Profile

奈須 憲一郎

46歳 愛知県出身 1999年移住 フリーランス

取材をしたのは、2020年3月末。
コロナウイルスの感染拡大による自粛要請が、日本各地へ広がり出した、ちょうどその頃です。

「次々とおもしろいアイディアが浮かんでいるけど、まだ形にできない状況だから、ジレンマがすごいんだよね」と話すのは、奈須憲一郎さん。

1999年に下川町に移住して以降、行政と民間の経験を経ながら常に一貫したテーマを持ち続け、地域のプレイヤーとして活動しています。
そのテーマの研究対象として、なぜ下川を選んだのか、選び続けるのか、お話を伺います。

地方自治は民主主義の学校

下川町に初めて訪れたのは、1996年。僕が大学に通っていたときです。
研究対象は移住・定住がメインでしたが、その根本には「持続可能な社会を作る」という自分なりのテーマがありました。
学生時代から今まで、一貫してこのテーマを持ち続けています。

「持続可能な社会を作る」というテーマを考える中で、最初は科学技術で環境問題を克服しようと思っていました。
けれど、科学技術が原因で環境問題が発生しているのだと分かりました。

科学技術をコントロールできる社会にならないと、本当の意味で環境問題は克服できない。
そこで次に着目したのは、政治です。政治が機能すれば、地域資源の活用が見直されたり、仕組みが整ったりして、根本的な環境問題の解決につながるのでは、と思いました。

エネルギーが自給できる地域が各地に広がれば奪い合いも起きないし、二酸化炭素の排出量も抑えられる。けれど、そうした自主的な動きは少なかったんです。

「地方自治は、民主主義の学校である」という言葉、ご存知ですか。
イギリスの政治家・法学者・歴史学者のジェームズ・ブライスという人の言葉ですが、僕もこの言葉に共感していて。

政治に関わって持続可能な社会を作るには、人口規模の大きい都市だと時間がかかるし、むずかしいと思い、小さなコミュニティを探し始めました。

いまだに、地方から都市部へ人が流出する流れが止まらないのが、今の日本の現実です。
高齢の方は亡くなり、生まれる子どもは減る一方。新しく地域に移住してくる人がいないと、人口は減り続けて日本の地域はどんどん消えてしまうんです。地域を維持するためにも移住者は必要なんですね。

それに、外の目線を持って地域に入ると、今まで埋もれていたものが再発見されて、それが経済的動きにつながることもある。

他所から人が入ってきて新しいものを生み出す動きが地域の魅力を際立たせて、さらに人が入ってくる好循環が生まれるのでは、という仮説がありました。

よそ者ウェルカムな雰囲気

「持続可能な社会を作る」というテーマから、人口が減っている日本の地域では移住者が欠かせないという仮説を立てて、卒論では3つの事例を調べました。

十勝と、下川町より北にある中川町、それから下川町です。ただ調査をするにも、単に移住政策だけを取り上げるのではなく、実際にどういう人が地域に移住してきて、何をしているのか社会学的に研究をしようと思いました。

そこで、大学院2年生の時に、2ヶ月ぐらいバイトしながら下川町に滞在していました。なぜ下川に注目したのかというと、移住者はもちろんだけど、U ターンをしてきた人にも、おもしろい人がたくさんいたから。

いろんなジャンルの話題について、興味を持っている人とか見識がある人がいました。

そういう下川町出身の人が多いのも、移住者が多い理由かもしれません。それに、「よそ者ウェルカム」な雰囲気もあったし、下川なら自分が立てた仮説を検証できるかもしれないと思いました。

バイトしながら町内で調査をしていた間に、ちょうど下川町役場の職員募集も始まったんですよね。自らが政治の内部に入りつつ、客観的な視点で観察してみたいと思い、採用試験を受けました。結果的に、大学院を卒業して、役場に就職しました。

持続可能な社会を実現するために

役場で6年くらい勤めましたが、プライベートで「さーくる森(しん)人類」という活動に参加していました。
森づくりや、森を使った体験事業を、手弁当でやっていたグループです。

けれど、みんなそれぞれ本業をしながら活動していたので、サークル活動を持続させていくのが難しくなってきました。
それから当時、移住者がなかなか定住しないということも課題になっていました。

下川町の森林組合は、以前から独自に移住施策のようなものをやっていて、個性的な人がたくさん入ってきていました。
その中には下川の循環型森林経営に共感して「持続可能な森づくりをしたい」という思いを持っている人も多かったんです。

けれど、現場に入るとそういう思いはあまり尊重されなくて、理想と現実のギャップにショックを受けて、下川を離れる……という人たちがいました。

そこで、やりたいことがやりやすい職場を設けて、組織としても持続可能な社会をビジョンに据えれば、思いを持つ人の定着率は上がるかなと思ったんです。

こうして、2005年に「NPO法人森の生活」を立ち上げました。

2013年には、代表を麻生くんにバトンタッチしましたが、結果的に「森の生活」に就職したメンバーの中で、起業した人とか、職員ではなくなったけど下川には暮らし続けている人だとかもいて、そういう部分では持続可能な社会づくりに貢献できているのかなと思います。

使う人に合わせて用途が変わる「ホスティングハウス」構想

「森の生活」の代表を務めているときに、議員にも当選して以降、2期、町議会議員としても仕事をしました。
今は何屋なのかと聞かれると……「職業・奈須憲一郎」かな(笑)。
ボードゲームが大好きで、個人的に販売したり、町内の場所を使わせてもらってボードゲーム会を開催したりしていたんだけど、町内の方に物件を借りて「あそべや」というお店も始めました。

これからはここを「ナンダカオモシロ荘」という名前で、いろんなことに活用していきたいと思っています。

下川町は、2018年にSDGs未来都市に選定されましたよね。
でも、内実はまだまだ未成熟だと思っています。

「ナンダカオモシロ荘」は、SDGsの趣旨に合うような、自然エネルギーを使った場所にしたいと思っています。

エネルギーだけでなく、人も循環するような。

もう一つのコンセプトは、文化的発酵。
西興部村に、昔、日本酒の仕事をしていた浅野さんという方がいていろんなことを話すんだけど、発酵って改めておもしろいなと思ったんですよね。
菌だけでなく、人間社会でも、いろんな異質な人が混ざり合って、発酵していくものもあれば腐敗していくものもある。
そういう発酵が起きる場に、したいんだよね。

例えば、キッチンは誰でも利用できるようにして、日替わりマスターがお店をやったり、ある時はスナックのママがお店に立っていたり。
ゲストハウスがゲストを受け入れる場なら、「ナンダカオモシロ荘」は、ホスティングハウスと言えばいいのかな。

ゲストを迎える場所ではなくて、ホストをやりたい人を集める場。ホストの個性に合わせて、何色にでも変わるような。

あわよくば、「ナンダカオモシロ荘」を通じて、独立する人が現れるような、インキュベーション的な機能も持たせたい。

それから、コワーキング的な機能も考えています。

二階はちょっとしたオフィス的な利用ができるようにしたり、会議スペースを設けたり……。
「自宅でオンラインの作業をやるのは、ちょっとなー」っていう人も、利用できるように。

あとは、中学生をメインターゲットにした、自主学習支援もやろうと思っています。
自分がそもそも何をやりたいのかを見つめて、今の自分の状態と、「こうありたい」と思う姿を描いたとき「今日は何をやる?」っていうことを考えられるような力をつける場です。

自分が何をやりたいのかとか、なぜ今それをやりたいのか、もしくはやりたくないのかを、対話しながら自主性を高めるような事業を、やりたいと思っています。

いわゆるテストの点数を上げるためのお勉強の塾ではなく、自分のやりたいことを実現する力を養う塾、というか。

やりたいことは、いっぱいあります。

ちょっと時間はかかるけれど、おもしろい人たちがたくさんいる町ですから、小さい動きでも、寄り集まれば、徐々に影響力も増してくるかな、と。

思いついたことは、どんどん形にしこうと思っていて。
動き出したら、全然違う方向に落ち着いてるかもしれないけど、仮説を立てて検証して、また仮説を立てて……の繰り返し。

それがおもしろいんですよね。

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