• 出身地と現在のお住まい
    神奈川県相模原市出身→東京都渋谷区→大熊町
  • 現在の仕事
    オンライン教育プログラム「ミーツ・ザ・ワールド」の運営
  • 移住後の変化
    圧倒的に友だちが増え、事業の幅も広がった

スタートアップ企業「in the Rye株式会社」代表の沖野昇平(おきのしょうへい)さんは、2023年に大熊町立「学び舎ゆめの森(以下、ゆめの森)」での事業採択をきっかけに東京・渋谷のオフィスから大熊町に会社を移転。ご自身も移住しました。町の人とつながるために趣味ではじめたラジオ配信は、半年でゲスト100人を迎えるなど人気番組に。町の暮らしをエンジョイしながら事業を展開する沖野さんに、移住のきっかけや大熊町から目指すものについて伺いました。

大熊と世界をつなぎ、子どもたちの可能性を広げたい

――現在、大熊町で行っている事業について教えてください。

“世界中の人と1ヵ月に1ヵ国ずつ出会って友だちになる”をコンセプトにした、オンライン教育プログラム「ミーツ・ザ・ワールド」を運営しています。

いま、不登校をはじめとする子どもの適応障がいやネット依存が増えています。子どもが健やかに成長する過程では、幼いころから多様な人とのコミュニケーションが大切です。さまざまな人と出会い、関わる体験は、子どもの主体的な成長の後押しとなります。そこで、世界中の人と交流できるこのプログラムを立ち上げました。

現在ゆめの森では、毎月3つの国・地域から子どもたちが好きなゲストを自分で選び、交流する形でミーツ・ザ・ワールドを行っています。通常のプログラムでは月に1人のゲストを紹介しているので、より多くの出会いがある点で”日本最先端のミーツ・ザ・ワールド”といえます。今月は、台湾、インド、アフガニスタンの3つ。それぞれの国・地域の人に「どんな食べ物があるの?」「どんなお仕事をしていますか?」と積極的に質問する子どもたちの姿が印象的でした。

――どのような経緯で大熊町に移住したのですか?

ゆめの森の関係者と知り合い、同校が探究学習を軸に主体性を重視した教育を目指していることを知りました。その情熱に感化されたことがきっかけです。

私は、どの子も平等に“教育は贅沢であるべき”だと考えています。習い事や塾といった学校外での学習の場が豊富な首都圏の子どもたちだけでなく、大熊町のような地方でも世界とつながるきっかけをつくり、子どもたちの挑戦を後押ししたいと考えています。正直、東京から私の目指す世界が広がるイメージが沸かず、大熊町のほうがチャンスがあると思ったことも移住を決断した理由の一つです。

――大熊町のどこに「チャンス」があると感じたのでしょう?

大熊町は、人口減少や少子高齢化など、日本の社会課題を象徴するような課題先進地です。日本は、2050年に超高齢社会になり働く人口が減少すると言われています。今、一度は人口がゼロになった経験を持つ大熊町で事業を成功させることができれば、2050年を迎えても通用するのではないかと思います。

また、将来的にはウクライナやパレスチナ自治区・ガザの子どもたちにもミーツ・ザ・ワールドを提供したいと考えています。その一歩目として大熊町からスタートすることに意義を感じました。

町を知るために始めたラジオが人気に!

ラジオ配信は大熊インキュベーションセンター内にある放送室から行われている

――ラジオ配信「福島県大熊町のオールナイトローカル」が話題を呼んでいますが、なぜ始めようと思ったのですか?

移住してきたばかりの頃に、「この町にはラジオ局がないな」と思ったんです。ラジオ局がある町って、なんだか豊かな感じがするじゃないですか。まだ知り合いもいなかったですし、町の人に話を聞いてみたかったので、自分が知りたいことを発信しようと2023年12月から「Spotify」のポッドキャストで配信を始めました。

――どのような番組なのか教えてください。

オフィスとして借りている大熊インキュベーションセンター(以下、OIC)内で働く仲間や町内でキウイフルーツ栽培を目指す若者、町の歴史を研究する役場の職員さん、インターンシップで町に来た大学生など、大熊町で活動するさまざまな方をゲストに迎えてお話を伺っています。

たとえば、「大熊のあの頃」をテーマにゲストに歴史や思い出を話してもらったり、「宅飲みラジオ」と称して、自宅で飲みながらラジオ配信することもあります。また、公益社団法人福島相双復興推進機構の皆さんに福島の復興がどう推進されているのかを伺うなど、幅広くゆるく、自分自身がラジオを楽しみながら配信しています。特に力を入れているのは防災について。番組内では毎月11日に、素人ながらもこの町の防災について探究していく「おおくま防災ラジオ」を配信しています。

基本は「テキトー、ノーカット、その日出し」です。収録した音源は編集せずに生の声として配信しています。半年足らずで100人以上のゲストに話を聞き、配信することができました。

――ラジオを始めたことで、ご自身や周りに変化はありましたか?

自分のために始めたラジオでしたが、だんだん“町のために”という意識が強くなってきました。

町の人たちから「聴いたよ!」「今度はいつやるの?」と楽しみにしている声をいただいたり、「イベントの告知をしたい」という要望をいただくことも増えてきました。好きなことで始めたことが人の役に立っていることがうれしいです。

移住して、圧倒的に友だちが増えた

――オフィスとしてOICを利用されていますが、実際に入居した感想を教えてください。

設備はキレイで充実していますし、シェアオフィスの月額が3,000円(※)とコスト面でもとても助かっています。意外だったことは、圧倒的に友達が増えたことです。OICでは月に一回、入居企業の方々と交流できるランチミーティングがあります。また、町内でも毎週のようにどこかでイベントがあるので、年齢や職業を越えてさまざまな人と知り合うことができました。「はじめまして」から「ラジオに出てみませんか?」と声をかけ、そのままラジオに出演してもらう流れになることもあります(笑)
(※)シェアオフィス/月額会員登録制(審査あり)町外3,000円/月、町内2,000円/月

――現在のライフスタイルを教えてください。

OICの近くにアパートを借りているので、通勤がとても楽になりました。車を持っていないので、買い物以外はマウンテンバイクで移動しています。買い物は2週に1回のペース。町が無料で運行している生活循環バスを利用して隣町まで食材を買いに出かけています。自炊なのでこのペースで問題ありません。

よく「都会から来て生活に物足りなさを感じない?」と聞かれるのですが、まったく感じていません。移住したら家具はすべてDIYで作るというマイルールを決めて来たので、日曜日はラジオを聴きながらDIYをするのが至福の時間です。大熊町には飲みに行けるお店が少ないので、夜は友人・知人を呼んで宅飲みしていることが多いですね。

――移住をして暮らしや働き方に変化はありましたか?

めちゃくちゃありました!渋谷にオフィスがあった時は、通勤が面倒で、24時間自宅にこもって1人で仕事をしていました。大熊に来たら、人との交流が増えて人脈が広がり、そこから仕事につながることも多くなりました。母数としては都会の方が人口は多いのに不思議な現象ですよね(笑)。東京でラジオを始めても、100人とつながるなんてまずありえません。それだけ、人とつながりやすく、濃い交流ができる町です。

体調面では体重が10キロ減りました。朝は40分ウォーキングをして、夜は仲間たちと町の防犯を兼ねたランニングをしています。

当たり前に多様性に触れられる世界を目指して

ミーツ・ザ・ワールドを対面で開催したときの様子(沖野さん提供)

――今後の展望を教えてください。

ミーツ・ザ・ワールドを大熊町から福島全域へ、全国へ、世界へと広げていきたいです。教育格差をなくし、日本中、世界中の子どもたちが当たり前のようにグローバルな多様性に触れることができる世界を目指しています。

ラジオでは、“大熊の佐久間宣行さん(※)”を目指してプロデュース力を磨き、番組をシリーズ化していきたいですね。JR大野駅周辺にできる施設に、公開ラジオブースを設けることが密かな目標です!
(※)福島県いわき市出身のテレビプロデューサーで、オールナイトニッポンの人気パーソナリティ

――最後に大熊町へ移住・起業を検討している方にメッセージをお願いします。

大熊町は、原発事故により一度は誰も住めなくなった町です。この町がどのように立ち直り、どのような課題に直面したのかを知ることは、日本の未来を知ることにつながると思います。この町で成功できれば、2050年に起こると予想されるような問題にも立ち向かえるはずです。さまざまな問題に直面しているこの難しい世界の中で、自分の実力をリアルに試してみたいという人はぜひチャレンジしてほしいです。

沖野昇平(おきの しょうへい)さん

1993年神奈川県生まれ。株式会社in the Rye代表取締役。公認心理師。東京大学在学中に起業。2023年10月大熊町に移住し大熊町立学び舎ゆめの森で特別授業を提供。配信サービスSpotifyで「福島県大熊町のオールナイトローカル」を配信している。

https://in-the-rye.co.jp/

※内容は取材当時のものです
文・写真:奥村サヤ

※本記事はふくしま12市町村移住ポータルサイト『未来ワークふくしま』からの転載です。