さまざまなモノがインターネットにつながり、それを人工知能が制御するようになると言われる第4次産業革命。この大きな潮流を魅力的な地域づくりのガソリンにしようと始まったのが、『ひろしまサンドボックス』だ。湯﨑英彦知事の肝入りで3年間で10億円規模の予算を投入。県内外に広く門戸を開いてAI/IoT分野の実証プロジェクトが公募され、89件の応募から選ばれた9つの実証プロジェクトが走っている。最大の特徴は「失敗してもいい」こと。行政が率先してリスクをとることで、これまでにないソリューションを広島の地で生み出そうという戦略だ。『ひろしまサンドボックス』はなぜ生まれ、地域にどんな価値を提供しようとしているのか。広島県商工労働局イノベーション推進チーム地域産業デジタル化推進担当課長の金田典子さんに伺った。
「失敗してもいい」行政の新たなコンセプト
「きっかけは、危機感です。広島県は、MAZDAを筆頭に製造業で栄えてきた自治体ですが、従来のままでは立ち行かなくなるのではないか、と。99%を占める中小企業のみなさんは、AI やIoTという言葉を耳にしながら何から手をつけていいかわからず、焦りを感じている状態でした。」
新たな価値創造や生産効率向上を目指してAI/ IoT投資に取り組むにはコストがかかる。しかし、期待できる効果も妥当な投資額も未知数。1社でいきなり大掛かりなシステムを導入するのはリスクが高すぎる。同じ課題を抱えている企業が一緒に試行錯誤できる財源と環境が必要だった。
こうした危機感から、広島県は『ひろしまサンドボックス』以前にも、ものづくりとITを融合した新しい価値の創出や生産効率の向上を目指す取組を支援してきた。続く一手として「3年で10億円規模」は飛躍的だが、大きく動かしたのはなぜだったのか。
「県内にIT企業は少なく、人材の集積もありません。また、ベンダーは市場にまかせておくと大企業向けに開発をするので、99%の中小企業には手が届かない。県外からIT人材や企業を呼び込み、地元経済のメリットにつながるチャレンジをしてもらうには、大胆なコンセプトとインパクトが必要と考えました。また、着眼点は製造業のアップデートでしたが、AI/IoTの恩恵は製造業にとどまりません。」
議論を重ねるうちに、農林水産業や防災、インフラ管理や個人レベルのスマートライフなど、AI/IoTを活用した地域課題解決のフィールドがさまざまな分野にあることを認知。こうしたフィールドに魅力を感じて最先端技術などのシーズを持つ人や企業が集積し、オープンイノベーションが起きるコミュニティが形成されることをゴールに据えた。
「『ひろしまサンドボックス』のコンセプトは『広島に行けば面白いことをやらせてもらえる』というブランドづくりによって、AI/IoT人材・企業を集積し、コミュニティの力でイノベーションが生まれる地域をつくることです。」
先進的なコンセプトや予算規模のインパクト、知事が東京都渋谷区で記者発表を行うなどの全国に向けたプロモーションが奏功。国の事業でも20件ほどで合格点といわれる応募件数は89件にも達した。内容も、狙いどおりさまざまな分野の提案が寄せられた。
審査では、地域性等に加えて,新規性と実現可能性のバランスが重視された。
「デバイスを買えばできてしまうのではなく、新しいチャレンジをしているかが大きなポイントでした。同時に、技術開発ではなく課題が起点にあるかどうかも議論の的に。選ばれた9件は、解決しようとする地域課題が明確で、先行事例などから、ある程度実現可能性を導けており、なおかつ『ここから先はチャレンジです』というストーリーが描けているところでした。」
コミュニティに入れば何度でもチャレンジできる
『ひろしまサンドボックス』のコンセプトは「オープンイノベーション・コミュニティの形成」で、最大の特徴は「失敗してもいいこと」。具体的には、どんな制度や取り組みに反映されているのだろうか。
「まず、コンソーシアムでの応募を条件にしました。また、実証プロジェクトの募集だけにとどまらず、同時に『ひろしまサンドボックス推進協議会』を立ち上げ、会員を募集。現在、650名を超えます。その会員向けに、『ハッカソン』『作戦会議』など、さまざまな打ち手を展開しています。
また、選定した実証プロジェクトについては、現地に行って進捗の管理と課題の確認をしています。これは当たり前ですが、その時に「遅れてますね」とか「計画通りじゃないですね」といった監査や査定をするようなコミュニケーションはしない。上から目線ではなく、伴走する目線と姿勢にこだわっています。そうでないと、足りないものが見えない。『もうひとりプレイヤーを入れないとダメだよ』って指摘してキャスティングするといった発想を、意識的にしています。行政としての本音を言えば、3年終わって『チャレンジできてよかったです』だけでもつらいんですが(笑)『計画変更は悪で仕様書通りのアウトプットを出すことが全て』みたいな姿勢で、ソリューションやビジネスモデルだけを求めるようになると、本当に狙っているものが出現しない。失敗を失敗と捉えない覚悟をしています。
さらには、商工労働局の範疇にない分野のプロジェクトでは、県庁内での縦割りを乗り越え必要に応じて関係部局に相談に応じてもらうといった、役所らしからぬ動きをしています。」
打ち手の詳細は以下のとおり。
ひろしまサンドボックス推進協議会
650名を超える企業等が登録し、約6割が何らかのAI/IoTを活用した新たなチャレンジをしたいという意思表示をしている。
トライアウト
公募を第一次と第二次の2回にわけ、1回目の選定に漏れた提案者向けにベンチャーキャピタル(VC)等による無料相談会を実施。漏れた46件のうち22件のコンソーシアムが相談に訪れ、うち13件のコンソーシアムが二次公募に挑戦。二次公募で選定された4件はすべてトライアウト参加者だった。
作戦会議
選定されなかったり、応募に至らなかった人たちからも本気の意見を出してもらう場を『作戦会議』と名付け、一流のファシリテーターを招いてワークショップを開催している。目的は、プレイヤーの発掘はもちろん、行政がサポートメニューをつくって募集する”プロダクトアウト”ではなく、会員同士の本気の意見出しからニーズを拾って規制緩和や企業のリソース誘致、人材のマッチング、事業化などのサポートメニューをつくること。「これまでに2回実施し、かなり本気の意見を拾えたので、実施に向けて動き始めています。『持ち帰って検討します』ではなく、すぐ動き、ダメでも結果を出します。」
ハッカソン
9つの選定プロジェクトのうち、2つで合宿形式のハッカソンを実施。コンソーシアムのメンバー以外も参加できる仕立てにし、いいアイデアがあれば現在の事業計画を変更して盛り込んでいこうという取り組みだ。オープンイノベーション・コミュニティの形成を旨とする『ひろしまサンドボックス』ならでは。
AIがiPadで匠の技を伝える日
選定された9件のうち、金田さんがもっとも進んでいると見ているのが、「レモン栽培へのAI/IoTを活用する実証プロジェクトだ。約50のレモン農家を束ねるとびしま柑橘倶楽部や中国地方を事業基盤とするIT企業エネルギア・コミュニケーションズなどがコンソーシアムを構成。広島市内から2時間強の離島 大崎下島をフィールドに、レモン栽培・流通のAI/IoT化を軸にして地域高齢化の課題に取り組んでいる。
コンソーシアムには、竹中工務店や日米間で建設機械のトレードを手がけるMCIC(M-Cross International Corporation)も参加している。収穫したレモンを急斜面から下ろし、出荷場まで運ぶ重労働を、ドローンや人を自動追従する台車ロボットで代替する実証実験を進めている。
「農園のIT化にはすでに取り組んでいて、レモンの木にも温度湿度を計測するセンサーがついていました。『ひろしまサンドボックス』に応募するにあたり、農作業効率の向上から、大崎下島という地域全体の課題解決にアップデートしました。」
そう話すのは、エネルギア・コミュニケーションズの武田洋之さんだ。
9割が70代80代の高齢者となっているレモン栽培のプロフェッショナルたちが引退してしまう前に、長年の経験で培った勘に基づく意思決定と作業を記録。木につけたセンサーや農園のドローン撮影で取得した温度湿度や成長度合いのデータと相関分析をすることで、いずれは「今日の農園では、総合的に見てこの作業をするべき」ということが、iPadを見れば分かるようになる。これを新規就農者の育成に活用してもらうことで、後継者不足に手を打つ考えだ。また、農園より広範囲な地域全体の状況は衛星データを活用する方針。この衛星の通信機能を、災害時に既存の通信網が使えない場合の代替手段として活用する検証も盛り込んでいる。
2018年7月からセンサーのデータの蓄積を始め、作業記録を取り始めたのは2019年1月、ドローンを飛ばし始めたのが3月。衛星データは、どんなデータがレモン栽培に最適なのかを現在探っている。今後は、蓄積できたデータをデータサイエンティストが整理し、生産者と議論を行いながら,生産者の欲しい情報が提示できるよう妥当性のあるデータをAIにディープラーニングさせてみる。ここまでを、今年度中に進める計画だ。
「来年度の取り組みについては、今年取れたデータでAIがどの程度成長し、生産者の要望に応えられるようになるかの検証次第だと思っています。われわれは、70歳のプロフェッショナルな生産者に『AIが俺と同じ答えを出せるようになった』と言ってもらえるようになることを目指しています。そうなるには十分なデータの蓄積が必要で、もう少し時間がかかると想定しています。なので、3年の事業期間が終わっても、この取り組みやデータが『ひろしまサンドボックス』のコミュニティに残り、活用されていくようなスキームとして取り組んでいきたいと思います。」
『ひろしまサンドボックス』では、レモンのほかに牡蠣養殖のプロジェクトが衛星通信によるデータ取得を進めている。9つのコンソーシアムを集めて、進捗状況をプレゼンし合う場を設けた結果、衛星データの取得で協働することに。こうしたコラボレーションがもっともっと生まれてほしいと、金田さんは考えている。
「プロジェクト終了時に、『ひろしまサンドボックス』に県内外から企業や人材が集まり、アイデアやシーズがフィールドとマッチングする機能、そこに投資が集まる機能をもったコミュニティのアウトラインができていることを目指しています。今回選定された9つのチャレンジの結果も、コミュニティのナレッジとしてオープンに共有され、参加者みんなの頭の中に入っていてほしい。」
こうしたコミュニティが自走している、AI/IoT等最先端のデジタル技術を手がける企業や人材にとって魅力あるフィールド。それが、広島県が目指す姿だ。
取材・文:浅倉 彩