Profile
河野文孝
41歳 家具工房を営む 埼玉県出身
2016年に移住
「一の橋に来てから、人のことを『人間』って言うようになったんですよね。」
木屑が雪のように降り積もる工房の中で、河野さんは「なんでだろう」と笑った。
河野さんにとって、使い込むことで素材(木材)に付く傷と、人生を積み重ねてきた人の顔に刻まれたシワは似ていると言う。
河野さんが“妄想”する、これからの家具と人をとりまく世界とは。
一から全部、自分でできるモノづくりがしたい
もともとは普通のサラリーマンでしたが、やっぱりモノづくりがやりたくなって辞めたんです。
表現が出来る手段を探す中で、一から全部自分でできるものって何だろうと考えました。
家は無理だけど、家具なら製造から販売まですべてできると思い、選びました。
家具を作ろうと思っていろいろ調べてみると、いろんな手道具がある事を知り、バカみたいな話なんですけど「じゃあ手道具をつくるところから始めよう」と(笑)。普通はそこまでやらないんですけどね。
木工指物の塾に入って学び、その後は刃物屋さんに通い刃物研ぎを習得しました。
そこで家具作りを学べる北見高等技術専門学院を紹介してもらい、東京から北海道へ移住してきました。
家具づくりという視点では、長野県や関東を中心に考えていましたが、いざ道内を周ってみると、見たことない作風や思考に出会って驚きました。
なによりも、砂澤ビッキの作品には衝撃を受けて。
ダイナミックな削りの中に、繊細な内面をストレートに表現している。北海道にはいろいろと学べるものがあると感じました。
3,300人の町の、思いがけない豊かさ
卒業後は東川町の北の住まい設計社で働いたあと、家具作家さんについて修行し、愛別町の愛山ものづくりビレッジで家具工房「森のキツネ」を開きました。
その頃から下川町の友人との繋がりで、下川町の「まちなかアートフェス」に参加し、アーティストの紹介もしていました。
作業場を共有していた環境から個人の工房を持ちたいと場所を探していた時に、下川のNPO法人「森の生活」さんが広葉樹材の乾燥を始めたり、地域木材加工の会社さんが3Dルーターを取り入れたりという話を聞き、個人でものづくりを行うには良い環境だと思いました。
3000人弱の町で製材から乾燥まで行う事は珍しいんです。
暮らしている町の木材を手に入ることが出来るのは、僕にとっては理想的な町です。
いろんな産地の木が混ざってしまうと、山への関心が遠くなって、つまり自分が扱っている素材そのものが遠い存在になってしまう。
住んでいる町の山なら、気候、土壌、季節、そこにいる動物たちのことを知って作品づくりができるんです。
究極は、山を買って「この木は北斜面の木だから・・・」と木の性質を考えながら製材してモノづくりしたいくらいなんですが。
僕は今、ライフスタイルの変化に寄り添える家具を作っているので、必然的にシンプルな作品が多くなっていますが、自分の内面や正直な気持ちを家具にしたいという想いもあります。
でも自分の内面をぶつけるだけだと、人から受け入れられないモノになる。
これから山を知り、自然を知ることで、自分が媒介となって美しい自然の形が表現につながる表現と生活道具の両立を目指していきます。
自然の中で暮らし身に着けて来た技術を活かせば出来ると思うんです。
何かを始めたいと思った時に、話せる相手がいる
「森の寺子屋」という、町の有志が集まってアイデアを形にする勉強会が今年から始まりました。
そこで仲間といろいろと考えたり話したりしているうちに、ずっと引っかかっていたことが整理されて、新しい事業を始める決意ができました。
来年の春から「家具乃診療所」をオープンします。
場所は工房の近くの、元診療所。
ここをリノベーションし、生活道具を「直す、選ぶ、相談する」ことができる場所にしていきます。
家具をきれいにするだけでなく「この傷は残そうか」とか、これまでの使い方とか、これからの生活に合わせて変えていきたい箇所はどこかとか、今の家具やインテリアの好み(色やデザイン)はどんなものか──そういったものをお客様とお話して引き出しながら修理したり、作り変えたりしていきたいと思っています。
「診療所」というキーワードにはそんな想いを込めました。
家具には「つくる・売る」「修理する・作り変える」以外の道があると思っているんです。
僕の頭の中に浮かんだこの世界を形にするには、家具を作る以外のスキルを持った仲間が必要で、その仲間と一緒に歩んでいける環境を整えたくて、まずは「家具乃診療所」を立ち上げることにしました。
「家具乃診療所」は、作りたい世界への最初の一歩なんです。
下川のいいところは、こんな風になにか始めようと思ったときに真剣に話せたり、アドバイスをくれたりするような、頑張っている若手がいることですね。単純に「環境がいいから」だけでは移住しなかったと思います。今回のプロジェクトも、たくさんの人たちが応援してくれています。
今の仕事と並行しながらの新規事業づくりなので、もちろんいろいろと大変ですけど、応援に応えるられるよう結果にこだわっていきます。僕自身が、楽しみながら。