口蹄疫のどん底からの歴史
倉重 僕も初めて町長にお会いしたとき、びっくりしました。失礼ながら、町長というよりは、「親分」というか、「棟梁」みたいな感じですよね!(笑) 物腰は柔らかいですが、その実は「野郎ども!」みたいな強いリーダーシップがあって。あれは凄いなって。
山本 町長は本当に自由にさせてくれてます(笑)。
倉重 口蹄疫のときの苦労話も伺ったんですが、そういう話を伺うと皆さんが共有されているベースがしっかりしているというか、あれがあったからこれだけ腰が据わってるんだなと。
山本 本当にみんなで苦労してきたなっていうのがあって、それでようやく今攻めに回れるっていう感じですね。
倉重 山本さんも同じ経験をされているわけですね。
山本 私ももう勤めて20年になりますので…。
倉重 その頃からどう変わりましたか?
山本 入庁当時は後輩も入ってきたんですが、数年後には厳しい財政状態に突入して、このままじゃ本当に破綻するんじゃないかということで…本当に大変でした。補助金もカットで、節約節約で…。新しいことは何一つできなかった。
倉重 そうだったんですね…。
山本 そういう時代がようやく一段落するかなというタイミングで、口蹄疫だったので。あれは本当にどん底でした。ダブルパンチですから。
倉重 その時代に職員の中心になって町の立て直しに奔走されたのが、今の河野町長ですね。
山本 そうです。このままじゃいけないということで、まずは賑わいの拠点を創出するってことで道の駅をつくりました。それによって地元の生産者が儲かる仕組みになっていきました。それで徐々に勢いが出てきて、じゃあ次はって時に考えたのが、「ふるさと納税」でした。
山本 国が示した「地方創生」で、うちで出来る事って言ったらやっぱり特産品を生かしたものしかない。いきなり観光って言っても難しいですしね。
倉重 それにしても、スピーディーですよね。やることが。
山本 実は、うちは保育所を無料化したのも全国でも2番目ぐらいに早くかったんですよね。医療費も15歳までは無料なんですね。それはふるさと納税がうまくいったからじゃなくて、その前からやってたんですよ。そしたら女性やお母さんが働きやすくなるじゃないですか。そういう状況の中で、急にふるさと納税という業務が役所内でも民間でも出てきたので、それでうまく所得向上にもつながって…。
倉重 先手、先手なんですね…。すごいな〜。でも、今活躍されてるような優秀な皆さんであれば、町が大変だったときに、外に出てもきっと活躍されてたと思うんですけど、なんでみなさん都農町にとどまったんでしょうね?山本さん含め(笑)。
山本 それはやっぱり、都農町が好きっていうか…どこでも出来るなら都農町でした方がいいよねって言う感じですかね。生産者にもそういう人は確かに多いですよ。
倉重 やっぱり、そうですよね..。すみません、愚問でした(笑)。
山本 いえいえ、言うほど簡単なことではないですけどね。
倉重 そうですよね。そういう歴史を伺うと、本当にそうですよね…。
都農町の山本さん(左)とインタビュアーの倉重(右)
■「ふるさと納税のその先へ〜宮崎県都農町の挑戦〜 Vol.2」 へつづく
取材・文・撮影:編集部
写真提供:都農町