Profile
村上範英/能藤一夫
村上範英 50歳 広島県 2016年移住
能藤一夫 48歳 滝川市 2016年移住
「楽しみは、自分で探さないとね」と村上さんがつぶやくと、能藤(のとう)さんはふっと笑った。50年以上の歴史がある「阿部養鶏場」を札幌の企業が事業承継し、その会社から派遣されてきた二人。
知り合いがまったくいない地域で、試行錯誤を繰り返し、名前も変えて「(株)あべ養鶏場」を立ち上げてきたこの数年の苦労は計り知れない。
それでも、まちに関わりながら新しい価値を生み出していく想いと信念とは。
三次産業から一次産業へ。まったく知らない世界へ飛び込む
村上:僕が下川に移住してきたのは2016年5月です。勤めていた(株)イーストンが「阿部養鶏場」を事業承継するということが決まり、移住してきました。
能藤と会ったのもその年の7月ですね。その前はイーストンが経営する居酒屋チェーン「いただきこっこちゃん」の上野店を立ち上げた後で、ちょっとゆっくりできるかなぁなんて思っていたら、会社から「阿部養鶏場」をやってほしい、と言われて。
能藤:私は札幌で飲食チェーン店に勤めていましたが、あべ養鶏場に転職するという形で下川に移住してきました。
現在「あべ養鶏場」の従業員は私を含めて8名で、村上が営業、私が生産と役割分担していますが、最初は2人で阿部さんから養鶏について教えてもらいながら立ち上げてきました。
村上:僕も能藤も当然養鶏は、というか一次産業に携わるのが初めてでした。それこそ、鶏が一日に何回卵を産むのか、何を食べているのかもわからないところから。
移住してきて1年目は、ストップウォッチとメモをもって阿部さんについて歩きましたね。阿部さんが長年培ってきた経験と勘を、文字と数字に落としていってマニュアルにすることから始めたんです。
まずは現場を体験してみて、それを形にしていくというのが店舗の立ち上げの時にもずっとやってきたことなんで。
能藤:といいつつも、そんなにかっちりしたマニュアルではないんですよ。
一次産業は様々な要因で変化していくので、むしろ「良い加減」が大事というのがわかってきました。
その「良い加減」を見つけていくのが難しくて楽しいですね。
パっと電話がかかってきて始まる、つながりの場
村上:初めて来たときには、「わー田舎だなぁ」と思いましたけど、私も広島の島出身なので、まあこんな感じかなという程度でした。
ただ最初戸惑ったのは冬の生活ですかね。ストーブをつけっぱなしで外出するってどうにも慣れなくて。
能藤:下川の街中は「こんなもんかな」と思いましたけど、街中から離れている養鶏場の場所には、さすがに驚きましたね。
山のふもとにポツンと建物があって、『北の国から』の世界だなぁと(笑)
村上:下川の人たちには本当にいろいろと助けてもらっています。
最近だと2018年の胆振東部地震、道内全域が停電したブラックアウトの時です。
養鶏場があるエリアも停電して、結局3日間復旧しませんでした。停電が数日続けば鶏が全滅してしまいます。
1日目に町内を回っていたら、自家発電をお持ちの方がいて。
「貸してください!」とお願いしたら「いいよ」と快く応えてくれ、しかも養鶏場までわざわざ運んでくれたんです。あの時は本当に助かりました。
能藤:商工会の人たちが、よく声をかけてくれるんですよ。
飲み会もそうですし、「ウチの庭でジンギスカンやるから、いまから来いよ!」なんて電話がかかってきたりして。「え・・・まだ5時半で仕事中ですけど・・・なんとかします!」とか言いながらね(笑)
村上:商工会には「転勤者の会」という交流会が月1回あって、そこでいろんな人たちとつなげてもらってました。
まずは下川の人たちと仲良くなろう、と。そのうち移住者や地元の人が集まる月に1回の交流食事会「タノシモカフェ」も始まって、そちらの方にも参加するようになりました。
手伝いたいと志願して、どうやったら人が来るかな、なんてアイデアを出し合ったり、僕の故郷の広島風お好み焼きを焼いたりしてね。
能藤:村上が行けない時には私が出るようにして、毎回、少なくともどちらかは参加するようにしています。
村上:タノシモカフェは若手の移住者が中心で、「転勤者の会」は重鎮たちが中心なんです。
僕はどちらにも参加していたので、この二つをつなげるのは僕の仕事かもしれないと、思っています。
積極的に、商工会の方々をタノシモカフェに誘いました。いまは世代も多様な、毎回30人以上は集まる会になりましたね。
最近、レジェンド・葛西を生み出したスキージャンプ少年団にも卵を差し入れしているんですが、それはこのタノシモカフェのつながりから実現したんです。
「あべ養鶏場」の卵を食べてオリンピックでメダルをとりました、なんて言ってもらえると嬉しいですよねぇ。
卵づくりに関わる全ての人をハッピーにしたい
村上:これまではフランチャイズの店舗立ち上げを全国でやってきましたが、仕事が店づくりから会社づくりへ変わり、視点も変化しました。
もちろん大変ですけど、楽しくもありますね。
2016年の1月に、先代の阿部さんから養鶏場を事業承継することが決まって、2017年10月には「阿部養鶏場」時代に販売されていた「酵素卵」を、「下川六〇酵素卵」と名前やデザインを変え、リブランディングしています。
「味香り戦略研究所」で道内9種類の卵と比較して、臭みがなく黄味の糖度がフルーツトマト並みに高いことがわかり「はじめあっさり、うまみの余韻」というコピーが生まれました。
能藤:卵自体は、基本的に先代から変わっていないんですよ。
丁寧にしっかり手をかけると、おいしさが安定するというシンプルなことでしかなくて。
生産部門の責任者として、この1〜2年は先代のやり方をしっかり受け継いできたので、これからは餌の材料にもっとこだわり、食の安心・安全を高めていきたいですね。
下川の農産物も使えるんじゃないかと思っています。
村上:僕は営業の責任者でもありますから、下川の卵が楽しめる商品や場をどんどん生み出していきたいですね。
この数年で、札幌のデパ地下に並ぶようになりました。10個ワンケースで600円近くする卵が、きちんと売れていくんです。
昨年からジェラート、プリン、チーズケーキなのと加工品も開発・製造しています。直近は燻製卵ですね。
卵をいろんな形で味わってほしいという気持ちもありますが、ハネ品もたくさん出るので、生産者・経営者視点で考えると加工品の開発は大事なんです。
商品開発は、僕のこれまでの経験が生かせる分野ですし、楽しくやっています。
能藤:私も村上も、飲食店、三次産業から一次産業に入ってきています。
このパターンはあまり多くないですし、やっぱり苦労もたくさんあります。
ですけど、最後は生産から加工までという6次産業もやりたいから、一つひとつ積み上げていくことができるんです。私たちの強みはやっぱり三次産業で培われたマーケティング力。
おいしい農産物を作るだけでなく、それをきちんと市場に合わせて加工し、見せて、伝える力です。新しいチャレンジは、不安もありますけどおもしろいですね。
村上:最近、「あべ養鶏場」の経営理念ができたんですよ。
1年以上、能藤と話し合ってきたんですがなかなか定まらなくて。
それが先日、2人で車に乗っているときに「卵づくりに関わる全ての人たちのハッピーのために」というフレーズを思いついて。お客様、従業員、取引先、下川町、みんなのハッピーを考えていきたいです。
今後は養鶏業を企業としてしっかり経営し、町にしっかり雇用を生み出していける会社になっていきたいですね。
街の人に助けてもらった恩返しとして、町を元気にしていきたです。
能藤:あと、鶏のハッピーももちろん考えていかないとですね。