑)。冗談のようにも聞こえますが、ずっと2拠点居住をしていて、3時間圏内が交通費的にも体力的にもおすすめかなと思います」

赤羽さん曰く、「2拠点居住を考えているなら、とりあえず始めてみて、自分にあった方法を模索するのがいいです」。まずは東京9対地方1で始めて、7対3にして、5対5を試して、問題が発生したらまた戻せばいい。

「働き方も、東京の仕事を地方に持っていくこともできるし、僕のように東京では東京の仕事を、地方では地方の仕事をするというスタイルもできます。東京では、渋谷のオフィスは引き払って横浜にシェアオフィスを借りました。辰野町では、自分で「STUDIOリバー」というシェアオフィスを立ち上げたので、これから同じように2拠点住居したい人をサポートできたらいいですね」

赤羽さんは今年、溜池さんらと一緒に「一般社団法人0と編集社(まるとへんしゅうしゃ)」を立ち上げ、拠点をほぼ完全に辰野町に移した。集落支援員と協力隊の任期が終了する2019年4月より、本格的に活動を始める。

「地域の今を再編集し、未来にワクワクする人を増やす、それがこの会社のテーマです。現在行っている移住者の中間支援業務をはじめ、地方でのプラットフォームづくりを事業として行っていく予定です」

高額の助成金だけに頼らず、地元に眠る不動産資源と目利き力、住民のマンパワーを集める企画力で移住者にとって魅力ある物件を増やした結果、まち全体の魅力が増して注目度が上がる。付随して新しい仕事も生まれ、住民の幸福につながる。ひとりひとりが発揮する力で動く好循環の輪が、辰野町では回り始めたところだ。

取材・撮影・文 はっさく堂