新井田さんファミリー、橋本さんファミリー
移住とは、理想の生き方を叶える手段であると共に、慣れ親しんだ場所を離れ知らない土地へ移り住むことでもあります。特にお子さんと一緒に家族で移住しようと考える時、「新しい学校に子どもはなじめるだろうか」「地域の人との関わりはどのような感じなのだろう」と、子育て面において不安を抱く方もいらっしゃると思います。今回は、実際に小学生の子どもを連れて福島県田村市に移住したご家族にインタビューし、移住にあたって子どもとどう話したか、移住の大変さや現在の生活環境などについて、お話を伺いました!
【新井田さんファミリー】
夫:力(ちから)さん(木工職人)、妻:美菜子さん(田村市起業型地域おこし協力隊)
11歳(小6)、8歳(小3)、5歳(年長)のお子さんと移住、現在5人家族
以前のお住まい:埼玉県加須市
現在のお住まい:田村市都路町(2024年4月〜)
【橋本さんファミリー】
夫:吉央(よしちか)さん(子育て支援のNPO職員)、妻:文さん(イラストレーター、漫画家)
10歳(小4)、7歳(小2)のお子さんとUターン、現在は吉央さんの母、弟と6人家族
以前のお住まい:千葉県流山市
現在のお住まい:田村市船引町の吉央さんの実家(2023年4月〜)
この記事の目次
これからの人生を家族でより良く生きるため、移住・Uターンというライフチェンジを選択
新井田さん(夫):田村市に移住した理由は、探していた工房付きの家が見つかったからです。自分はもともと大工でしたが、怪我が悪化して現場に出ることが難しくなり、妻の勧めもあって木工職人の道を歩むことにしました。埼玉では6畳の部屋で作業していましたが、もっと思いきり製作したいと考え、各地の移住体験に参加しながら、広い工房がある家を探し始めました。空き家バンクなどでも検索しましたが、なかなか希望の物件に巡り会えない日々が続きました。
田村市の移住体験ツアーでよりあい処華さんを訪れた際、竹炭職人の方が住んでいた工房付きの家があることを教えていただきました。翌日見に行ったところ、職人の方のお兄さんが「震災がきっかけで長野に拠点を移したため、今は空き家の状態。使ってもらえると助かる」と言ってくれたんです。ログハウス風の家で、1階は間仕切りが無く、2階も梁がむき出し。元大工として「よくあの震災を乗り越えたな」と興味がそそられるような設計で、とても気に入りました。田村市には山や森があり、ブランド杉の「田村杉」もある。ここなら、木工でやっていけるんではないかと感じました。
新井田さん(妻):当初夫は、「自然資源を使い、課題を解決する」というテーマの田村市起業型地域おこし協力隊に応募を検討していました。しかし、いろいろな人とやり取りしながら事業をつくっていくのは、夫よりも私のほうが得意なのではないかと話したんです。私自身も「暮らし方や人の心の部分にも関われるようなシェアハウスを作る」という夢を形にできるかもしれないと思い、2024年1月に起業型地域おこし協力隊に応募し、採用いただきました。5月からの着任に先立ち、4月下旬に田村市に移住して、現在の家に住み始めました。
橋本さん(夫):僕は船引町、妻は隣の三春町で生まれ育ちました。2人とも進学を機に地元を出て関東で就職し、もともと戻ってくる気はなかったんです。しかし2022年に僕の祖母と父が立て続けに病気で他界し、母や弟、高齢の祖父が暮らす実家が心配になりました。僕たち夫婦も、核家族で子育てと仕事を両立していくことに大変さを感じており、どうするのが家族みんなにとって良いかを考え、Uターンすることを決めました。
橋本さん(妻):祖父も2023年に他界し、こうした家族の大きな変化のタイミングで戻って来られたことは、結果としてとても良かったと思っています。家族を支え続けた母が、賑やかになった家で元気に暮らす姿を見ることができていますしね。
子どもたちのたくましさが「どこに行ってもやっていける」と教えてくれた
新井田さん(夫):移住するなら、上の子が小学校にいるうちにと考えていました。中学校に入ってからだと、小学校からのつながりがなく全く新しい人間関係を築かなければいけないので、いじめにあったりしないかと心配していました。どんなに遅くても6年生のうちに移住し、転入先で友達を作ってから進学するという環境を整えたいと考えました。
新井田さん(妻):子どもたちには、「もしかしたら引っ越すかもよ」という頭出しだけしていました。1年かけて茨城や青森など、様々な場所に移住体験に行きましたが、その時は子どもたちも含め家族みんなで一緒に行っていました。そのうち子どもたちが「次はどこに行くの?」と聞いてくるようになって。1年間で分かったのは、子どもたちはどこに行ってもそれなりに楽しめるんだということ。特に次男は、行った土地で出会った子どもや大人に話しかけることが得意で、そこに長男や長女が追随して、みんなで一緒に遊ぶ……というようなことが、度々ありました。
橋本さん(妻):子どもって、本当にたくましいですよね。初めての人と仲良くなるのが上手で、大人の方がそれに引っ張ってもらうことも、よくあるなと思います。
新井田さん(妻):心強いですよね。そんな姿を見て、「子どもは大丈夫だから、移住先については親が住みたいところに行けばいいんだ」と判断することができました。
橋本さん(夫):うちの場合は、下の子の小学校入学に合わせUターンすることにしました。引越しまで半年もなく忙しかったですが、そもそも夫婦共に生まれ育った場所であり、お盆やお正月などに何度も帰省していたので、子どもたちも田村市がどんな場所かは、ある程度イメージできていたと思います。ただ、たまに遊びに行くのと住むのとでは違うので、Uターンを決めた段階で、「今の友達や先生はいない、別の学校に行くんだよ。でもおじいちゃんやおばあちゃんたち、たくさんの家族と暮らすことができるね」と、繰り返し伝えていました。
橋本さん(妻):はじめは友達と会えなくなることに寂しそうな様子でしたが、友達や先生に「福島に引っ越すんだ」と話していたようで、本人たちなりのペースで、新しい環境に移る準備をしてくれていたのだと思います。
目の前の生活と引越し準備でバタバタ!子育てに関する情報収集を移住前にやりきるのは難しかった
新井田さん(妻):田村市の子育て環境については、WebやSNSなどで検索し、「おひさまドーム(※)のような、子どもを遊ばせるところはあるんだな」ということは、あらかじめ把握しておきました。小学校の在校生の数は気になったので、教育委員会に電話で聞きました。
※田村市内にある屋内こども遊び場
橋本さん(妻):うちも小学校の情報はホームページを確認し、不明点は学校に問い合わせました。親子共に新しい学校に通うイメージを持っておきたいと思い、教頭先生にお願いして、新1年生の学校説明会のタイミングで学校見学をさせてもらいました。
新井田さん(妻):小学校見学、うちは平日の予定を工面できず叶わなくて……。移住体験ツアーのコースに、平日の学校見学も含まれていると良いなと感じました。
橋本さん(妻):学校だから、説明会や見学は平日開催なんですよね。私たちも仕事を調整する必要があったので、在宅勤務への切替や半休にするなどして対応しました。上履きや体操服といった学用品は地元商店街のお店が指定購入先でしたが、仕事や引越し準備の関係で次に田村に来る予定が見通せず、学校見学後にすぐ買いに行くなどして、まとめて済ませるようにしました。事前準備は何かとバタバタでしたね。先を考えて不安になることもありましたが、最終的には子どもたちのたくましさにも頼って、「きっとなんとかなるし、なんとかしていこう」と考えました。
新井田さん(妻):目の前の生活で手いっぱいで、事前の情報収集といっても、自分たちは何が分かっていなくて、誰にどう聞けばいいのか、考えることもままならない状況でした。同じようなご家庭は多いと思うので、たむら移住相談室などから、「これについて困っていませんか?」「この子育て支援センターでこんな活動をしています」「子育て家庭向けにこんなサービスがあります」など、プッシュで具体的な投げかけや情報発信をさらにしてもらえると、ありがたいなと思います。
空き家の片付けは思った以上に大変!「これに困っていない?」と声をかけてもらえるとありがたい
新井田さん(妻):ちなみに、理想の家を見つけたものの、住める状態にするまでが大変でした。移住前に家族で、掃除がてら今の家に遊びに来たことがあったのですが、備え付けの薪ストーブの火をつけたところ煙突が詰まっていて、深夜に煙で家の中が大変なことになりました。長いこと人が住んでいなかったので、本来は火をつける前に、煙突の掃除をしなくてはいけなかったんです。
新井田さん(夫):子どもたちは「目が痛い、煙が臭い」と大騒ぎで、窓を開けるしかなかったのですが、年末だったので雪も降って寒くて……。自分は青森出身で薪ストーブで生活をしていましたから、何とか掃除やメンテナンスができました。掃除後に改めて火をつけたところ暖かくなって、あんなにブーブー言っていた子どもたちが「ここ最高だね」と話していました。笑 ほかにも、布団を敷いて寝られるようにするため、2階の床を1日かけて徹底的に掃除したり、カメムシやテントウムシなどの駆除をしたりと、ただ住むだけなのですが、何かと大変な思いをすることが多かったです。
新井田さん(妻):料理も一工夫が必要です。一応ガスの線はありますが、家の中に換気扇がないんですよね。以前お住まいだった方にどうしていたのか聞いたところ、薪ストーブで料理をしていたそうです。ひとまずIHコンロを1台買い、それだけでは足りないので、ホットプレートも出して料理しています。
新井田さん(妻):埼玉なら、それこそ不動産会社にいろいろと頼んでいたのでしょうが、空き家は自分たちで何とかしていく必要があります。そういう意味では良い経験になったかもしれませんが、心折れずにやれたのは、夫が元大工で、私も住宅関係の仕事をしていた時期があり、「ここまでやればなんとか住める」という見通しを持てたからです。私たちと同じように、お子さんがいて、現在の住まいから通いながら空き家を片づけ住める状態にするのは、なかなか骨が折れることだと思います。
橋本さん(夫):僕たちのように、元々家族が住んでいる家に入るのとは、だいぶイメージが違いますね。薪ストーブにさわった経験もなく家中煙だらけになったら、「これでは住めない」と感じてしまうかもしれませんね。
新井田さん(妻):移住は良いことだけではなく、不便さや、体験しないと分からないこともたくさんあります。経年劣化で使えなくなった家具類の運び出しなど、人手や知恵がほしい時でも、新しい土地の雰囲気が分からないうちは、誰かに頼って良いものかどうかも分かりません。頼って良いとしても、転入する側からは声をかけにくいものです。皆さんお忙しい中だとは思うのですが、「これに困っていない?」など、声をかけていただけると、気持ち的にも助かる場合があるはずです。小さな困りごとの積み重なりを防ぎ、移住のハードルを下げることにもつながると思います。
いざ始まった田村での生活!日々の生活サイクルやスクールバス、子どもたちの様子は?
新井田さん(夫):平日、妻は朝の6時頃に起きますが、長男はその前に起きています。キジやウグイスのさえずりなど、自然の音や明るさなどで目が覚めるようです。みんなで朝食をとった後、長男と次男は都路小学校に、長女は都路こども園に、それぞれスクールバスで登校・登園します。バスが各家の前まで来てくれ、朝は3人とも同じスクールバスに乗っていますよ。はじめは緊張していましたが、10人乗りくらいの小さなバスで運転手さんも良い方ばかりなので、楽しく行っているようです。
橋本さん(妻):家から学校まで、ドアツードアなんですね。船引小学校は、統廃合で廃校になった小学校区の子どもたちがスクールバスで登校していますが、人数が多いので、バス停に集まって一斉に乗っていますよ。
橋本さん(妻):うちは徒歩登校で、平日は朝7時過ぎに家を出ます。片道2km、およそ30分の集団登校です。当初は歩ききれるか心配でしたが、同じ班の子とおしゃべりしたり、次第に体力もついてきて、今では安定して歩けるようになりました。
橋本さん(夫):子どもたちを送り出した後、僕と妻はテラス石森に向かい、18時までリモートワークで仕事をします。僕の母が家にいるので、子どもたちは放課後、学童クラブは利用せずに直接帰宅しています。
新井田さん(妻):日中、夫は工房で木工の仕事を、私は地域おこし協力隊の仕事をしています。家の近くに菜園を借りて野菜を育てているので、その世話もしています。また、ゆくゆくは食堂やコミュニティスペースを兼ねたシェアハウスを開きたいので、その練習を兼ねて、週1回よりあい処華さんでお手伝いもさせていただいています。17時半頃に学童クラブとこども園にお迎えに行き、大体21時〜22時台に就寝します。子どもたちは埼玉にいた時よりも、寝付くのが早くなりました。水曜と金曜にスポ少(スポーツ少年団)でソフトボールをやっており、それ以外の曜日もアクティブに外で遊ぶ日が多く、疲れてコテッと寝てしまう感じです。前は体力が余っていて、寝付くまでに時間がかかっていました。
新井田さん(夫):ゴールデンウィーク明けに小学校に転入し、およそ1週間後には運動会、さらに2週間後にはスポ少に入団しました。展開が早すぎて、親がついていけません。笑 スポ少には同級生男子の9割ほどが入団しており、授業が終わった後そのまま練習に向かう流れがあります。友達に誘われた次男が先に入団し、楽しそうに参加する様子を見た長男も、続けて入団しました。コーチの方の教え方が上手で、できないことを叱るのではなく、できたことを褒めてくれるので、楽しく続けることができているように思います。
新井田さん(妻):スポ少の子どもたち同士も、関係が良いんです。都路小・中学校は同じ敷地内にあり、中学生や上級生が下の子の練習相手になってくれます。上下関係はあるものの厳しいものではなく、フレンドリーなんですよね。保護者の関わり方も、埼玉の時とは少し雰囲気が違っていて、こちらではお父さんたちがとても協力的だなと感じます。
新井田さん(夫):土日は、グリーンパーク都路や星の村天文台、あぶくま洞、薪の里ながとろなど、市内のいろいろなところに出かけています。長男が昆虫や爬虫類が大好きで、「今日はこれを採りたいから〇〇に行く」という出かけ方をしていましたね。スポ少に入ってからは土日が試合で終わるので、家族5人のお出かけを兼ねて試合のお手伝いや観戦に行っています。家の片付けもしたいですが、なかなか進まないですね。スポ少に入っている他の子のご家族も、大体皆さん家族ぐるみで出かけていて、小さい子達同士で遊んだり、大きい子が小さい子を見たりなど、家族同士が自然に関わり合っています。
橋本さん(妻):うちも土日は、部活動や習い事に合わせて動くことが多いです。予定が空いた時は、片曽根山の麓にあるアスレチックや子育て支援センターで遊んだり、夏は市営プールに行ったりしています。冬は家の畑で凧揚げなんかもしましたよ。
橋本さん(夫):登下校含め体を動かす時間が増えたからか、お腹が空くようで、よく食べるようになりましたね。夜もスムーズに寝るようになりましたし、食べて遊んでぐっすり寝て、健康的でたくましくなったと感じます。
子どもと一緒だからこそ感じられる、地域の人のあたたかさ。「ここに来てよかった」と思える選択をこれからもしていきたい
橋本さん(妻):千葉にいた時、娘は学校への行き渋りがありました。だから引っ越した直後は、学校に行けるのだろうかと、親としてはそわそわしましたね。転入したばかりの頃は登校しても教室に入れず、校庭や廊下で泣いていました。すると同じクラスの子たちが大挙して「どうした?一緒に行こう!」と、娘のところに迎えに来て、一緒に教室に行ってくれたんです。子どもたちの自然な優しさが、本当にありがたかったですね。娘にとっても友達の存在はとても大きかったようで、転入して2週間後にはクラスの子を家に連れて来て、一緒に遊んでいました。
新井田さん(妻):子どもたちが優しいというのは、私たちも感じます。初対面でもあたたかいですし、大人が子どもを大事にする地域性があるなと思います。地域の方が子どもを叱ってくれることもあって、子どもは親が言っても聞かないけれど、他の大人に言われると素直に聞いたりするじゃないですか。そういう風景がここにはあるなと思います。
新井田さん(夫):埼玉にいた時は、特に大人同士の間で「他人の子にとやかく言ってはいけないのではないか」という壁があったように思いますが、こちらではあまり感じないですね。何か物申すときにも、ユーモアのある言い方ができる方が多いように感じます。
橋本さん(夫):確かに田村に住んでいると、人間関係の境界線が良い意味でぼやけているような感覚があります。人数が多くない分、さまざまな関わりが、日常的に混じっているのかもしれないですね。
新井田さん(夫):都路は人の雰囲気が柔らかいですね。ツンツンしている感じがなく、豊かな自然のエネルギーも影響しているのかもしれません。川と海と山に囲まれた地域で育った自分の体にも、合っている気がします。移住前の秋にリウマチがひどくなり、指を動かすことすらできなくなった時期がありましたが、田村への移住を決め、何度か訪れて家の片付けをしたり、豊かな自然の中で皆さんのあたたかさに触れたりする中で、ここまで元気になりました。都路に来てよかったと思っています。
橋本さん(夫):僕たち家族は、ライフステージが複数重なる中で、結果としてUターンを選択しました。あの時考えうる最善の方法だから選択したとはいえ、「実家に戻るんだから仕方がない」と、何かを諦めたわけではありません。リモートワークが普及し、関東にいた時と同じ仕事を続けられていますし、子どもたち含め家族が元気に暮らしている様子を見ると、Uターンしてよかったと感じています。子どもと移住した僕たちだからお話できることもいろいろあると思っていますので、何かあればぜひ聞いてくださいね。
Yurumarumokumoku工房
新井田さんの木工屋さん
Instagram:https://www.instagram.com/yu_ru_maru_mokumoku/
この記事を読んで田村市での生活に興味を持った方、移住を検討している方は、お気軽にたむら移住相談室へご相談ください。
たむら移住相談室
Web:https://tamura-ijyu.jp/
電話:050-5526-4583
メール:contact@tamura-ijyu.jp
※たむら移住相談室は株式会社ジェイアール東日本企画と(一社)Switchが共同で運営しております。