Profile
南 匡和
39歳 飲食店経営 札幌市生まれ
2001年に移住
「どうぞ、いらっしゃいませ」 開店前の忙しい時間、私たちが訪れると、仕込みの途中だったのか白い前掛けを外しながら調理場から出てきてくれた。
網走や京都で料理人として働いてきた南さんが、ちょっとしたきっかけで下川にたどり着き、うどん屋を始めるまでのストーリー。
そこには気負わずに飄々と、しかし丁寧に仕事を続ける南さんの姿がある。
「下川にきたら、やっぱり名産のうどんが食べたいでしょう」というやさしい言葉に、どっしりとした安定感が見え隠れした。
店をやりたいと言い続けると、舞い込んできた
下川町に来たきっかけは、兄なんです。当時、兄が下川で友人とエミュー(ダチョウのような鳥)を育てて販売する会社をやっていて、「下川はうどんが名産なのにうどん屋がないから、お前やらないか」って声をかけられて。 その時は京都の料理屋で調理人をしていましたが、それじゃあということで移住してきました。
最初はエミューの会社の手伝いをしていましたが、その後、五味温泉で調理人として働き始めて。将来は居酒屋をやりたいと思っていたので、ホールもやらせてほしいとお願いをして、少しずつ町の人たちに顔を売っていきましたね。 今の店舗は2年前に移転してきたのですが、前の店はカウンター4席にテーブル2つの小さな店で、2005年にオープンしました。
五味温泉で働いていた時に「店をやりたいんだよね」といろんな人に話していたら、友人から「昔ラーメン屋だった物件があるから、とりあえず見てみたら」と紹介してもらって。小さいし古いかなと思ったのですが、まずはここからやってみようと始めてみたら、あっという間に10年近く経っていました。
「下川でないとできない店」をやりたかった
たしかに人口も少ない街ですが、飲食店をやることに対して不安はあまりなかったんです。下川の名産であるうどんを扱うと決めていましたから。
やっぱり旅をしたり、遊びにいったりしたら、その土地のものを食べたいじゃないですか。町民だけでなく、外から来る人もターゲットに入っていたので、あまり心配せずに始めましたね。
もともとは居酒屋をやりたかったんですが、居酒屋はほかにもあるし、どうせやるなら下川ならではのお店をやりたくて。昔はうどんよりも蕎麦派だったんですが、京都時代に店の仲間と毎日のようにうどんを食べていて、少しずつ好きになってたんですよ。なにが幸いするかわからないですね(笑)
そして、そろそろこの小さな店にも飽きてきたな、新しいこと始めたいなと思っていた時に、今の店舗の持ち主から「うちの空き店舗でやらないかい」と声をかけてもらいました。移転したいことを誰かに言っていたわけではなかったのですが、本当にいいタイミングで。不思議ですよね。
意外に不便に感じない街と、あたたかい人たち
札幌で生まれて、仕事で網走・京都と住んでいたので、下川だと田舎すぎない?と聞かれることもあるのですが、あまりそれは感じないです。札幌も意外に近いなと思っています。冬の過ごしやすさは札幌よりもいいかもしれないですね。除雪がしっかりしてるし、バスが遅れないことに本当に衝撃を受けました(笑)。
そうそう、最初に下川に来たときはアイスキャンドルフェスティバルをやっていたのですが、その美しさも格別で、これもまた札幌よりもすごいなと。そのフェスティバルの関係者の打ち上げに誘ってもらって、すぐに友達ができました。
元気がいいおもしろいメンバーがたくさんいるからと、商工会青年部に入ってそこでも仲間ができて。人間関係や友人づくりにはまったく苦労しなかったです。
移住してくる人も多いので、刺激になりますよね。田舎だったとしても、これだけ新しい人たちが来てくれたら、つまらなくならないですよ。