岩崎 友彦 さん
[神奈川県]⇔[すさみ町]


すさみ町への恩返しとして、地域に拠点を構え、その「未来」づくりに奔走
「人間らしい暮らし」を通じて、東京では得られない学びを実感

【職業】
編集者・クリエイティブディレクター×集落支援員

【拠点】
① 神奈川県川崎市(妻と二人暮らし)
② すさみ町(一人暮らし)

【岩崎さんの二地域居住ストーリー】
産学プロジェクトである武蔵野美術大学の授業プログラムがきっかけで、すさみ町に関係するようになった岩崎友彦さんは、現在は一般社団法人すさみキャンパスで役場の仲間と共に代表理事として働いており、約3週間の間隔で、神奈川県川崎市とすさみ町を行き来する生活を送る。すさみ町では、地域の未来づくりのため、地元の水産業支援、空き家活用、体験開発、関係人口の創出等、様々な活動に取り組んでいる。

 

1.二地域居住のきっかけ

“聞いたことのない町”への訪問が大きな転機に

2022年秋に、母校である武蔵野美術大学がすさみ町をテーマとした産官学プロジェクトを立ち上げた際、恩師からサポートして欲しいと連絡があり、プロジェクトに参加したことが全ての始まりでした。編集者として働いていたこともあり、取材で全国各地を訪ねていましたが、「すさみ町」の名前を聞いたことはありませんでした。

この時は、大学生・大学院生とともに、2週間ほどすさみ町に滞在しましたが、都会にない素晴らしい魅力を感じました。すさみ町は、海、山、川のどれもが力強く、この3つが自転車で30分圏内のエリアに箱庭のように凝縮されています。海を望む海岸線の道路は交通量も少なく、町中にはコンビニやロードサイドの大型チェーン店もないため、町としての独自性が保たれています。広告看板で埋め尽くされた東京とは異なり、雑音(ノイズ)の少ない環境は、自身の内省や人との対話を促してくれます。さらに、何もない地域だからこそ、人の創造性は豊かで、来訪者には開放的であり、敬語がない土地で互いの関係性が対等(フラット)なので、都市にない価値を感じました。滞在中は、地域の方々にさまざまな場所を案内してもらい、地元のことを教えていただきました。

すべてのきっかけは、この産官学プロジェクトから

2.二地域居住の目的

地域の方への恩返し

よくしていただいた地域の方に、今まで培ってきた経験やスキルを活かして何か恩返しがしたい。これが、すさみ町と川崎市での二地域居住を始めた目的です。すさみ町の方々にはあらゆることに大変お世話になり、訪問の度に深まる関係性が、「何か役に立てたら」という私の想いをさらに強くしてくれます。

3.すさみ町での暮らし・仕事

観光協会の会長宅へ居候

すさみ町との二拠点生活が本格化するにつれ、東京の仕事はリモートワークで対応できるのですが、自室にとどまり、仕事や趣味に取り組むだけでは、地域に入り込むことはできないと感じていました。地域のために役立つためには、もっと地域のことを良く知る必要がありました。そして、すさみ町観光協会の会長に相談する中で、ご自宅にご厄介になることになり、そこから地域への世界が一気に広がりました。

地域未来課の集落支援員、まちづくり公社の代表理事として地域のために働く

こちらではすさみ町地域未来課で集落支援員として働きつつ、社団法人の代表理事として仕事をしています。すさみ町が2023年夏にまちづくり公社として一般社団法人すさみキャンパスを設立したのですが、この法人は、地域課題の解決、地域づくりを機動力高く担う機関として作られました。この法人で、役場からの出向職員3名とともに代表理事として活動しています。主な活動内容は、地元の産業支援、空き施設の活用、体験商品の開発、人材育成、関係人口の創出です。

水産業支援では、2023年から今まで漁師さんが獲れても捨てていた「未利用魚」のシイラやオキザワラを東京のレストランに流通させるといった取り組みを行っています。さらに武蔵野美術大学の大学院生とともに一般社団法人すさみの美術大学を立ち上げ、アートやデザインを軸にしたさまざまな施策でもすさみと東京の関わりしろを作っています。そんな活動を通じて、恩あるすさみ町の方々に素敵な「未来」を残せるよう、頑張っていきたいと思っています。

刺し網漁を数十年ぶりに復活させた見老津の漁師さんと

閉まっていた商店のシャッターを開けるアートプロジェクトにて

4.拠点間の移動

高速バスでの移動は片道8,500円

基本は3週間間隔で拠点を移動しています。移動手段はいろいろですが、JR和歌山駅まで電車で移動し、そこから首都圏まで高速夜行バスを使うことが多いです。時間はかかりますが今は移動中にも仕事ができますし、電車賃を含めて最安値だと片道8,500円で移動できます。ただ、2023年の夏以降は、すさみ町でのイベントや仕事が多く、こちらでの滞在が長くなっています。

5.家族の理解

ゆっくりと時間をかけて

こちらでは単身生活を送っています。川崎で暮らす妻には、2023年の夏にすさみ町に来てもらい、町内を案内しました。このことを契機に、二地域居住についての理解も深まり、今では、こちらに住まいを設けるのであれば、海側よりも山側の方が良いといった希望も言ってくれていますが、妻も川崎で仕事をしており、移住など次のステップへ向かうためには、ゆっくり時間をかける必要があるように思います。

6.二地域居住を通じて得られたもの

東京圏に住む理由はもうない

すさみ町での暮らしを通じて気づいたことは、自分には「東京圏に敢えて住む理由はない」ということです。モノも情報も十数年ほど前であれば、東京圏と地方で大きな格差がありましたが、今やモノはAmazonで注文すれば届きますし、情報はネットで集められます。

私にとって東京圏の良さは、“美術館が多い”くらいしか残っていません。それよりも、すさみ町で人間の本質や社会のあるべき姿について考えたり、紀南の大自然にシンクロしたり、愛すべき地元の人々と愉快な都会の人々を繋ぎながら地域デザインに取り組んだりする方が幸福度が高いと思っています。

人口減少の町に学ぶ「本当の幸せ」、「人間らしい暮らし」

二地域居住を実践していると、生活費・交通費が余計にかかるというデメリットが伴います。ただ、その犠牲を払ってでも学びたいと思えるものが、すさみ町の暮らしにはあります。この町は、モノが少ないので、皆さんいろいろ工夫されている。レヴィ・ストロースの言うブリコラージュです。公園にベンチがなければ、身近にある素材を組み合わせて自分たちで作ってしまう。私からすると、その行為はとても創造的です。東京では、お金であらゆるものが購入できるので、工夫や創造性がなくても生きていけるんです。

さらに、すさみの方々は人が少ないからこそ、助け合って、みんなで幸せに生きていこうとされています。そのような元々日本人に息づいていた「互助の精神」は、マンションの隣に誰が住んでるのかもわからない東京圏では感じづらくなっている。さらに、例えば海老網を手伝いに行って磯魚をわけてもらったりといった貨幣だけに依拠しない里山資本主義が成り立っています。本当の意味での幸せ、人間らしい暮らしについて私はここで、多くの学びを得ています。