奈良県吉野町、桜や紅葉の名勝地として多くの観光客が訪れる町の山あいに、ニッチな層から支持を集める小さな宿がある。ゲストハウスKAM INN(カムイン)は素泊まりを基本プランとした女性専用のお宿。自然や景色だけではない“ディープな吉野”を求め、女性たちが日本各地からやってくる。KAM INNの女将を務めるのは、片山文恵さん。就職を機に奈良へ移住した片山さんは現在、女将ともう一つ、行者としての顔を持っている。なぜ女将となり、行者となったのか。誰かの居場所として、また自分の居場所として、宿を創り上げていく片山さんの今をお伝えする。
片山文恵さん
岡山県生まれ。父親の転勤で岡山、新潟、横浜で幼少期を過ごす。東京農工大学・大学院を卒業し、奈良県の包装容器メーカーに就職。
2017年春にゲストハウスKAM INNをオープンし、2018年に金峯山寺の行者となる。
記事のポイント
- 企業に勤めながら2年間空き家を探し続けた
- 中途半端にはしない。修験道の町をとことん学ぶ
- “あやしい奈良”を現代の言葉で伝える語り部になりたい
あの空間を作りたいから
片山さんが宿泊業に興味を持ったのは大学生のとき、サークル活動で負った怪我が発端だった。
「お医者さんに安静にしてなさいって言われたんで、電車で一人旅をすることにしたんです。家にいたらじっとしてられないから(笑)。電車だったらずっと座ってなあかんからちょうどいいかなと思って。」
青春18きっぷを手に、ひたすら電車にゆられ東北を一周。宿泊先は公衆電話でタウンページを開きその場で決めた。
「その時に泊まった民宿の空間がすごいよかったんですよね。その土地が感じられるというか。1日そこに立ち寄るだけの旅人の私が、民宿のおじいちゃん、おばあちゃんの生活の中にポッて自然と入っているような感覚で。すごい不思議だったのと心地よいのと。こういう空間づくりっていいなぁと思ったのが最初のきっかけです。」
“あの空間を作りたい”という気持ちは卒業を間近に控える時期になっても強く残っていた。あの場所を再現するには宿業しかない。資金を集めるため、就職することを考えた。
片山文恵さん
「まずは働かねばと思ってたので、就職します!って教授に伝えたら、ちょっと冷静に考えようって止められましたね。」
教授が勧めたのは、大学院への進学だった。大学院でMOT(Management Of Technology:技術経営)を学び、世界を広げては?と勧められた。
「経営は学んでおいた方がいいかもと思って結局進学することにしました。当時、大学卒業後すぐにMOTを学んでいる人はあまりいなくて、同級生は大手企業の会長さんとか社会の第一線で働いているすごい人ばかり。めっちゃ厳しかったですけどその分多くの学びを得ました。」
その後就職活動を経て奈良の会社に就職。社会人になって3年が過ぎた頃、宿を開くための物件探しをスタートする。奈良県では比較的宿泊施設が充実している奈良市以外の地域へ、土日の休みを使い足を運んだ。
「オープンするまでの一番難しい壁は物件が決まるかどうかなんですよね。不動産屋に行っても空き家の情報がないので、一つひとつドアをノックするところから始まるんですよ。空き家っぽいものを見つけたら隣の家の人に声をかけるっていう。もう全然決まらなくて。まずゲストハウスっていうのもなかなか受け入れてもらえないんです。“飯も出さんでやっていけるのかこんな町で”っておじいちゃんおばあちゃんからお説教を受けました(笑)。」
それでも気になった地域には足を運び一軒一軒訪ね歩いた。そのうち名前が広がり「どうやら空き家を探しているらしいぞ」と会ったことのない人までも片山さんの存在を知るようになった。
しかしそれから2年間、探しても探しても条件に合うところが見つからない。一度決まりかけた物件もあったが直前でキャンセルに。その時は本当に心が折れそうになったそうだ。
半年ほど休憩をはさむことにして、観光気分でいろんな場所を見てまわった。その時によく訪れていたのが吉野町だった。
「山伏女将 片山惠遍」になる
「吉野に行くうちに知り合いが増えていって、その知り合いの方からここを紹介してもらったんです。」
ちょうど住み込みで働ける人を探していたオーナーと話をして、自分の描く宿のイメージをプレゼンした。
片山さんにはやりたいことがあった。
「吉野に限らず奈良県のいろんな文化を伝えたい、残していきたいという気持ちがあって、その発信拠点になるような宿を作りたかったんです。」
世界遺産の法隆寺をはじめ奈良県には有名で歴史ある名所がたくさん存在する。しかし全国的に見ると宿泊施設の数が46位と少なく、滞在時間も短い。
「有名な場所をちょっと見て帰っちゃうんです。私も最初は深く知らなかったんですけど、小さなお寺とかまわってお坊さんと話してると、吉野っていう土地は、住んでいる人の生活の中に修験道が文化として根ざしているというのがすごいわかって。吉野へ来る人はほとんど桜目当てですけど、修験道の聖地だということを一番知ってほしいと思ったんです。」
片山さんはまず修験道をしっかり学ぶため、朝座勤行に行き、毎月の護摩もできる限り参加した。学べるものは学べるだけ学ぶ。中途半端にやっていては行者さんの理解も得られないと、女将になった1年目は吉野を知ること、修験道を理解することに専念した。そうするうちにある行者さんから「お前はもう俺の内弟子みたいなもんだから」と、修験道のイベント開催を提案してもらえるまでになった。
「その言葉をもらったとき嬉しかったんですけど、私の中でもちゃんとけじめをつけないとと思って、得度することを宣言しました。それでも、『修験道よく知らんくせに』って言われたら嫌だなという気持ちもありましたし、自分もそういう状態でイベントするのが嫌だったので、ちゃんと自分が学んだ修験を伝えられるために、行者になることを決めました。」
一番なりたい職業は、奈良を伝える語り部
片山さんは現在、半分女将、半分行者として生活している。
毎朝薄暗い空の下、朝座勤行のため山道をひとり登って本堂で読経。KAM INNでは定期的にイベントを開催し、奈良を学べる機会を作っている。
「私が好きなのは“あやしい奈良”なので、ちゃんとした歴史とは違うかもしれないですけど、あまり一般大衆受けするものではないような、かなりマニアックなものばかりをテーマにしてます。」
オープン当初は様々なお客さんが訪れたそうだが、次第にねらった客層が来るようになっている。
「物件探し始める前にゲストハウス開業合宿に参加して学んだことが大きくて。たとえ100人の中で1人しか共感する人がいなかっとしても、日本の人口のうち100人に1人がお客さんになればかなりの数になる。なのでとことん尖ることにフォーカスしてます。」
訪れるお客さんが楽しめるよう本を揃え、コアな質問に答える。小難しく話すのは嫌いで、歴史的文書であったとしても現代に合った言葉にして語る。相手に伝わらないと意味がないということはMOTで学んだことだ。
リピーターも着実に増えている中で、これから目指しているものについて聞いてみた。
「一番やりたい職業名として近いのは語り部だろうなと思っていて。正直、宿は私の中でツールなんですよね。いろんな話を伝えたいとか、私が話すことで文化を残す方向に持っていきたいとか。一番ゆっくりお客さんに話を聞かせられる宿業が今の私には一番適しているなっていうのが分析結果です。将来的に語り部が生業でできたら楽しいですよね、きっと。」
片山さんはどこにいてもどんな状況でもストイックでまっすぐだ。目の前の人、出来事、その土地の生活、文化や歴史にとことん向き合い、リスペクトする。山伏女将となったのはその結果。必然だったのかもしれない。新しく自分の居場所を築いていくのに必要なのは、根性や行動力などのパワーだけではない。その根底にある真摯な姿勢こそが道を切り開くことを、片山さんが体現している。
●KAM INN 概要
- 所 在 地 : 〒639-3115 奈良県吉野郡吉野町吉野山2352
- 電 話 :0746-39-9169
- KAM INN ホームページ
取材・文:松田藍