埼玉から北海道・下川町へ。エミューとの出会いをきっかけに、物々交換と助け合いで築いた循環型の暮らしとは—

始まりの「物々交換」

 拙者の域内循環型生活を目指した下川町の暮らしは何もない中でのスタートだった。お金もない、家もない、人脈もない、仕事もない、経験や知識もない。そんな拙者が生きていくための手段は「物々交換」(助け合い)だった。

 下川町での物々交換は、町内一の橋の走鳥類エミューの牧場に勝手に居候し、牧場の作業を手伝う代わりに、住む部屋と食料を分けていただいたことから始まった。春になって雪が解けると高齢者の方々が、土から保存していた野菜を掘り出していた。それを手伝ったらその野菜の一部をおすそわけしてくださった。

頼り合うことで育つつながり

 当初、拙者が移住した一の橋地区は、下川町の離れにある山間にある集落で、拙者は自動車も運転免許も持っていなかった。そんな中、夕方に町内の飲食店からエミューの肉を届けてほしいとの注文。牧場の仲間も不在で夜間に往復できそうなバスもない。近所のKおじいさんは既に寝間着姿だったが「まちなかまで連れて行ってくれませんか」と頼むと、ブツブツ言いながらも配達先まで車で連れて行ってくれた。後日そのお返しとして、Kおじいさんにエミューの肉を届けた。「エミュー肉、おいしかったぞ」と喜んでくれた。

 「地域のために自分のできることをしたい」という思いから、近所のOおじいさんの植樹活動を手伝った。お礼に食事をごちそうしてくれた。作業の後に山に連れて行ってくれて、山菜やキノコの採り方を教えてくれた。

 仲間と共同で手に入れた遊休地を野外活動で活用しようと、手作業で整備していたときも、地域のTおじいさんが重機でならしてくださったので、Tおじいさんが管理する施設周辺の草刈りをしてお返しした。

 人を頼ることで人とのつながりが生まれた。助けてもらったときは感謝の気持ちを伝え、自分のできることをしてお返しすることで、困ったときには、また助けてくれた。逆に相手の方も困ったときは拙者を頼ってくれるようになった。

 「何かをしてあげる循環」はしてもらう側が遠慮してしまうこともあると思うが、「人を頼る循環」で、先に何かをしてもらってから、何かをしてお返しする場合は、してもらう側も受け入れてくれて、循環しやすいと感じた。

おすそわけが広げる暮らしの豊かさ

 やがて拙者も土を耕して畑を作り始めた。収穫した作物は自分が食べる最小限の量だけ確保しておき、あとは近所の方々の家を回っておすそわけした。するとそのお返しにまた違う野菜をいただいた。そのいただいた野菜も必要な量だけ取っておいて、残りはすぐに近所の方々におすそわけした。するとまた別の野菜をお返しにいただいた。

 自分で物を抱え込まずにどんどん、おすそわけすることで、違うものをおすそわけしていただき、おすそわけの循環で食卓は潤っていったのでござる。

 何もできなかった拙者は下川町の人々と自然から、火起こし(焚き火料理)、小屋造り、山菜・キノコ採り、畑づくりや植樹、食肉の部位分けなど、身近なもので生きていくためのたくさんの知識と経験を得て、自分のできることが増えた。

 今は域内循環型の暮らしの手段として、北海道和種馬のハナを飼い、馬のある暮らしもおすそわけしている。町内をハナに乗って移動しながら、ハナの出張放牧(草刈りや馬とのふれあい)、乗馬やひき馬、餌あげなどの体験、馬糞を提供し、そのお礼に野菜、パン、米、菓子、魚、果物、コーヒー、薪など、その方の手作りしたものや愛用しているものをおすそわけしていただいている。互いの暮らしをおすそわけしあっていると言える。自分では味わうことがなかったものを味わうことができる楽しさがあり、お金を介さないことで得られる豊かさがある。

 拙者は森林も所有し、その恵みを生かしているが、活用しきれていない。所有する森林を町内の友人に共有し使っていただく代わりに、森林整備をしていただいている。自分で抱え込まずに共有していくことで、互いにとって良い循環が生まれると思う。

エミューが運んだ出会いと移住のきっかけ

 話は変わるが、ここでなぜエミュー牧場に居候をしたのか、下川町に移住した経緯を改めて語っておきたい。

 拙者は移住前、実家・埼玉県川越市で暮らしていた。実家で地元国際大学の留学生を受け入れていたことから、日々留学生と国際交流を楽しんでいた。そんなとき、同じように留学生を受け入れている市内のI家と出会った。
I家の母親に息子H氏が留学先のアメリカから飛べない大きな鳥エミューを連れて帰国し、下川町に移住したことを聞いた。興味を持った拙者は1998年1月、H氏のいる下川町一の橋という山間の集落を訪れ、勝手に居候生活を始めた。

 春になって雪が解け始めると他の近所の方の家に居候させていただいた。下川町に移住して10年間は一の橋で暮らし、その間だけでも、同地区内の友人宅屋根裏、空き家や公営住宅、譲り受けた持ち家などを転々とし、なんと7回も引っ越しをした。現在まちなかに住んでいる家は町内8カ所目の引っ越しとなった。

 一の橋にあったリフォームして間もない拙者の持ち家と土地は、友人に無償で譲った。家は使わないと傷んでしまい、やがて解体処理にもお金がかかってしまうので、すぐに譲って使ってもらったほうがよいからだ。使わないものはどんどん必要な方に循環したほうがいいと拙者は思うのでござる。

text:小峰博之
photo:小峰博之 &下川町の皆さん・小峰さんと関わってきた皆さん


 何も持たずに下川町へ飛び込んだ著者の姿から、「人に頼る」ことが地域との関係を築く出発点になるという考えは目から鱗でした。物々交換やおすそわけの中で信頼が育まれ、支え合いの循環が生まれていく様子は、移住者が地域に根づく大きなヒントです。持ち物や経験がなくても、人とのつながりから暮らしは形づくられていく。移住を検討する方々にとって、勇気と希望を与える実践だと感じました。

下川町移住コーディネーター・立花

※ご興味がある方は、小峰さんのコラム「道北をつなぐ馬」もごらんください。

下川町をもっと知りたい方はこちらへ