東京で料理人と講師の仕事を掛け持ち、休みゼロの日々。いつの間にか「自分が何のために生きているのか」さえ、わからなくなっていた。
そんな極限の状態から地元・福山に戻り、リンゴ飴屋さんとして再出発したのが、株式会社F取締役の藤井遊輝さん。
取材では、「藤井堂」や「FUJIIDOU」など、3店舗を展開する若き経営者の素顔と、彼のなかにある“福山で挑戦する理由”を聞きました。
目次
自分らしい生き方を取り戻すため、福山へ
祖父母も両親も美容師。そんな家庭に育ちながら、「なんか料理のほうが面白そうだな」と感じて料理人の道へ進んだ藤井さん。
都内の料理学校を卒業後、渋谷や表参道のレストランで経験を積みつつ、母校の講師としても働くダブルワーク生活に。
外国人が多く訪れるホテルで、多様なカルチャーと向き合いながら、料理の面白さにどんどん惹かれていったといいます。
でも、その働き方は、あまりにも過酷でした。
「講師とレストランの掛け持ちって、ほんとに休みゼロになるんですよ。1年くらいやってたら、だんだん“自分って何のために生きてんのかな”って。そしたら鬱っぽくなってきちゃって……」
周囲に相談し、いったん講師を辞めたことで少しずつ気持ちが回復。
そんなタイミングで、父から「福山で何かやらないか」と声がかかります。

「リンゴ飴って流行ってるらしいよ?」から始まった挑戦
実は藤井さんの実家は、美容と人材派遣の会社を営んでいました。
飲食はやっていなかったものの、新規事業として何か面白いことをしようという話になっていたそう。
「親父が“リンゴ飴って今流行ってるらしいぞ”って言ってきて。
最初は『いや、料理人がやるもんじゃないだろ』って正直思ったんですけど……東京の店舗を見に行ったら、あ、これいけるなって」

もともとは「レストランを開くための資金作り」として始めたリンゴ飴専門店。
でも、やっていくうちに自分が一番ハマってしまった。
「いや、リンゴ飴って意外と奥深くて。りんごの品種や時期によって全然違うし、飴の固さとかも調整して、リンゴとの“一体感”を作るのが楽しいんですよ」
最初は「将来の夢のための資金集め」と割り切って始めた事業が、今では自分がいちばん夢中になれる仕事になっていた──。
夢だった「自分の店」も、ちゃんと実現している

現在は、
リンゴ飴専門店「藤井堂」
キッチンカー「深夜に藤井堂だってさ」
洋食居酒屋「FUJIIDOU」 と、福山に3つの拠点を展開中。
「洋食居酒屋はね、もともとやりたかった“自分の店”なんですよ。アメリカのガソリンスタンドのカフェみたいな、ちょっと雑多だけど居心地がいい感じで。肩肘張らずに、洋食とお酒を楽しめる場所」
“やりたいこと”を少しずつ形にしてきた藤井さん。
その根底には、地元・福山への想いがあります。
「福山は難しい土地?」──なめんなよ。
よく、「福山って新しいことが根付きにくいよね」と言われる。
でも藤井さんは、こう思っています。
「なめんなよ、って(笑)。地元の友達も、“藤井ならやりそう”って感じで普通に応援してくれるし。
俺自身も、中高生のころから屋台出したり、“とりあえずやってみる”ことが当たり前だったんで」

「誰かに『できるかな?』って聞くんじゃなくて、自分たちで『やってみよう』って決めて動いてた。
だから今も、企画して、準備して、実行して……っていう流れに全然抵抗がないんですよね」
起業に対する“ハードル”が、そもそも低かった。
「たぶん、そういう環境で育ったから、福山で挑戦することに不安はなかったですね。逆に、福山だからできること、福山でしかできないこともあると思ってるんで」
ブームで終わらせない。“文化”にしたい。
今、藤井さんが目指しているのは、「リンゴ飴を“文化”にする」こと。
「一時的な流行で終わらせたくないんですよ。ちゃんと“定番”として残っていくように。うちのリンゴ飴は、僕自身が本気で作ってるから、ちゃんと美味しいんです」
店頭にも立ち、お客さんと会話しながら、自分の味を届ける。その姿勢は変わりません。
「なんでこんなに夢中になっちゃったんだろうな……」と、自分でも笑いながら話す藤井さん。
でもその表情からは、“やりたいことを自分の手で実現している”確かな実感がにじんでいました。
福山に帰ってきてよかった。
そう思える場所があることこそ、挑戦する人にとっての一番の支えなのかもしれません。
藤井堂 フジグラン本店Instagram