キセログラフィカ、ドゥラティ、イオナンタ イオナンタ……


一体、なんの魔法の呪文……?

実は全て、エアープランツと呼ばれる植物の品種名だ。

三重県御浜町・尾呂志地区。山間部の集落に広がる田園風景は、どこか懐かしい気持ちを呼び起こす。そんなごく普通の田舎の風景の中に、めずらしい作物を手掛ける、一風変わった農家がいる。

紀伊山地の山々の間に拓かれた集落、尾呂志地区

芝崎 裕也(しばさき ひろや)さん(61歳)は、御浜町尾呂志で生まれ育ち、エアープランツ栽培を手掛ける「南紀グリーンハウス」を経営して26年。今回のインタビューのために、まるで展示会の様に飾りつけたエアープランツと共に、温かく迎えてくれた。

不思議な植物、エアープランツ

エアープランツとは、空気中の水分を取り込んで育つ植物。近年、観葉植物と共にインテリアとして人気を集めている。パイナップル科の着生植物で、原産地はグアテマラなどの中南米諸国。

普通、植物は土に根を張り、土の中の水分や養分を吸って成長するが、エアープランツは土が不要で、樹木や岩などに着生して成長していく。太陽が沈むと、葉っぱの中にある気孔(穴)を開いて空気中の水分を取り込んで成長する、ちょっと不思議な植物だ。

小学生の頃から、父母に連れられて田んぼへ足を運び、農作業を手伝っていた芝崎さんは、実はアメリカ帰りという経歴を持つ。高校卒業後、三重県の農業大学校へ入学。そこでアメリカの研修制度があることを知り、覚悟を決めて2年間、アリゾナ州のサンキストの関連農場で柑橘を専門とした研修を受けた。同時に、カリフォルニアの大学で専門分野も学んだ。

アリゾナ州のユマで働いていた頃。夏はうだるような暑さの、乾燥地帯

「アメリカへ行く前と後の人生観や農業に対する考え方は、180度ガラッと変わりました。現地では日本の学校で習ってきたものを完全に否定されて。日本ではなかなかマネできない規模のアメリカのダイナミックさ、全てに圧倒されました。農業のあり方が大規模であろうが小規模だろうが、儲かるキーワードはたくさんあるんだということを学びました。実体験を通して、教科書にはない応用問題ばかりを紐解いていくような農業体験でした。それが今も活きています」

アメリカから帰国後、日本にいた先輩から「新しい貿易会社を作るから手伝ってほしい」と声を掛けられ、入社を決意。若い社員たちが大勢いるような、大きな商社―わくわくとイメージを膨らませて訪れたオフィスは、学生アパートの一室。そこにいたのは社長と所長の2人だけで、芝崎さんはなんと最初の社員だった。この一室から、怒涛の営業マン時代が幕を開けた。

「社長から『スーパーマンになってほしい』と言われました(苦笑)。園芸商社だったので、全国の花の農家と一緒に仕事をして、最初3人だった会社が、300人近くの大きな会社になりました。シクラメンの種やバイオの苗、蘭など1,800種類以上の植物を扱っていて、営業範囲も北海道から沖縄と全国規模でした」

 

アメリカで培ったチャレンジ精神と、タフな身体。帰国後、「なんとかなる」という自信だけはあったという。ところが、実際に仕事をし始めると、そこには勢いだけでは「なんとかならない」世界があった。

「柑橘から花(園芸商品)だったので、同じ植物だろうと思ってたら、大間違いでちんぷんかんぷん(苦笑)。自分の能力の無さに頭を打ちました。それから必死に勉強して、半年で園芸業界のことを学びました」

社長と近い距離で仕事をすることで、経営的な視点も学んだ。泥臭い努力を重ねながら、飛ぶ鳥を落とす勢いで販売し続けた。「芝崎の通った後には、草も生えていない(根こそぎ注文を取っていってしまうから)」と名が立つほど、スーパー営業マンとして11年間、腕をふるった。

「観葉植物は全国的にブームで、インドアプランツの生産者は全国に約6,000人ほどいますが、その中で第一号の集荷難民の認定を受けた人が僕です。田舎すぎて集荷に来てくれない(笑)。そんな環境下で、全国に送れるものがエアープランツしかなかったんです。

持ち前の機転の良さで、取り扱う植物を変更。エアープランツの発送は、大手運送会社2社の宅急便を使って出荷出来ることになり、一安心だった。ところが、さらに大きな試練が待ち受けていた。できたばかりのハウス内が南米から輸入したエアープランツで満室になった頃、芝崎さんに脳腫瘍の疑いが発覚したのだ。

 

「自分はもう死ぬかもしれない。何とかして売るシステムを作らなければ」


精密検査までの1週間。絶望する間も無く、腹を括るしかなかった。全国の主要市場へ毎日、朝から晩まで電話をかけて営業を行った。それまでに築き上げてきた人脈と信頼で、商品は飛ぶように売れ、在庫を一掃した。そして、商品を販売するのと同時に、配送システムまでをも1週間で作り上げた。

 

幸運にも、精密検査の結果は異常なし。

「自分が明日死んでもシステムはあるから大丈夫」と、追い詰められた当時を振り返る。

波乱を含んだ幕開けの先には、エアープランツと地域特有の自然の営みとが深く絡み合う、驚くべき良縁が待っていた。御浜町・尾呂志地区には、秋から春にかけて、朝晩の気温の寒暖差によって巨大な朝霧「風伝おろし」が発生する。エアープランツは、夜露や朝霧が生み出す適度な水分と風を好む植物。北風を伴った湿度の高い霧は、エアープランツにとって最高の自然のシャワーとなった。エアープランツ栽培をするには、最高の自然環境があったのだ。

農業の神様に導かれた」と、逆境を乗り越えた農家×経営者は、朗らかに話す。

山の向こうで発生した霧が風によって山の谷間の峠を越え、塊となって山肌を流れ落ちる現象「風伝おろし」

現在、日本一のエアープランツの取扱量を誇る南紀グリーンハウス。実家の農作業、アメリカ研修、商社マン、起業。自身で道を切り開き、努力を惜しまずベストを尽くしてきた。

「商社時代は世界中の国へ行って営業開拓していくのが仕事だったので、こっちに帰ってきてそれをやるのに全く抵抗が無かった。悩んでる暇なんてないから前に進もうというのが自然にインプットされています

 

ここで、背景を飾る賑やかなエアープランツの話に。みかんなどの食べ物の場合は食べながら五感で楽しむものだが、植物の場合は主に目で楽しむもの。「いかにその植物を良く見せるか」が販売の命運を分ける。

農業というのは、クリエイティブな商売なんです。農業経営をデザインすることは、販売・営業も含めて全てに言えることです。例えば、今ここの撮影に至るまでにすごい時間をかけてディスプレイしてますよね。まさにそれで、特に花の業界っていうのは視覚がメインになるので、このエアプランツをいかに良く見せるかっていうデザイニングをしてるんですよ。とにかく販売・展示・情報発信するデザイン力。1つの商品をいかにして売るかを考えて、数字で結果を出すことを常に意識しています」

 

InstagramなどのSNSを活用し、エアープランツの魅力発信も積極的に行っている

 

小さなサイズのエアープランツは、ミニチュアと飾って自分だけの世界を描く楽しみも

 

 

御浜町で農業経営をする中で、後継者不足を憂うこともあるそうだ。

「農業=儲からないという先入観がある人もいて、農家が大勢いる中でも後継者がいないっていう厳しい現実もある。自動的に儲かる農業なんて存在しないから、クリエイティブなことをやらないと。時代の変化に合わせて、どうすれば農業経営が成り立つのかを考える。農業で生業を立てる自信と覚悟があれば、絶対に農業で飯が食える。覚悟があって、農業経営学をちゃんと勉強すれば、儲かる農業は絶対できる、と僕は思います。」

覚悟をもって前に進んできた人だからこそ、農業経営の厳しさを知っている。その眼差しからは、生半可な気持ちでここまでやって来たのではないことが伺えた。

次世代に、花のバトンを渡す

農業という世界の階段を、一段一段、自らの足で力強く踏みしめて登ってきた芝崎さん。自分が置かれた環境で手を抜かずに、極めていく地道さとがむしゃらさを持つことは簡単ではないが、彼は逆境をチャンスに変えてしまう。コロナ禍という逆境も例外ではない。

「コロナ禍の前は1年の1/3は国内・海外と外に出ていたのが、一気にゼロになってしまった。それまで得意としていた対面での営業ができなくなってしまったので、オンラインでライブ配信をするなど、工夫をこらしました。結果、売上も回復できて、山奥のこの場所でもリモートでの営業ができた。田舎であっても、新しい時代の営業スタイルを確立できたのは、新たな武器になったと思います

今後の夢については「いっぱいあるなあ」と悩む芝崎さん。本業以外のライフワークとして、近年はクマノザクラに夢中だそうだ。クマノザクラは、紀伊半島で約100年ぶりに発見された野生種の桜。華奢な枝ぶりと小さく可憐な淡いピンク色の花が、御浜町の春を彩る。

 

御浜町上野に咲く、クマノザクラ

 

「クマノザクラに関しては、種の保存も含めて、自分のできる限り保護・保全をしていきたいと思っています。仕事に関しては、後継者問題。自分の持っている貿易・営業・実務(植物の管理能力)の全ての知識や手法を、いかにうまく次の世代にバトンを渡していくか。僕が今新たに作っているオリジナルのエアープランツの品種が、どんな花を咲かすのかが分かるのは20年後(交配してから1つの個体として品種固定されるまでにこれだけかかる)。
今60歳だから、80歳。それを次世代がエアープランツの新種として伝えていってくれたら、こんなに嬉しいことはないな、と思います」

アメリカ帰りの元スーパー営業マン。今は、田舎暮らしのエアープランツ農家。様々な顔を持ちながら、「困難な状況でも、とにかく前を向いて進む」という姿勢を貫いてきた。

「農家にゴールはない」と語る芝崎さん自身の人生そのものが、次はどんな花を咲かせていくのかが、楽しみだ。

 

芝崎さんの「南紀グリーンハウス」のWebサイトはこちらから

(2021年11月取材)

芝崎さんの移住ストーリーを動画でもお楽しみください↓

 

▼御浜町へ移住して、マイヤーレモン農家になった田中さんの物語▼
▼御浜町へ移住して、みかん農家になった仲井さんの物語▼▼御浜町へUターン移住して、みかん農家になった山門さんの物語▼

▼愛知県から移住して、みかん職人になった寺西さんの物語▼

 

↓ 御浜町でのみかん作り・農家の物語 ↓