• 出身地と現在の居住地
    埼玉県さいたま市見沼区→富岡町
  • 現在の仕事
    大熊町復興支援員で地域活動拠点「KUMA・PRE」の運営スタッフ
  • 移住後を決めたきっかけ
    まちづくりの仕事がしたかったから
  • 移住後の変化
    好きなことに主体的に動くことができるようになった

2023年6月に富岡町に移住した角田涼太さんは、大熊町復興支援員で地域活動拠点「KUMA・PRE」の運営スタッフとして働いています。首都圏での暮らしに刺激を感じられなくなったことをきっかけに、自分が本当にやりたいことと向き合い、走り出した角田さん。移住後に感じた変化とは、どんなものなのでしょうか?

移住体験ツアーに2回参加し決断

――移住を考えるようになったきっかけを教えてください。

もともと都内のホテルで経理の仕事をしていました。一人暮らしだったのですが、金銭的な余裕があまりなく埼玉県さいたま市の実家に戻って通勤するようになり、生活に刺激がなくなってしまったんです。都内で闇雲に転職活動もしていたのですが、ことごとく落とされてしまって。鉄道が好きで、地方によく足を運んでいたので、これからの人生で本当にやりたいことは何なのか考えるうちに、地方でまちおこしの仕事がしたいと思うようになりました。

――福島で仕事をしたいと考えたのはどうしてですか?

2021年に、全線再開したばかりの常磐線での旅の道すがら、大熊町のJR大野駅で途中下車したことがありました。当時の駅周辺は避難指示が解除されたばかりで、どんな様子なのか漠然と興味があったんです。その時の大野駅は生活の気配がなく、建物を壊す音と電車が走る音だけが響いていました。まちおこしの仕事がしたいと考えた時にそのことを思い出し、福島の復興に自分がどう携わっていけるのか、チャレンジしてみたいと思うようになっていきました。

――移住を決めるまでの経緯を教えてください。

検討しはじめた段階では、福島のどこに移住するかはっきりしていたわけではありませんでした。まずは福島県浜通りのことを知ろうと、2022年7月に、ふくしま12市町村移住支援センターの移住体験ツアーに参加しました。南相馬市と浪江町で、震災の爪痕や新しい施設、お試し住宅などを見て回り、移住者の受け入れを積極的にしていることを感じました。

その半年後には、原発が立地するまちを見たくて「ふくしま12市町村移住サポーターガイドツアー」で大熊町に訪れました。町民の皆さんと関わる中、まちにすごく誇りを持って楽しく暮らしている姿が印象的で。大野駅に初めて降りた時とはまた違った、まちの深いところに触れられたような気がしました。それで、人生一回だしやりたいことをやってみたい。このまちのために何かしたいと、大熊町に関わっていきたいという気持ちが固まったんです。

車なしの生活を前提にした住まい選び

角田さんが勤務するKUMA・PRE

――お仕事はどのように決めたのですか?

まちおこしの仕事というと、地域おこし協力隊のイメージがありました。しかし、大熊町には制度がなく、かわりに復興支援員という枠組みがあります。大熊町のツアー直前に東京で参加した移住イベントで、おおくままちづくり公社の採用担当の方から復興支援員の話を聞けていたのも大きかったです。採用面接を受けて、2023年の3月に内定、その年の6月から働き始めました。

――普段はどんな仕事を担当していますか?

株式会社バトンへの出向という形で、大野駅近くにある地域活動拠点「KUMA・PRE」で働いています。KUMA・PREは、大野駅西口の再開発を担当しているUR都市機構が所有する施設で、再開発の情報を発信し、にぎわいの創出に向けたイベントを企画したり、廃炉のいまを知る講習会など、外部団体がイベントを行う会場として提供しています。僕はそこで、来訪者に大熊町のことを伝えたり、InstagramやX、noteといったSNSの運用、イベントのチラシ配布などを担当しています。UR都市機構のスタッフはまちづくりのプロなので、一緒に働くことで学べることが多いです。

この日はnote「大熊町情報note」を更新。町内のイベントなどの情報を発信している

――職場がある大熊町ではなく、富岡町に住むことを選んだのはなぜですか?

車を持たずに移住したからです。大熊町にも住宅はたくさんあって、町の支援金もあり条件的には良かったのですが、スーパーがなく診療所の診療日も少ないこともあり、車がない中で初めて地方暮らしをする身としては万が一のことを考えた時に不安があって。かなり悩んだのですが、まずはスーパーや診療所から近い隣町の富岡町にアパートを借りて、常磐線で2駅10分の電車通勤をすることにしました。運転免許は持っているので、車が必要な時はJヴィレッジや双葉町まで電車で行って、カーシェアを利用します。大野駅でも「まあちゃん号」というかわいい電気自動車が借りられるので、車のない生活に今のところ不便はしていません。

大野駅で借りられる「まあちゃん号」(写真=角田さん提供)

電車の本数は少ないですが、実家にいたときは通勤に1時間ほどかかっていたので、本当に楽になりました。余裕を持って生活できていると感じます。

好きなことに主体的になれるようになった

――移住して良かったと感じるのは、どんな時ですか?

人との関わりが樹形図のように広がっていく感覚がおもしろいです。最初に富岡町の方とつながりができたのは、町の復興計画を話し合う「町民ワークショップ」でした。富岡町の移住相談窓口を運営している「とみおかプラス」が毎月1回開いている町民飲み会は、町民も移住者も関係なく話ができる機会になっています。町外でも、イベントに顔を出すと知り合いに会えたり、何かしらのつながりができるのも楽しいですね。最初はこうした会に参加するのも緊張しましたが、行ってみると「どこに住んでるの」とか「普段は何してるの」とか、話題を振ってもらえるので入りやすかったです。

同世代を含め、年齢も性別も関係なく知り合いが増えたことは、生活が充実している要因の一つです。埼玉にいた時は、人との関わりってそこまでなかったし、僕自身も他人にあまり興味がなかったんです。でも、ここで暮らしている人は、みんなそれぞれ何かしらの思いを持ってここにいて、みんなが助け合って楽しく生きている。だからこそ人に興味が沸いてきて、心を許せる人も増えていると感じます。

――ほかに、移住前後で感じる変化はありますか?

鉄道好きの仲間で「大熊町鉄道部」というコミュニティを作りました。最初は5人だった部員が近隣や県外にまで広がり、今は24人に増えました。普段はインスタで電車の写真を投稿しているのですが、活動の場が広がっていき、今はJR東日本さんと一緒に、KUMA・PREで子どもたち向けの鉄道イベントの企画も進んでいるんです。

僕自身、これまでは言われたことをやるような、受け身のタイプでした。でも、ここで暮らしている方たちは、好きなことに主体的に動く人が多いと感じていて、自分も自然と動くようになっていきました。それはこっちに来てからの大きな変化だと感じます。

――これからどんな生活をしていきたいですか?

福島に来てからいろんな経験をして、人生で一番の大冒険をしている感覚があります。地方で暮らすことも、コンビニが24時間開いていない感覚も初めてのこと。仕事で町長にインタビューしたことや、鉄道部の活動もそうです。復興支援員の活動は、1年ごとに契約が更新されます。この先いつまでこのまちにいるのか、そこまではまだ考えられないのですが、まずは目の前の仕事やプライベートを楽しみながら生活していきたいです。

――最後に、移住を考えている人へメッセージをお願いします。

大熊町や富岡町は車社会ですが、僕のほかにも車を持っていない方や電車通勤をしている方はいます。職場イコール住む場所ではなく、自分の生活しやすい環境で住まいを選ぶという考え方もありですし、僕自身も不便なく暮らせています。僕が仕事をしている大熊町、住んでいる富岡町は人が温かいし、本当に住みやすい良いまちです。ぜひ来ていただけると嬉しいです。

角田 涼太(つのだ りょうた) さん

1995年、埼玉県さいたま市見沼区出身。大学卒業後、首都圏のホテルで経理の仕事をした後、2023年に富岡町へ移住。大熊町復興支援員として2年目。株式会社バトンに出向し、KUMA・PREの運営に携わっている。大熊町鉄道部の部長として常磐線の魅力を発信中。

※所属や内容は公開当時のものです。
文・写真:五十嵐秋音

※本記事はふくしま12市町村移住ポータルサイト『未来ワークふくしま』からの転載です。