北陸、石川県にある小松市は東京・大阪・名古屋の3大都市圏からほぼ等距離に位置する、人口約10万人の地方都市。市内には日本海側最大の小松空港があり、国内線と国際線が就航している。さらにJR特急列車が停車する駅があり、2024年3月には北陸新幹線の駅も開業予定の、アクセス抜群のまちだ。
市内はクルマで30分圏内の身近さに海、山などの自然はもちろん、ショッピングモールや学校、図書館、病院、子どもたちの遊ぶ施設も多い。全国的に見ても、安心・快適・利便など全ての指標のバランスがよい、優れたまちとして評価され「住み良さランキング」で全国8位を獲得(出典:東洋経済新報社「都市データパック2020年版」)。「多様な働き方が可能な都市」として第1位にも選ばれた(日本経済新聞と東京大学の2021年調査結果)。テレワークや二拠点生活にも適した、住みやすいまちと評価が高い。
また、町衆文化として普及した茶文化と懐石料理があり、小松の食文化として今日まで受け継がれている。そのため料亭の数も多く、温泉旅館の中でも料理旅館として名高いところも多い。そのような小松市で店を構える、料理店や旅館の女将・若女将で結成された「小珠の和」というグループがある。今回はこの発起人でもある4名にお話を聞いた。
4人の女将たち
最初に話をしてくれたのは、梶あい子さん。「小珠の和」のメンバーに最初に声をかけ始めた人だ。
「私は熊本出身で、夫が小松の料亭の3代目です。代を受け継ぐ時、2歳の息子を連れて小松に来て14年たちます。移住して2年程で2人目に恵まれたので、いわゆるママ友として知人が増えましたが、同業者とは全くつながりはありませんでした」
年月が経つにつれて、あの料亭の跡取りが結婚したなど情報が入ってきたり、ご主人同士のつながりがあったり。ローカルテレビでお店を紹介していくような番組があり、同世代で女将をされている人がいるんだなと知ったそう。
その中の1人、己書師範でもある釜井田江さんは大阪出身。今のお店を始めて16年。小松には学校と下の子どもを連れて移住して17年になる。
そして、茨城県笠間市出身で、元五輪日本代表という経歴から旅館の若女将に転身したのは、喜多真裕美さん。小松に来て11年目。他の3人と違って、仕事も土地も本当に未知の世界だったそう。
1939年創業の老舗料亭に嫁いだ、浮田彩さんは新潟出身で利き酒師の資格も持つ。移住してくる時は、全く知らないまちだったが、大きな不安はなかったという。小松の方が自然と受け入れてくれたように感じていると話してくれた。
小松での暮らし方
4人全員が他県出身ということもあり、小松での暮らしについて聞いてみた。
「野生動物が意外と身近にいるよね。狸とかキジとか」と声が上がると、皆がそうそう!と笑顔で繰り返す。小松は山にも海にも近く、どちらに向かうにも中心部から車で15~20分圏内。様々な動物たちが近くで暮らしているのだ。その一方でショッピングモールもあり、買い物にも便利。住宅地も整備され、子どもを育てるにも環境がいいとの声も。
「自分が育ってきた土地と違って、小松は人と人のつながりが強い。子育て環境としては、人の顔が見えるというのはとても大切なことだと気が付きました」と梶さん。
加えて、人間国宝の方なども意外と身近にいらっしゃるそうで、料亭にお食事にこられることも。東京であれば雲の上の人が、近い距離で生活をしているまちは珍しい。
「公園のここが壊れてるんです」と市に連絡すると、対応が早いのに驚いたと言うのは浮田さん。確かに大きなまちであればどうしても遅れがちだが、小松の程よい規模だからこそ可能なことがたくさんあるのだろう。
更に小松の中で好きな場所をお聞きすると、それぞれの想いが伝わってきた。梶さんは「今はもう見られないのですが、小松市公会堂からの眺めですね。今自分が生活し、生きている街並みが展望塔から一望できたので、それがとても愛おしく感じました。残念ながら老朽化で解体予定です」
釜井さんは「鱒留の滝」だという。小松市西俣町の西俣川上流に架かる落差7mと低めの滝だが、二条の滝筋と緑の苔が魅力で西尾八景の一つ。鱒が上流に行くのを留めていたのが滝名の由来だそう。「行っても誰にもあったことがないくらい、地元の人しか知られていない場所です。私の秘蔵のパワースポットなんですよ」
「安宅海岸」をあげたのは、喜多さんと浮田さんの2人。どちらもご主人との大切な思い出の場所だそうで、海岸の延長上には恋人の聖地になっている箇所も。夕日が美しく、カップルも家族でも楽しめる憩いの場だ。茨城の山に近いエリアで育った喜多さんにとっては、身近で海の景色に感動するスポットのよう。
コロナ禍でつながる
そんな4人も2019年に今のつながりはなかった。コロナショックで様々なことが変化し、飲食や宿泊業にも大きな影響が出始めた中、20店舗ほど集まってお弁当がテイクアウトできるイベントが開催され、そこで4人の縁がつながり始める。同業者であり、同世代という共通点を持つ彼女たちは、お互いに貴重な存在となってゆく。
同業だからこそ、同じ時間に忙しいため、コロナがなかったら会える時間もなかったと4人は言う。
「最初は同業者だからこそ、緊張もしたんです。でも女将業も、毎日の生活のことも、子どものことも情報交換することによって、ただ楽しいだけでなく、勉強になるという感じでした。もうアドレナリンが出て大変でした」と笑って浮田さんが言うと、皆が同意した。
そんなふうに親交を深める中で、旅行会社に精通している旅館の女将である喜多さんが、料亭の皆にも県民割りなどの制度を教えてくれるなど、新しい変化も起こる。旅行に料亭での食事を加えるなど、小松の新たな魅力が生まれ始めた。
困ったときや悩んだ時には相談する相手。そして一緒に小松を盛り上げていく仲間。4人から始まった和は、次第に変化を見せる。
「小珠の和」のこれから
せっかくこれだけ同業者が集えるのであれば、小松に実のある活動の場を作っていくのはどうだろうという話になり「小珠の和」が結成された。現在は10名のメンバーだ。
「ソウル便が再開したので、韓国からのお客様を着物でお迎えするなど、日本の文化を代表してお伝えしていくことはもちろんしたい。でもそれだけではなくて」と会話が進む。
例えば浮田さんの日本酒、喜多さんのスポーツ、梶さんの九谷焼、釜井さんの己書など、自分がもっていない才能を他の人が持っている。それぞれの強みを活かし、さらに、料亭にも寄って、宿でも泊まるなど、小珠の和から派生させた観光地も含めた旅行プランのような形で発信していきたいという。まずは旅行に来て小松を楽しんでもらいたい、と話してくれた。
「今の小珠の和は、まだ料理つながりではあるのですが、これからは関わる皆が主人公になって、小松の人だけでなく観光客の方も含め、楽しんでもらいたいです。私たちがきっかけで、和食だけでない料理店などにもゆっくりとつながって最終的に小松のためになればと思っています」と梶さんが皆の想いをまとめてくれた。
コロナ禍で困難な状況に陥ったことも多いが、それが縁で出来た仲間は、まだ始まったばかり。決して女将の「会」ではなく、「和」としたのは「余白を持たせたかった」という想いから。そして「女将」と呼ばれる若い仲間たちに、繋いでいきたいという。その「和」はこれからまた、静かに広がっていきそうだ。
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