いちき串木野市は、鹿児島県の西側にあり、海と山に囲まれた自然豊かな街です。 新鮮なまぐろをはじめ、海の幸を楽しむことができ、農作物も豊かで「食のまち」として注目されています。 温かい気候と地元の人々の暖かさが心地よく、穏やかな生活を求める方にぴったりの場所です。 また、3つのJR駅と、2つの高速インターチェンジがあり、都市部へのアクセスも良好。 歴史と文化が息づくこのまちは、新しい生活を始めるのにも優しい環境が整っています。 そんな、いちき串木野市にお住まいの方にもお話を伺っています。
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いちき串木野に「定住」している方にもお話を伺い、ずっといちき串木野市に住み続けているからこそ見える魅力や課題をお話しいただくと共に、移住を検討中の方へのアドバイスもいただきます。今回は、いちき串木野市観光案内所で働く、竹原勇輝さんにインタビュー。「たけどん」と聞いてピンとくる方もいらっしゃるかもしれません。(たけどんについては後述します)。
目次
観光案内所との出会いは京都駅!?竹原さんの青春時代と偶然のつながり
竹原さんが生まれ育ったのは、いちき串木野市。ご実家が自転車屋を営んでいたこともあり、地域の人たちがみんな顔見知りという環境で育ちました。

竹原さんのご実家、竹原自転車商会
高校卒業後は、山口県の国立大学に進学。地元を離れ、新たな生活をスタートさせます。大学時代は、授業よりもアルバイトに夢中だったそう。制作会社でのバイトを中心に、コンサートの運営補助からイベント企画、CMの営業、さらにはコピーライティングまで、多岐にわたる仕事を経験しました。 山口きらら博という博覧会で約3ヶ月間、フルタイムで働いていたことも! 多忙な学生生活の中、大学4年生の夏には「学生らしい思い出が1つもない..このままで良いのか!?」と思い、京都へ一人旅に出かけました。そこで訪れたのが、京都駅にある観光案内所。竹原さんが「どこか静かな場所に泊まりたい」と伝えると、案内所のスタッフが予約手配までしてくれたそうです。この経験は、後に観光案内所で働くことになる自身の人生に、不思議な縁を感じさせる出来事となりました。 最終的に大学は中退することになりますが、当時のアルバイト先だった制作会社の社長に声をかけられ、そのまま就職。山口で約10年間社会人生活を送りました。
帰郷のきっかけは「帰ってこんか!」祖父からの電話
就職した制作会社では忙しい日々を過ごしていたものの、リーマンショックの影響で会社が突然無くなってしまいます。思いがけない状況に直面していたそのとき、いちき串木野にいる祖父から一本の電話がかかってきたそうです。
電話口でこう言った祖父は続けて、
「あの頃のにぎわいを、もう一度」――戻ってきて感じた“静けさ”
竹原さんが地元に戻ってきて最初に感じたのは、「こんなに静かになってしまったんだ……」ということでした。子どもの頃に通ったにぎわいのある商店街は、シャッターが閉まり、さら地になっている場所も多く、かつての面影はありませんでした。
焼酎で乾杯を楽しむ「傘酔夜市」の主催
本業の自転車屋を続けながら、商工会議所青年部の活動やイベントの企画・運営にも携わってきた竹原さん。中でも、特に印象に残っているイベントがあるといいます。 いちき串木野市は、2013年に全国で初めて「本格焼酎による乾杯を推進する条例」を制定しました。

傘酔夜市の様子(画像提供:竹原さん)
イベントの人から観光案内所の人へ
そんな竹原さんのもとにある日、「誰か観光案内所で働ける人はいないか?」という話が舞い込んできます。「自転車屋の息子が帰ってきて、いろいろやっているらしいよ」と、地元で広がった声。それが縁となり、竹原さんは観光案内所の職員として働くことに。

ツアーガイド中の竹原さん
「たけどん」誕生秘話――きっかけは羽島の盆踊り
竹原さんは、地元いちき串木野では「たけどん」として広く知られています。では、なぜ「たけどん」が誕生したのでしょうか? 実は、羽島で行われた盆踊りに浴衣姿で参加したときに周囲から、「どこのせごどん(西郷どん)が来たかと思った!」
と言われたのが始まりでした。 ちょうどその頃、NHK大河ドラマ『西郷どん』の放送が決まり、鹿児島全体で観光PRに力を入れようという機運が高まっていました。しかし、いちき串木野市はドラマの本編には登場せず、ロケ地にも選ばれていませんでした。
「それでも何か引き寄せたい」。そんな想いから、「体型もなんとなく似ているし、西郷さんの恰好してみようかな。面白いそうだし、やりますわ!」と気軽な気持ちで言ってしまったそうです。すると、周囲から「いつやるの?まだやらないの?」と期待の声が高まり、ついには地元紙・南日本新聞の記者から「いつから始めるんですか」と毎日のように電話がくるように。 「たけどん」の活動初日、寒い1月に浴衣姿で観光案内所に出勤し取材を受けた竹原さん。新聞には「いつでも会いに行ける西郷どん」として掲載されました
