【しまね移住女子ブログ】小山亜理沙 vol.1
はじめまして。『しまね女子ブログ』で隠岐担当をさせていただくことになりました。
隠岐・西ノ島の小山亜理沙です。千葉県から移住して9年目になります。西ノ島が好きなので、西ノ島の記事が書けて嬉しいです。
自分なりの目線で、西ノ島での暮らしや仕事についてご紹介していきます。西ノ島や隠岐諸島の紹介を読んで、まずは遊びに来てもらえたら嬉しいです!
【自己紹介】
元生物教員で、今は雑貨屋・カフェ『あそびとくらしの店 海月堂』の店長をしています。
お店を起点に、いろんな出会いやイベントが生まれていったらいいなと思っています。
生まれも育ちも千葉県千葉市で、島根とは縁もゆかりもありませんでした。
生物学・農学を大学院で専攻し、卒業後は千葉県内の私立校や公立校で非常勤講師をしていました。
隠岐島前教育魅力化プロジェクトを知ったのがキッカケで夫婦で2015年に西ノ島町に移住し、島根県立隠岐島前高校で常勤講師、同校の教育魅力化コーディネーター、西ノ島町の教育魅力化コーディネーターを務め、フリーランスになって複業生活(教材開発・家庭教師・塾講師・プログラミング講師・バスガイド)を始めました。
その頃『あそびとくらしの店 海月堂』の構想を固め、2020年3月から移動販売をし、2023年3月からは実店舗で営業しています。
【移住までの経緯、移住前の暮らし】
教員時代はプログラマーの夫と千葉県内で二人暮らしをしていたのですが、その土地にずっと住み続けるイメージが持てていなくて、日々忙しいけど「精神的にヒマ」な状態でした。
生物の教師という仕事は楽しかったのですが、生活全体で自分の大事にしたいことや価値観から、なんとなくズレを感じていました。生物学を教える自分が、都市部育ちであまり自然体験がないこともコンプレックスでした。
また、生徒たちと関わる中で、やりたいことではなく偏差値で進路を決める子が少なくないのも気になっていました。卒業時に「私は●●学科に進学するけど、全く興味がないんです」と泣く生徒を見送ったこともありました。
もっと生徒のやりたいことを尊重する進路指導ができないかなぁ、と考えるようになりました。
【移住を決めたきっかけ】
ある先生からの「20代だったら移住してるな」の一言がきっかけです。
移住しようとしたときは、キャリアの通過点という感覚でした。
教員時代はやりたいことと自分の実力の差に落ち込むことがよくありました。
夫から「落ち込んでいても何も変わらないから、何かアクションしてみたら?」と、以前参加していた教員向け勉強会への参加を進められました。
参加者のレベルが高く気後れすることも多い勉強会ではありましたが、専門分野の生態学では参加者の方から頼っていただく場面も増えて、段々と勉強会も楽しくなりました。
その勉強会の中で出会ったある先生が、
積極的に「海士町」と「島根県立隠岐島前高等学校」の紹介をしていました。
「今、離島の教育が熱い!
まちぐるみで教育している。
生徒のやりたいことに根ざして教育が進められているんだ!
まぁとにかくさざえカレー食べなよ!
あとこれ、町長の本ね!」
いわゆる“布教”ってやつですね。笑
その先生は仕事つながりの方が既に海士町で教育魅力化プロジェクトに参加していて、自分も移住して参加したいなぁ、というお話でした。
気になったので調べてみると、
海士町は町全体でいろいろな町おこしに取り組んでおり、
隠岐島前高校や隠岐國学習センターを含めた隠岐島前教育魅力化プロジェクト(当時は隠岐島前高校魅力化プロジェクト)は明確なビジョンを掲げて教育に取り組んでいるとのことでした。
その地域ならではの資源や文化を教育に活かそうとしていること、
生徒のやりたいことを中心に進路指導をしている点に私も共感しました。
自分が今の生活でできていないことが、島の学校で、島の生活でできるんじゃないかと思ったのです。
また、“布教”の中でその先生が
「自分が20代だったら、絶対行ってるなー。」
とお話していて。
聞いていた私は20代だったので、
「あ。私 20代じゃん。行っちゃう?」
と思ったのが移住のキッカケですね。
終の棲家ではなく、キャリアの1つとして選択しても良いのではというお話もあったような気がします。まぁ2−3年行ってみるか、という感じのある種の気軽さがありました。
結局移住後に子どもを3人授かり、島でやりたいことも増え、住まわせてもらって9年目に突入しています。
ちなみに、中ノ島(海士町)に移住する気満々だったのですが住居の都合で隣の西ノ島(西ノ島町)に住み、海士町へは船通勤していました。全く視野に入れていなかった西ノ島への移住でしたが、「これも何か意味があることなんだろう」と思い直すことにしました。西ノ島には西ノ島の良さがあり、その後職場も西ノ島に移すことになりました。
【移住先を島根県に決めた理由】
魅力的な職場がたまたま島根県の離島でした。
そのとき“布教”されたのが東北の山奥だったり、九州の農村だったら私はそこに行っていたかも?しれません。
ただ、千葉県育ちで両親の田舎が館山にあり、何となく山よりは海の人だったのかも。
また、調べて「案外便利な離島」だったのも移住のハードルを下げてくれました。元々離島暮らしや田舎暮らしにはほとんど興味がなかったので、離島レベルが激高だったら踏みとどまっていたかもしれません。
1日に3〜5便(冬は2便)は本土とつなぐフェリーがあり、2時間半ほどでつきます。本土側も県庁所在地の松江や米子空港(鳥取県)までバスで40分程なので、案外アクセスが良いんです。
このあたりは個人差が大きいので、「そっか案外近いね」と言う人もいれば、「遠すぎるわ」という人もいるかと思います。
以上がプロローグになります。
移住前と比較した普段の生活や、島の中で転職を繰り返しながら感じたこと・考えたことなどご紹介できればと思っています。隠岐代表!ということで、西ノ島だけでなくお隣の海士・知夫・隠岐の島についてもお伝えできたらいいな。
個性豊かな4島を行き来できるのも、隠岐の魅力の一つです。ではまた、次回の記事でお会いしましょう!
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【名前】小山亜理沙
【居住市町村】西ノ島町
【UターンorIターン】Iターン
【移住前の居住地(都道府県)】千葉県
【年代】30代
【お仕事】
雑貨屋&カフェ『あそびとくらしの店 海月堂』店長
隠岐デジタルラボ アナログ担当
【好きなこと】
散歩 漫画 音楽 おいしいものを食べること
【Love shimaneとしてひと言】
目も耳も ノイズレスな生活の快適さ 過ごしてみないと気付けません
勢いで遊びに来ちゃいなYO 隠岐は4島周ってMy島を見つけたらいいYO
春〜秋がオススメだYO(冬の隠岐にもコアなファンがいます)
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