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【第2回インタビュー記事】株式会社シマトワークス 代表取締役 富田祐介さん
兵庫県加東市の出版社・スタブロブックスでは現在、田舎に拠点を置く出版社のスタンスを活かした地方発本づくりを進めています。本サイトでは、現在制作中の書籍に掲載する原稿の一部を先行公開していきます。
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今回公開するのは、淡路島を拠点に島の魅力を島内外に発信する富田祐介さんのインタビュー記事。
神戸市出身の富田さんは東京で活躍したのち、淡路島に移住し、企画会社の株式会社シマトワークスを設立しました。取材した印象は、富田さんのまわりには魅力的な人たちがたくさん集まっているということ。富田さんはそんな仲間たちと淡路島の魅力を結びつけて付加価値を生み出し、島内外に発信しています。2021年5月にはワーケーションの拠点もオープン。ワクワク感を原動力に淡路島発のローカルビジネスをかたちにする富田さんの記事をぜひご覧ください。
(プロフィール)
株式会社シマトワークス 代表取締役 富田祐介さん
1981年、兵庫県神戸市生まれ。大学卒業後の2年間、フリーランスの設計士として淡路島で活動。その後、東京に移住し組織設計事務所に入社。2012年に淡路島に移住し、「淡路はたらくカタチ研究島」の事務局の立ち上げと運営に携わる。2014年に企画会社の株式会社シマトワークスを設立、メンバーを増やしながら現在に至る。「わくわくする明日をこの島から」をモットーに、地域や分野を問わず観光・食・研修・新規事業など幅広く企画提案をおこなっている。2021年5月、「Workation Hub 紺屋町」オープン。
ワクワクする気持ちを大切に、島とともに仕事をつくる
兵庫県の淡路島で企画会社を経営する富田祐介さん(40歳)はチームづくりの天賦の才のもち主だ。
食や自然といった淡路島の地域資源に触れると発想がひらめいて、島外に発信するためのプロジェクトにしてしまう。そして企画を実現させるために仲間を募り、メンバーたちとビジョンを共有しながらアイデアをかたちにしていく。
「たとえば島内の食品加工業者が新たな製造機械を手に入れたと聞いたときには、淡路島の猪豚肉を使ったソーセージの開発を提案しました。最終的に食品加工業者、生産者、地元のカフェ、島外のホテル、当社の5社共同のプロジェクトに発展し、無添加の猪豚ソーセージの開発と販売につながりました」
そう話す富田さんが大切にしているのは、「プロジェクトや人に寄り添いながらワクワクする企画を提案する」こと。
「新しい人やモノ、コトに出会った瞬間に感じるワクワクとした気持ち――これが僕の原動力なんです。これまでに出会った人たち、そしてこれから出会える人たちといっしょに何ができるのかを考え、島の魅力と魅力を結びつけて新たな価値を創造し、多くの人に伝えたいですね」
自然体で話す富田さんの思いは社名にも表れている。「シマトワークス」、つまり〝島といっしょに仕事を創る〟をテーマにしてきた。
取材で印象的だったのは、「淡路島は〝島〟でありながら3つの市で構成され、ひとつの経済圏としても成立している」との言葉。
「島というと小さくて、経済的にも単独では成り立たない、そんなイメージがありますよね。でも淡路島は意外と広く、衣食住に関するあらゆる業種の事業主さんが島内にいらっしゃる。だから飲み屋に行くといろんな人たちと出会えるし、『こんな企画をやりたいね』と意気投合すればたちまち輪が広がり、チームが組めてしまうんです」
富田さんの言葉どおり、瀬戸内海に浮かぶ淡路島は東京23区(627・57平方キロメートル)とほぼ同じ面積(595・71平方キロメートル)を誇り、人口は離島でもっとも多い約13万人(平成30年1月1日兵庫県推計人口)。
一定の経済規模があり、島内だけでも暮らしが成り立つ。だから仲間意識が強く、いざチームを組んだ際の団結力もある。
ただし、島内で完結するだけのビジネスをしているわけではない。むしろ「淡路島×企画」の力で島発の付加価値を創出し、その魅力を島外に発信することで、島に人を呼び込んでくる。そうやって淡路島の関係人口の創出にひと役買ってきたのだ。
偶然の出会いで淡路島へ
富田さんは兵庫県神戸市垂水区の出身で、海を見渡せる高台の家で育った。自宅からは明石海峡大橋も望めるが、「まさか自分がこっち側(淡路島)の人になるとは思わなかった」と笑みを浮かべる。
将来は建築家をめざし、高校卒業後は大阪の大学へ。建築や設計を学びつつ、同時にイベントの企画にものめり込んだ。
「だから就活でも建築と企画の両方を学べる会社を探したんです。でも残念ながら見つからず、ならばと卒業後は独立へのステップとして、フリーランスでしばらく活動しようと思いました」
大学在学中にDIY(Do It Yourself)で建築設計に取り組んでいた富田さんは、作品集を携えて不動産屋などに営業して回った。しかし社会はそんなに甘くない。
「一週間後に卒業が迫っても反応はゼロ。ニートを覚悟したとき、ひとつの出会いが扉を開いてくれました」
神戸の会社のイベントを手伝っていたときのことだ。打ち合わせに呼ばれ、東京のアートディレクターと出会った。淡路島で立ち上がるアート系NPO(NPO法人淡路島アートセンター)の視察で関西にやって来たという。
「NPOの活動では古民家再生の仕事もあると聞き、作品集を見てもらいました。すると気に入っていただき、急きょ、翌日の視察に同行できることになったんです」
その日は居酒屋の近くのホテルに泊まり、翌朝、淡路島へ。視察の中で島の人たちとの出会いもあり、幸運にも古民家再生事業に参加できることになった。卒業まで一週間、ついにフリーランスで職を得たのだった。
以降の2年間、自宅のある神戸と淡路島を往復しながら古民家再生の仕事に従事。設計から施行まで建築に関する仕事に取り組めたうえ、嬉しい誤算もあった。企画の提案が求められる機会も多かったのだ。
「偶然の出会いで訪れた淡路島で、希望する両方の職種を経験できたんです。偶然のチャンスを活かし、飛び込んだからこそ開けた道です」
仲間との再会で、淡路島への移住を決断
フリーランスの設計士として活動した2年間を経て、富田さんは24歳で新たなチャレンジを企てる。30歳での独立をめざし、東京に出ることにしたのだ。
仕事のあてがあったわけではく、「先に住む場所を決め、先に引っ越してしまった」と言うが、持ち前の突破力で東京の設計事務所に就職。以降の5年弱、平日は都内を中心としたレジデンス系の設計に打ち込む一方、休日はイベントなどのプロデュースに時間をつぎ込んだ。
「すると僕のやっている企画をおもしろがって、『いっしょに活動しよう』と言ってくれる仲間が東京で増えていったんです」
やがて建築や設計ではなく、東京で企画会社を立ち上げるキャリアプランを描きはじめると、今度は淡路の仲間から「島でいっしょに働こう」と誘いを受けるように。国の委託事業に取り組むので力を貸してほしい、そんな依頼だった。
当時は東京での独立を見据えていたので断ったという。
「ところが『おもしろいメンバーだから!』と何度も誘ってくれるんです。そこで断るつもりで淡路の仲間と再会すると、本当に魅力的な立ち上げメンバーばかりで。気づけば『わかった。いっしょにやろう!』と答えている自分がいました(笑)」
かくして、島の人になる決断をしたのだった。
淡路島発の魅力を外部に発信し、人と利益を島に引き込む
2011年3月末で東京の設計事務所を退職後、富田さんは「淡路はたらくカタチ研究島(現ハタラボ島協同組合)」の立ち上げに参画。2012年初頭に淡路島に移住し、事業推進を本格的に担うことになった。
事業のテーマは〝島と生きる。しごとをつくる〟。島の生産者や事業者の仕事づくりをサポートし、地域に根ざした雇用を生み出すのが狙いだ。そのためにデザインや商品開発など各分野の講師を島に呼び、年間200本に及ぶ研修を開催。企画から予算組み、当日の運営まで、富田さんともうひとりのメンバーを中心に、ともに事業を立ち上げた仲間たちと進めたので大変だったが、それ以上に得たものは大きかった。
「年間200本のうち、自分が企画した研修については受講者と共に聴講するわけです。成長しないわけがないですよね。当時築いた人脈も財産となり、今に活きています」
2年後の2014年には多くの参加者が島内で起業。事業を機に生まれたつながりから新たな商品・サービスも誕生した。
こうして委託事業を成功させた富田さんは2014年、株式会社シマトワークスを設立して念願の独立を果たした。現在は事業運営で得た経験を活かし、「観光」「食」「人材育成」「新規事業開発・情報発信」の4事業を展開している。
「観光事業」では、淡路島でのツアーの企画やアテンドを担当し、国内はもとより海外からのインバウンド客の誘致にも力を入れてきた。
「食事業」では、冒頭で触れたように淡路島の豊かな食材を活かした商品開発など展開。
「人材育成事業」では、島で築いたノウハウや経験を島外の企業や団体に提供するべく、チームづくりや人材育成のプログラムを提案している。
「たとえば全国展開のスーパーなどを運営する企業様に地域を学ぶ研修を実施したり、神戸を拠点に展開する企業様の内定者研修を島でおこなったり。人材育成プログラムのフィールドとして淡路島を活用し、研修事業を展開しています」
「新規事業開発・情報発信事業」の活動も幅広い。2017年には島外(神戸市と芦屋市)と島内(洲本市と淡路市)の4市合同で交流人口の増加をめざす事業「島&都市デュアル」の編集長としてプロジェクトの立ち上げと運営に関わった。
「明石海峡大橋の真下に位置するホテル様が淡路島とのコラボを希望された際には、淡路島の生産者とのコーディネートからイベント企画、自社メディアのディレクションや物販、さらには島をフィールドにした社員研修の企画まで、多岐にわたるディレクションを総合的に手がけました」
「これからワーケーションの時代が来る」――コロナ前に着目
さらに2019年から準備を続け、今力を入れているのが「ワーケーション※事業」だ。
「僕たちが拠点にしている洲本市の城下町エリアには個性豊かな飲食店や温泉、宿泊施設などが充実し、海と山も徒歩圏内です。大好きなこのエリアを拠点にワーケーション事業を展開すれば、きっと楽しいことになる――そんな思いで取り組んできました」
そして2021年5月にオープンしたのが「Workation Hub 紺屋町」だ。
かつて酒屋だった長屋をリノベーションし、1階にはコワーキングスペースやカフェ(「farm studio テーブルと燕」)、ミーティングルーム、宿泊スペースを設置。2階には事業者を対象としたセキュリティ完備のシェア型サテライトオフィスと会議スペースを設けた。
長屋らしい中庭と奥庭のある空間で、都会の喧騒を忘れて仕事に集中できる落ち着いた雰囲気が魅力だ。
「僕たちが提供するワーケーションは、観光地で働くバケーションプランにとどまりません。与えられた働き方に自らの人生を添わせるのではなく、自らの人生を自分で楽しいものにする――そうやって一人ひとりが働き方や生き方にオーナーシップをもち、日常から離れて働くことの本質的な価値を見出せるようなワーケーションライフの提供をめざしていきます」
そう語る富田さんの思いは「Workation Hub」という拠点名に表れている。
「これまで淡路島で10年以上にわたり、島ならではの暮らし方や働き方の企画を数多く実践してきました。長年培ってきたノウハウや島内のネットワークを活かし、まさに島のコンシェルジュとして、このまちの地域資源と島外の人たちをつないでいきたいですね」
※「ワーク」(仕事)と「バケーション」(休暇)を組み合わせた造語で、観光地やリゾート地で働きながら休暇も楽しむ新しいライフスタイル、ワークスタイルのこと。
淡路島でブランド力を高め、都市部に進出する足がかりに
「Workation Hub 紺屋町」の事業者向けのプランは、すでに3社が契約済み(2021年6月現在/最大5社まで)。筆者が面白いと感じたのは、都市部の企業が自社ブランドを育てる地として淡路島に着目し、ワーケーション事業を利用している点だ。
「淡路島の人気がこの10年で高まり、メディアで取り上げられる機会が増えています。この〝淡路島ブランド〟に着目した企業がコンセプトショップを淡路島に出店し、島内で話題を集めたのち、都市部に展開する動きがあるんです」
一般には都会で人気ブランドに育て、地方に出る戦略が王道の気がするが、その逆だ。
「都会で新規ブランドを打ち出しても埋もれかねません。そこで淡路島でローカルビジネスを立ち上げ、〝淡路島のあのブランドが都会にやってきた〟と地方発のブランディングを戦略的におこなうんです」
一方で「Workation Hub 紺屋町」は事業者だけでなく、フリーランスなどの個人利用も可能だ。島外の人にとっては、島の新たな環境で働き方、暮らし方をメンテナンスできる機会となる。島内の人にとっては、働く場所を意図的に変え、いつもとは違う顔ぶれで新たな刺激を得たり、リフレッシュしたりできる良さがある。
「さらにコロナ禍の今、本格移住の一歩手前の暮らし体験の相談も多いです。当社の拠点を利用してもらえれば、僕たちが〝ハブ〟となって自慢のお店や人、場所をつないでいきますから、島の暮らしに自然と溶け込んでいけるはずですよ」
知らない土地にいきなり移り住むのはハードルが高い。ワーケーションを体験する中で島とのつながりをもち、本格移住の足がかりにできるメリットもあるのだ。
仲間が加わり、さらにワクワク倍増!
ワーケーション事業の模索を始めた2019年、仲間を大切にする富田さんにとって新しいスタートの一年にもなった。徳重正恵さんと玉井敬雅さんがシマトワークスのメンバーに加わったのだ。
「しげちゃん(徳重さん)は出身の神戸から2019年、淡路島に移住してきました。淡路はたらくカタチ研究島の研修に参加してくれたのを機に彼女と知り合い、その後も仕事をご一緒する仲だったんです。そんな中で将来チャレンジしたいことをお互いぶつけ合ううち、『いっしょにやろう!』と意気投合しました。来てくれてありがたいですね」
一方の玉井さんは淡路島のご出身。大学進学と共に京都に出て、大阪でエンジニアとして働いたのち、数年前に地元にUターンして洲本市役所に勤めていた。
「たまちゃん(玉井さん)はもともと呑み友だちで、市役所で楽しく働いていたのが印象的だったんです。あるとき仕事の相談を聞きながら、『じゃあうちにおいでよ』とお誘いし、メンバーに加わってくれました」
以降、3人別々の場所で仕事をしてきたが、Workation Hub 紺屋町ができたことでメリットも多いという。
「この拠点にいろんな人たちが集まることで、日常の中でセッティングされていない新たな出会いがあるんです。視野がより広がり、刺激をもらっていますね」
この徳重さんの言葉を受け、玉井さんはこう続ける。
「シマトワークスの新たなアイコンになってくれている面もありますし、仕事の打ち合わせの場としても活用できる。集まれる場所があるのは純粋に嬉しいです」
さらに富田さんは、「ワーケーション拠点の立ち上げから運営まで、この数年で積み上げてきた経験、ノウハウを今後に活かせる」と先を見据える。
「ワーケーションを検討している企業や組織からの視察の依頼が増えてきました。ワーケーションの立ち上げ支援を事業化し、淡路島と連携するなどのビジネスにも発展させたいですね」と意欲的だ。
仲間との時間を大切にする富田さん、ムードメーカーでファッションや商品開発に長けた徳重さん、プログラミングなどの技術に強い玉井さん――三者三様の個性を活かしたチームワークでワクワク感が倍増し、今後も仲間とともに楽しい企画をどんどん打ち出していく考えだ。
島内でビジネスモデルをつくり、島外でスケールさせる
さて、富田さんから話を伺い思ったのは、地産地消にとどまっていないこと。つまり企画力を活かして島の付加価値を高め、島外に発信する、あるいはその価値をもって外部から人を引き込み、結果として島に利益を落としている。
「ぼくたちが大切にしているのは、〝島内でビジネスモデルをつくり、島外でスケールさせる〟ことなんです。島内で商品やサービスを生み出し、経験やノウハウを蓄積したのち、島外でビジネス化する。島とともに仕事をつくる、この考えにブレはありません」
だからといって、富田さんは地域貢献を声高に謳うことはしない。それどころか、「地域に貢献するために仕事をしているわけではない」とも。やはり働くうえで大切にしているのはひとつ。
「自分や周りの人たちがいかにワクワクできるか。その結果として、島にも何らかの貢献ができれば嬉しいですね」
島とともに、仲間とともに、ワクワクしながら仕事を創り、その結果の利益が島にも落とされる。価値と利益の理想的な循環だし、淡路島以外の日本中の地方でも地域資源を活かすことで、実現可能なローカルビジネスの姿といえるだろう。
もちろん、シマトワークスのように会社組織でなければできないわけでもない。地方の個人単位でも、たとえ規模は小さくても価値を生み出し、利益を地元に引き込むチャレンジは可能だ。
淡路島は居心地が良すぎるからこそ、外への感度を高める意識も
淡路島に移住して約10年――。「島の暮らしはどうですか?」と富田さんに聞くと、「離れらない居心地の良さですね」と笑みを浮かべつつ答えてくれた。
「何か大きな理由があるというより、日々のプラスの積み重ねですかね。都会のスーパーでは買えない野菜をご近所さんや知り合いの皆さんからいただけたり、楽しいお店がたくさんあったり。生産者の顔が見える食材が日々食卓に並ぶ贅沢は何物にも代えがたいですね」
2015年に結婚し、奥様はライターとして活躍しながらカフェも運営する。2018年からは年の1か月を夫婦で海外に移り、観光地に居ながら遠隔で仕事をおこなうスタイルも実践してきた。コロナ前からのそんな経験も、ワーケーションに早期に着目した理由のひとつだ。
一方、島の居心地が良すぎるゆえの課題がある。
「それは外の目をもち続けることです。島の出身ではない僕には、外の目で島の魅力を再発見し、価値を結びつけて付加価値を生む、そして島外に発信する役割があっていると思っています」
だからこそ島にいても、外への感度は高めておきたい。
「そのために今後も新たな分野にチャレンジし、成長し続けたいですね」
働き方、暮らし方にオーナーシップを
コロナ後の10年を見据えたとき、「働き方、暮らし方にオーナーシップが求められる」と富田さんは言う。
「会社には就業規則があるように、働き方のスタイルをある程度は会社が決めてくれました。でもコロナでテレワークが広がり、今後も一定程度は定着するでしょう。これが意味するのは、〝働き方、暮らし方の選択肢が増える〟ことです」
テレワークで多くの人が感じたのは、自宅で働く難しさ。オンとオフの区別がつかない、家族が集まるリビングでは仕事に集中しきれない、つい子どもと遊んでしまう……家族との距離が近くなるのはすばらしい反面、家庭に就業規則があるわけではない。家族と過ごしながら、どう働くのかは個人の裁量にゆだねられる。
「だからこそ『自分はどうしたいのか?』の軸がないとブレてしまいかねません」
働き方と暮らし方の自由度が高まると、必要になってくるのが主体性だ。数ある働き方、暮らし方の選択肢から自ら選択し、豊かな人生を切り拓く力が求められる。
「その意味ではコロナ禍の今はチャンスです。企業にとっても、個人にとっても、働き方や暮らし方そのものを更新させるタイミングだからです」
さらに富田さんはこう続ける。
「逆に今、変われなければ、今後も変われないでしょうね。企業も個人も――」
コロナは古い価値観や常識を手放し、働き方、暮らし方をより豊かにクリエイトするための天啓なのかもしれない。富田さんたちが提案する新たな働き方、暮らし方が、コロナ後の当たり前になる日が案外、近いかもしれない。
(文・写真/スタブロブックス)