- 出身地とこれまでのお住まい
福島県いわき市→東京都→埼玉県→川俣町 - ある1日の過ごし方
お弁当作りなどの家事→デザインの仕事でイラストを描く→放課後子ども教室推進事業「たのしい教室」サポート職員としてお手伝い
- 移住をして良かったこと
写真に撮りたくなるような心が動くできごとが毎日起こること
生活の環境を変えたいと2024年3月、妻と小学校1年生の息子と一緒に川俣町へ移住した鈴木亮平さん。移住1年目は生活の土台作りに励み、家族が心地よく元気でいられる暮らしを整えてきました。自然に囲まれたご自宅で、新天地に川俣町を選んだ理由や暮らしの魅力について伺いました。
環境も間取りも理想の空き家を見つけて川俣町へ
――移住を考え始めたきっかけを教えてください。
家族みんながいわゆる都会の暮らしに飽きているような雰囲気で、生活環境を変えてみようかと考え始めたのが始まりでした。
移住を決めるまでの12年間はフォトスタジオに勤めていたんです。仕事そのものは好きで満たされる気持ちもあったんですが、職業柄、家族と過ごせる休日も多くはなく、そのまま働き続けることはしたくないなという思いもありました。もう少し暮らしの部分を大事にしていきたかったんですよね。

鈴木亮平さん。落ち着きのある明るい声から、今の日々を楽しんでいることが伝わる
――移住先を川俣町に決めたのはどうしてですか?
まずは縁やゆかりのある場所へと思い、地元の福島県や妻の実家がある北関東に移住先の選択肢を絞りました。その中で、移住後に起業することを検討した時期もあったため、起業・開業支援が充実している福島12市町村が有力候補に。未来ワークふくしまが主催しているオンラインセミナーで耳にした「循環する暮らし」というキーワードも胸に響き、本格的に家探しを始めました。
家は各市町村の空き家バンクで、資金面のハードルが低い賃貸物件を探しました。 夫婦ともに、子どもの頃から不便のない場所で暮らしてきたため、田舎暮らしは初めてのこと。実際やってみたらライフスタイルが合わない可能性もある。子どもが通う学校のことや地域での人との関わりなど、暮らし始めてみないとわからないことが多いので、家を買うというのはなかなかできないですよね。
そうした中で、川俣町の空き家バンクで環境も間取りも理想的な家を見つけたんです。Webサイトに載っている写真は片付け途中だったのか様子がよくわからず、現地を訪ねてみると、「ここしかない」と思えるほどの家でした。
――運命的な出会いだったんですね。
以前の家主さんはすでに亡くなられてしまっていたのですが、案内してくれたご家族が、美術の先生をしていたことを教えてくれました。2階を28畳ひと間のアトリエとして使われていたようで、様子を見に行くと、大きなイーゼルがぼんっとそれだけ置いてあって。その光景を見た瞬間に心が決まりました。家主さんが描いてきた絵の話や町での在り方についても憧れる部分が多く、そんな人が住んでいた場所ならここがよいと思いました。

現在は鈴木家のアトリエとなった2階の様子。身体を動かすスペースとしても活用
敷地が広く畑もできるし、焼き窯付きの貸家もあるんですよ。その気になればなんでも作れる環境も求めていたものでした。
――川俣町の移住相談窓口も活用したのですね。
とてもお世話になりました。家の内見を含んだオーダーメイドツアーを組んでいただけたのが特によかったです。家族の興味に合わせて、あちこち連れていってもらいました。
私たちはものづくりが好きなので機織り体験でコースターを作ったり、乗馬体験をさせてもらったり。地域の人が運営する「羽山の森美術館」では、川俣町は芸術を楽しむ人が多い町なんだと気づき、自分たちもその輪に入りたいと思いました。ツアーで出会った川俣町のみなさんは雰囲気がよく、自分たちの波長とも合い、いい町だなと感じました。
仕事と暮らしのバランスを模索した移住1年目
――こちらでの生活を始めてみていかがですか?
人生で初めて自然の中で暮らし始め、毎日が発見と驚きの連続です。伸びすぎた木を剪定したり、自分たちで育てた野菜を収穫したりと、自然に導かれるように過ごす日々が心地よく感じます。
仕事と暮らしのバランスも変わりました。以前は夫婦ともにフルタイムの会社員でしたが、私が主夫、妻がフルタイム勤務というスタイルに。移住後の生活がどうなるかわからなかったので、子どものことも考えると「どちらかが家にいるほうが安心だよね」と話し合い、この形を選びました。私は暮らしを中心にしつつ、撮影や絵を描く仕事も依頼があれば引き受けています。

南相馬市にあるカフェ「cokuriya」の依頼でコーヒードリップバッグのデザイン画を担当
こちらに来てからの日課は朝のお弁当作り。家族を送り出し、家事を片づけた後は薪仕事をするのが最近の流れです。敷地内の山で小枝を集めたり、木を切って薪を作ったり。夏は畑の世話が冬より忙しいかな。初めて挑戦することも多いですが、できることが増えていくのは修行のようで面白さがあります。
――地域の方との関わりはありますか?
ご近所さんを中心に、いろいろな方が面倒をみてくれます。「薪を切るのに機材を使うか?」と声をかけてくれたり、自分では育てられない野菜をいただいたり、ありがたいなあって。都会にいた時は、隣に誰が住んでいるかも分からなかったですから。
移住したら地域で協働・協力するような何かができたらいいなと思っていて、消防団に入りました。地区を超えて交友関係が広がっていくのも嬉しいです。人と関わり合う中で仕事が生まれることもあり、今の暮らしならではだと感じます。
――子育てという面で、川俣町にきて良かったことはありますか?息子さんの反応も聞いてみたいです。
子どもが放課後に通っている「たのしい教室」がイチオシでよいです。子どもたちの放課後の居場所として各地区で開かれていて、遅くて18時まで、遊んだり宿題をしたりして過ごせます。
地域の方もお手伝いで集まっていて、一緒に遊んでくれるんです。私も週に1,2回、お手伝いに行っています。ほとんどはおじちゃんやおばちゃんですが、みなさんとっても元気で、かくれんぼや鬼ごっこをすると追いつけません(笑)。息子は昔ながらの遊びを覚えて帰ってくることもありますよ。
転校して間もない頃、息子はスクールバスでの通学に慣れないようでしたが、今は仲のよい友達もでき、落ち着いた様子で学校生活を送っています。
自分の「ちょうどいい田舎暮らし」が選べる場所
――川俣町に来てから、写真を撮る枚数がとても増えたのだとか。
そうなんです。年末に家族でアルバム作りをするのですが、埼玉にいた頃はカメラロールを見返していても全然写真がなかったんですよ。今はそれが真逆で、選ぶのが大変なほどアルバムに載せたい写真があります。これは妻も言っています。
写真を撮る瞬間=心が動いた時だと私は思うんです。ここでの生活に心が動いていることを、写真で測ることができたなと感じています。

鈴木さん撮影。四季折々の暮らしの営みや風景を味わっているのが伝わってくる
――ここでの生活を楽しんでいることが伝わってきました。予想外の大変さなどはありましたか?
生活用水が井戸水のみで、飲み水は購入しています。最初は水道代が抑えられると喜んでいましたが、家族3人で生活するには水量が少ないことに住んでから気づきました。洗濯や食器洗いをしたり、お風呂にたっぷりお湯を張ったりしていると足りなくて少し大変です。山の上の方にある家なので、水が豊富な立地ではないからかもしれません。それから、夏は湿気がすごくてカビに悩まされました。
でも、こういう出来事も自然からの学びだと思っていて、どうすればクリアできるか試行錯誤するのは悪くないんです。最近だと、家族で銭湯に行くのを楽しむとか。次の夏は珪藻土を使って湿気対策をする予定なのですが、どうなるだろうと今からワクワクしています。
――川俣町へ移住を検討している方にメッセージをお願いします。
家にいながら季節を五感で感じる暮らしができることが一番の魅力だと私たち家族は感じています。窓から見える景色がどんどん変わり、鳥や虫の声が聞こえ、家に入る光も変わる今の暮らしを本当に気に入っています。

リビングには大きな窓があり、自然の姿が自ずと目に入る
うちは山の中にありますが、市街地には数分で出られ、日用品の買い物等で不便を感じたことはありません。学校や病院もあり、何かあったときの心配もなく暮らすことができています。川俣町は「ちょうどいい田舎暮らし」とうたっていますが、まさにそれ。福島市へも30分と遠すぎず、田舎暮らしビギナーにも向いている環境だと思います。
川俣町での暮らしの良さを知ってもらい、一緒に楽しめる人が増えたらいいなと思っています。最近は、家族での移住について川俣町の移住相談窓口でお話しさせてもらうこともあります。気になる方がいらっしゃれば、一度訪ねてみてもらえたら嬉しいです。
鈴木亮平 さん
1990年生まれ。福島県いわき市出身。高校卒業後に上京し、フォトスタジオへ就職。フォトグラファーとして12年間勤め、その間は埼玉県に暮らす。2024年3月に川俣町へ家族で移住。主夫として生活を整えながら、フォトグラファー、絵描きとしても活動。
※所属や内容は記事公開当時のものです。
文・写真:蒔田志保
※本記事はふくしま12市町村移住ポータルサイト『未来ワークふくしま』からの転載です。