宮崎市田野、宮崎市街地より車で下道を約30分、町の至る所に名産である干し大根を作るための“大根やぐら”が立ち並ぶ風光明媚な農村エリアだ。
ここに2017年の10月に一軒の農家カフェがオープンした。その名は農家ごはんとスムージーの店“Sachi Café”、店内は15席ほどのスペースだが、木の温もりを感じる優しい雰囲気の店内となっている。
切り盛りするのは農家である中武幸代さんと長崎海咲さん母娘だ。なぜ“農家カフェ”を運営することになったのか。海咲さんにお話を伺っていくと、そこには代々引き継がれている家族の想いがあった。
【なぜ農家を継いだのか】
「農業はしたくなかったですね(笑)。将来はエステティシャンになりたかったです」と話す海咲さん。家業である農業を継ごうと決めたきっかけは、なんと曾お祖父さんが亡くなる時のことでした。
「家で家族全員に看取られての最期だったのですが、家族の温かさを感じた瞬間でした。“家族っていいな”“自分もこんな風に死にたいな”と感じました」。曾お祖父さんは家族の事や地域の事、そして家業である農業の事をよく海咲さんに話していたという。
また、同じ時期に海咲さんも将来について悩んでいたという。“将来自分は何をしたいんだろう”と自問自答をする中でとある本に出会う。
「吉田松陰の本をたまたま読んでいたところ、こんな詩を見つけたんです。『春に種を蒔き、夏に苗を植え、秋に実り、冬には蓄える、そして次の春の種になる』と。これを読んで人生と農業は一緒なんだな、と感じました。少しずつ家業の農業を意識することになりました」。
そのようなことも重なり、曾お祖父さんの最期の時にこんな言葉が咄嗟に出てきた。
「私が農業継ぐから安心して!」
本人は酔った勢いと言っていたが、おそらく深くに思っていたことが自然と出たのだろう。当時若干の22歳、将来に向けての歩みを進めた瞬間だ。
【農業を始めて】
農業を継ぐことを決め、当時は母の幸代さんが中心だった家業の手伝いを始めた海咲さんだが、実際初めてみると分からないことばかりだったと言う。「何でこの肥料を使うのだろう?何でこの農薬を使うのだろう?ということから始まり、色々な人に聞くのだけれど、その答えもよくわからないみたいな(笑)」
本で勉強したりしたが、相手は自然だ。教科書通りに事が進むことも少なくなかった。「お母さんに言われたことが、本に書いてることと違うこともあったんです。『それ違うっちゃー』って言い返したのですが、実際やってみるとお母さんの方が上手く野菜ができたりして」と自然相手の仕事に当初は困惑していた。
また当時はJAを通じた市場流通で出荷をしていたが、自分たちが作った野菜がどのように運ばれて、どのように販売され、どのような方々が買っていかれるのかがわからなかったという。そんな中ショックなことがあった。「JAの研修で大田市場の視察に参加させて頂いた時があったのですけど、段ボールごとゴーヤが捨てられてました。よく見たら段ボールにお母さんの名前が入ってたんです。これはあくまで選果のミスだったので私たちが悪いのですが、自分たちの知らないところで捨てられているのはショックでしたね」。
市場流通は大規模な出荷が出来るメリットはあるけど、やっぱりお客様に直接想いが伝わる農園にしていきたいと考えるようになった。お互い顔が見えて、直接お客様に買って頂く。その中で一つの方法が思い浮かんだ。「農家カフェをしたらどうだろうか」。お母さんの幸代さんの得意である料理も活かせるし、発信もできる。何より自分たちの野菜をその場で食べて頂ける。
「ただ、どうすれば、、、」
自分のしたいことは見えてきたけど、そこに知識や技術が追い付いていなかった。「将来を考えると一度真剣に勉強しないといけないなー」と思っていた時、京都にある農業学校の募集に目が留まった。授業内容には農業の技術だけでなく経営ノウハウも含まれており、そして農家レストランや八百屋の運営もしていた。「自分が学びたい内容が一度に学べる」海咲さんは入学を決意した。
2016年、単身京都へ向かった。
【京都での1年間】
農業学校へ入学後、運営している八百屋でのアルバイトも決まった。平日は八百屋で働き、週末は農業学校で勉強するという慌ただしい一年間だったが充実はしていた。
まずは「有機農業に出会うことができたのがよかった」と語る。1年の短い期間だったため、農業の原理原則を学ぶために農業技術は有機農法が中心の講義だったのだが、この魅力に惹かれたのだ。「中でも“微生物”に魅力を感じてしまって。土の中に多種類の微生物が存在する事で健康でおいしい野菜ができる。多様性という意味で農業も人間も同じなんだな、と思いました」。
また八百屋で働いたことも貴重な経験だったと言う。「農家だったのにまだまだ知らない種類の野菜がたくさんあるんだな、と思いました。それとお客様と直接話すのが楽しかった。農業も最終的に買ってくれるのはお客様、そのお客様と直接話ができたことで、どのような野菜が求められているのかを勉強できました」。今までは自分たちの野菜がどのように流通していったのかもわからなかったが、野菜を販売する現場を体験することでクリアになっていった。
そして様々な経歴はあれど“農業”という軸で繋がった受講生や講師の方との出会いは何事にも代えがたいと語る。「講師の方々には親身になって相談をしてもらえました。有機農法に関する技術的なことや切り替える際の注意点、また農家カフェの経営面までアドバイスを頂きました。そして1年という短い期間でしたが、お互い切磋琢磨してきた受講生の方々との出会いは本当に刺激になりました。この1年間は今振り返っても本当に大きかったですね」と語った。
【みさき農園とSachi Caféの誕生】
2017年3月に再び宮崎に戻ってきた海咲さん。農業学校で学んだことを活かし、農地の一部を今までの慣行農法から有機農法へ切り替えた。
「新しい農園は“みさき農園”と名付けました。これは私の名前が“みさき”だからということもありますが、実は漢字で書くと“実咲農園”になります。“実”には“真心”、“咲”には“笑う”という意味があり、真心を込めて野菜をつくり食べる人に笑顔になってもらいたい、との思いで名付けました」。
また有機農法では“土作り”が肝心とのことで、ここには時間をかけたという。「慣行農法では1週間ほどで土作りをしてましたが、有機農法では約半年。緑肥を育て漉き込んだり、微生物を増やす為の工夫としてぼかし肥料も新たに作り撒きました」。
農業学校で得た知識を農場で徐々に発揮していく中、農家カフェも新たな進展を迎えた。「たまたま行きつけの美容室に行ったところ、その美容室の隣にお洒落な小屋ができてたんです。まさに自分たちが考えてた農家カフェにピッタリのサイズ感と雰囲気でした。その次の瞬間には『ここでカフェをさせてもらえませんか?』とお願いしていました。美容室の方もスムージー屋さんをしたかったらしく話がとんとん拍子に進みました」。
2017年10月、田野町に農家ごはんとスムージーの店“Sachi Cafe”をオープン。名前の由来は、来てくれたお客様に“幸”せになってほしいこと、そしてお母さんの幸代さんの“幸”からとった。
【変わる形・変わらない想い】
海咲さんにはモットーが3つある。それは、①土から口まで、②笑顔、③次世代に伝える、である。「安全は当たり前なこと、常に『美味しい!』と言ってもらえるものを作って、食べる人との距離を近くする農業を心がけていきたい」と話す。
そして次世代に農業や食文化の素晴らしさを伝えていくことも自分の使命だと強く考えるようになった。
2020年12月海咲さんに第一子である長女が生まれたのだ。みんなの心に笑顔の種を蒔く人に育ちますようにと願い、“咲蒔(えま)”ちゃんと命名した。「代々家族で引き継いできた“農業のこと”や“地域のこと”、そして“想い”はしっかりと伝えていきたい。そしてそれを受け取った次の世代の人は新しい“形”を作ってほしい。農業を押し付けることはしないけど、もし農業をしたいと言ってくれた時のために、“土”だけはいい状態にしておきたいな」と語る。
また海咲さんの今後の展開もまだまだ終わりではない。「若い世代に向けたSNSでの発信や食育イベントの運営、さらにはキッチンカーを導入した取り組みもしていきたい」。
みさき農園とSachi Cafeの今後の取組が楽しみである。
Sachi Café 店舗情報
住所:〒889-1703 宮崎市田野町あけぼの4丁目54
電話番号:070-4495-4662
営業時間:11~15時(ランチ営業) 15時~17時(カフェ営業)
営業日:木曜日~日曜日・祝日(月曜日~水曜日は畑仕事のため店休)
Sachi Café(URL):https://sachi-cafe.net/
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