- 出身地と現在のお住まい
神奈川県横浜市出身→台湾在住5年→飯舘村
- 現在の仕事
日本・福島と台湾との相互交流を推進する株式会社サクラ・シスターズの代表
- 移住・起業後の変化
協力してくれる人の多さに人の温かさを知った
台湾でのタレント活動などユニークな経歴を持つ峯岸ちひろさんは、ある出会いがきっかけで2022年秋に飯舘村へ移住しました。同時に、台湾との交流を通じて福島の復興に貢献したいと創業。持ち前のバイタリティと日台に広がる人脈を駆使し、飯舘村内外で複数の事業を立ち上げて精力的に活動しています。この記事では、元グラビアアイドルらしいSNS写真のイメージとは少々異なる、実業家としての峯岸さんの姿を紹介します。
初めて見た被災地に衝撃、この地で起業を決意
――移住するまでのご経歴を簡単に教えてください。
高校時代に修学旅行で台湾を訪れて以来、その魅力に惹かれていました。2017年、大学4年のときに芸能活動を始め、休学して単身台湾へ。タレントやインフルエンサーとして活動するほか、日本語の指導や飲食店の経営にも関わっていました。2021年秋に帰国して大学に復学、日台合弁会社について研究していたところ、在京の日台交流グループ「福島前進団」が双葉郡内の7町村を訪問した際に通訳として同行する機会があったのです。私にとって初めての福島訪問でした。
――それが移住・起業のきっかけだったのですね。
帰還困難区域の表示や除染土の黒いフレコンバッグ、その横で作業中のトラクター。初めて見る被災地の風景はほんとうに衝撃的で……。震災から10年以上たっても復興はまだ道半ばであり、これは福島だけでなく日本全体の問題だと感じました。もともと卒業後は海外へ日本文化を発信するビジネスを立ち上げたいと考えていた私は、そうだ、この地域で起業することで、その夢の実現と同時に福島の復興に貢献しよう、県産品の風評被害払拭に尽力しようと思い立ったのです。福島12市町村での起業には手厚い支援金があるとも聞き、ツアーの帰りの新幹線の中でもう心は決まっていました。
――12市町村の中でもなぜ飯舘村を選んだのでしょう。
移住先を探していくつかの市町村を訪れましたが、飯舘村に入った瞬間に「ここだ!」とひらめいてしまって。涼しい風とどこまでも続く緑は、まさに自然と共生する理想の風景。周囲の人からは「何にもないよ」と言われましたが、何もないところにこそ惹かれたんです。
さっそく事務所と住まいを兼ねられる物件を探そうと村の空き家バンクを検索したところ、その時点では候補物件が1つしかなく、すぐ大家さんに連絡して現地を見学。即決でした。ただ、あいにく水回りが整備されていなかったため、そこは事務所専用とし、住まいは別途探す必要がありました。ちょうどそのとき村営住宅に空きが出たと聞いて申し込み、無事入居して今に至ります。すぐに車の運転免許も取りました。
福島県産品をさまざまな手法で台湾へPR
――移住と同時に株式会社を設立しましたが、起業準備として地域おこし協力隊などは検討しませんでしたか?
実は、協力隊という制度があることは後から知りました。台湾には20代で会社を設立した友人がたくさんいることもあり、起業といったらそれ以外の方法を知らなかったというのが正直なところです。
もちろん、会社員経験ゼロの私がいきなり会社をつくるのは無謀だと思ったので、まずは知人の紹介の貿易会社などで半年間、修業させてもらいました。そこでビジネスメールの書き方など初歩から仕事を学び、福島12市町村起業支援金や飯舘村のスタートダッシュ補助金の申請の際も事業計画の作成などで大いに助けてもらいました。
――開業から1年半、これまでどんな事業を展開してきましたか?
日台間の人とモノの相互交流の推進です。台湾での福島県産品のPRについては、SNSなどを使った情報発信のほか、昨年(2023年)は台中市で開かれた国際食品展示会に出展し、日本酒・おつまみ・酒器のセットや独自企画のポテトチップスなどを販売して好評を得ました。また、台湾人の視点で福島・浜通りの魅力を発信するため、撮影チームを招いて動画を制作し、秋には台湾のプロ野球チーム「楽天モンキーズ」の試合で放映。そこにも県産品を持参してPRしました。ほかにも、台湾の飲食関係者を福島に招いて農家訪問や試食会を行ったり、台北と福島の飲食店を結ぶイベントを開催したりもしています。
飯舘村から食品ロス削減に貢献する新事業を
――飯舘村内ではどんな活動を?
県産品をPRするにあたり、まずは農家さんの気持ちを知る必要があると考え、昨年春に畑を始めました。もちろん農業知識もゼロでしたから、ネットで調べて農業学校で教えておられたベテラン農家の方を発見。直談判でご指導を依頼したところ、快くお引き受けくださいました。
それで、最初は事務所の隣でじゃがいもやオクラ、ミニトマトなどの栽培に挑戦したのですが、ふだんは私一人のためなかなか管理が行き届かず、ほとんど猿に食べられてしまったんです。そんなこともあり、今年からは飯樋地区にあるCOCODAさんというゲストハウスからお借りした畑に移動しました。そこでは鉱石抽出物から作られた液体を肥料として使用する実証実験を行っています。収穫した野菜はゲストハウスで使っていただくほか、いずれは県内の子ども食堂で提供できればいいなと考えています。
――肥料の実証実験というのは何のためですか?
私たちは、鉱石を細かく粉砕・液体化する技術を持つ東京の企業さんと協力関係があります。飯樋の畑では現在、その会社の既成製品を使用して生育状況を調べていますが、まもなく飯舘村内に豊富にある花崗岩の独自採掘を開始して、それを原料とした同製品の開発を計画しているのです。飯舘村の杉岡村長とお話しした際、かつて村の一大産業だった花崗岩採掘を再興したいというお考えを聞いて発案しました。この事業推進のため村とは今春連携協定を締結し、地元の石材屋さんの協力も得られることになっています。
製造工場を建てる土地は南相馬市に借りることにし、そちらにも事務所を開設しました。この鉱石抽出物には抗菌作用があり、原液の希釈のしかたによって肥料だけでなく水産物の抗菌・栄養剤としても使えます。食材の日持ちがよくなるため、フードロスの削減にも貢献できるはず。それを福島発で広めていくことに意義があると思っています。
――そのほかの計画もあれば教えてください。
今年1月に復活した福島空港~台北のチャーター便を利用し、この秋「ガイドブックには載っていない台湾発見ツアー」の募集を開始する予定です。台湾から呼び込むだけでなくアウトバウンドも大切だと考えて企画したものです。こうしたことが少しでも定期便就航の実現につながるといいですね。それから、台湾の芸能事務所と共同でプロデュースした台湾人ガールズユニット「福島もも娘from Taiwan」が、5月末の相馬野馬追でデビューしました。これから日本全国のイベントで福島の桃をPRして回る予定です。日台をつなぐ次世代アイドルへと育てていきたいと考えています。
こんなに助けてくれる人がいることに感動
――飯舘村に来る前後で、ご自身に変化はありましたか?
人の温かさを知りました。私は26歳の時に言葉も通じない台湾へ単身渡航し、競争の激しい世界でひとり闘ってきました。そのせいか、頼れるものはいつも自分だけと思っていたところがあります。飯舘村でもまずは一人でやっていくつもりだったのですが、自分の志を周囲に話したら日本にも台湾にもこんなに助けてくれる人がいるなんて……。まさか1年半でここまでできるとは思っておらず、自分でも驚くと同時にみなさんの協力に感動しています。
特に、よそから来ていきなりいろいろなことを始めた私に、とても親切にしてくださる飯舘村の方々には感謝しかありません。都会暮らししか知らなかったので、最初お付き合いの距離感がつかめず悩んだ時期もありますが、なにごとも誠意をもって伝えればいいとわかった今は、もう大丈夫です。
――12市町村で移住・起業を考えている人へ一言お願いします。
この地域では震災当時つらい思いをされた方も多いはずですが、少なくとも私がご縁をいただいた方々はみなとても前向き。過去のことより今をどう生きるか、将来をどう盛り上げていくかを考えておられます。出身も背景も違うけれど私もまさに同じ思いなのです。手厚い移住・起業支援金を最大限に活用しつつ、同じ志を持つ人たちと一緒に挑戦できるのが、この地域ならではの魅力ではないでしょうか。また、移住起業者同士でも、競争ではなく協力してお互いに得意な部分を任せ合うような温かい雰囲気があるのもいいところだと思います。
峯岸ちひろ さん
1991年、神奈川県生まれ。早稲田大学在学中に芸能活動を開始。2017年、単身台湾に渡りタレントなどとして活躍。2021年秋、帰国。翌年、福島県飯舘村に移住と同時に会社設立。日台をつなぐ活動を精力的に展開している。SNSフォロワーの9割が台湾人。
株式会社サクラ・シスターズ
所在地:〒960‐1803 福島県相馬郡飯館村伊丹沢字山田225番地
TEL:0244‐26‐9582
E-mail:info@sakura-sisters.com
HP:https://sym-naturelife.com/
※内容は取材当時のものです。
取材・文:中川雅美(良文工房) 撮影:塩沼麻衣
※本記事はふくしま12市町村移住ポータルサイト『未来ワークふくしま』からの転載です。