ライター時代に培った言葉の力
──そして、次に女将編が始まるわけですね。ライターの時の仕事が役立ったり、今に生きているっていうことはありますか?
少なからず、あると思いますね。取材に行った先の限りある時間で、たくさんのことや、より深い部分を聞きたいなと思うと、どうやって相手の懐に入ろうかとか、話の構成はどうしようとか、これを勉強していこうとか、反応を見たりしながらいろんなことを試すじゃないですか。あの経験が接客するときに役立っている気がします。
歴史のことも地域のことも、お食事やお湯のことも、いまの旅館のことも、いろいろとお話しする中で立体的になっていくんですね。旅館で過ごしてくださった時間や体験を、より味わい深いものにするために、言葉の力を借りています。やっぱり取材のときの経験が役に立っているような気がしますね。
──まさに小さい頃から好きだった言葉の力ですね。
藤井さんが考える地域貢献とは、この先やりたいこととは?
──では、最後に、これから玉椿旅館としてやりたいこと、または地域で実現したいことなどがあれば教えてください。
まだ明確に整理はできていませんが、まずは玉椿旅館として力をつけていくこと、それから同じ思いや考えを持った方々との交流、そして地域の世代間の連携を徐々にできたらと思っています。
私は玉椿旅館をいちから始めた人間ではなく、すでにあるものを継いでいく立場だから、他の何ものにもなれない、玉椿旅館として、常によい状態でいたいっていう気持ちです。100年続いてきた旅館だし、この先また100年続いていけるように、たくさんの方に知っていただいて、使っていただいて、玉椿として向上していくことが地域貢献になると思っています。
十数年地元を離れていましたけど、帰ってくると新しい出会いもあって。例えば、京都から移住してこられた革職人さんや、ろくろで作品をつくる木工職人さん、旅館のご主人兼切り絵職人さん。海側では老舗デニムブランドのボブソンが工場を稼働させていたり、ビンテージやオリジナルを扱うオシャレな眼鏡屋さんもあって、ものづくりをする面白い仲間が集まってるんです。彼らがいてくれることはすごく心強いですし、刺激になります。なので、何か一緒に出来ることがないかって考えますね。まず自分のことをやりながら、何かあった時に参加できる瞬発力は持っていたいと思っています。
一方で、私は常におばあちゃんや年代の離れた方々と仕事をしているので、そういった関係性の中でどうにかうまくやっていきたいなという気持ちもあります。特に地域の中での世代間の乖離はいろんなロスを生むので。とはいえ、正論よりも信頼がものをいう面もありますから、そこは時間をかけて取り組まないといけないですね。気持ちが先走ることもありますけど。
大きいことをやりたいわけじゃないけど、年齢を重ねるにつれて、少しだけ社会的なことをしたいとか、初代の曽祖父のように、故郷に恩返ししたい気持ちとか、若い子たちに何かしてあげたいとか、そういうのきちんとやっていきたいなっていう気持ちが湧いてくるようになりました。
まだ帰ってきて間もないので、考えていることの少しも出来てないですけど、それを一つ一つやっていきたいなと今は思っています。
取材を通して感じた使命について
取材を通して藤井さんの話を振り返ると、とても不思議な気持ちになる。
曽祖父の玉椿関も相撲を引退したタイミングで地域観光の活性化のため、川棚に戻ってきた。藤井さんは小さい頃からなんとなく旅館を引き継ぐことになるという予感を感じながらも、地域誌のライターになり。東京に出るタイミングで、まさかの採用見送りとなり、フリーに転向。
それからもいつかライター業をやりきったという思える時がくると感じながら、ついにその日は来た。
色々な人のインタビューを通じて少しずつ芽生える人生の使命感。
それはもしかしたら曽祖父も藤井さんと同じくらいの年齢の時期に感じていたものではないだろうか。地域の文化や歴史を後世に残していくということ。
藤井さんが選択した点と点が繋がり、やがて線となり、歴史は紡がれていく。
多くの選択肢がある中で、何に自らの命を使うか、果たしてそれは選択するものなのか、導かれるものなのか、使命という言葉が持つ意味を、今回の取材で私も改めて考えさせられた。
取材・文・撮影:雑賀 元樹