──フリーライター時代はどういった分野の取材をされていたのでしょうか?

雑食じゃないと食べていかれないなあ、という感じはあったので、なんでも書いてました。いろんな案件を受ける中で、自分も興味がわいて一生懸命取り組んでいたのは、人物インタビューです。当時、震災直後で、九州は関東から移住してこられる方がとても多かったんです。暮らしや働き方に感度の高い媒体や、企業、行政の方たちと一緒に組んで、移住者の方にインタビューをしたり、そこから発展して、新しい暮らし方や働き方についての取材が増えていきました。

仕事を通じて感じた人生で本当に必要なこととは?

──そういった方たちのインタビューをする中で心境の変化などありましたか?

移住者の方のインタビューを続けたのはすごく影響がありました。震災直後に移住してこられた方々は、差し迫る環境の中で自分の核に触れるような経験をそれぞれにされていて、短い期間にいろんなことを選んだり、逆に手放したりされていて。ふだんの取材ではなかなか触れられない、深いお話を聞く機会ばかりだったんですね。テーマがテーマなので、すごく個人的なことに話が及んだりもするし、みなさんそれぞれに話してくださるんですが、取材をたくさん重ねて因数分解していくと、みなさんがお話しされていることは一緒でした。

自分にとっての幸せってなんなんだろうかとか、自分の心が躍る瞬間を大事にしたいとか、自分にしかできないことをやりたいとか、本当に自分が望んでいることをやっていきたいとか、そういう気持ちに触れる瞬間がすごくあって、そんな純度の高いお話に触れると、こちらも心が震えました。

旅館のことは、ずっと頭の隅にありました。お話を聞いて心が震える体験をするうちに、使命とまではいかないですけど、自分にしかできないことをやらなくちゃいけないと思いが次第に強くなったんです。

ただ、本当に私は故郷に帰って旅館を継ぎたいのか、それは何回も自分に聞きました。これはちゃんと情熱かな、執着じゃないかなって。いろんな方を巻き込んで始めていくわけだから、私は本当にこれがやりたいか、皆さんの話を聞きながら自分に照らし合わせて考えを整理していく期間が長くありました。

──では、どんなタイミングで川棚に戻ると決断したんですか?

ライターをやりきったっていう瞬間がいつかくるだろうっていう漠然とした気持ちがあって。自分の中で明確にもう私いいやって思ったのは昨年の二月頃です。

取材を終えて、原稿作成をはじめて。伺ってきたお話がとても良いお話だったので時間をかけて書いてたんですけど、いよいよ仕上げていくぞという段階で風邪をひいてしまったんです。高熱が出て、なかなか回復しないので〆切も迫ってくるし…。熱と戦いながら何度も読み直してやっとのことで納品して、そしたら手前味噌だけど、なんだかとってもいい記事が書けたんですよね。これで気持ちよく終われそうって思いました。そして、それが本になってあがってきたら、なんと巻頭記事だったんですよ。巻頭特集とかにライターの一人として参加することはあっても、自分一人では、初めての巻頭でした。とっても純度の高い仕事をすることができたと思った時に、自分の中で何かがストンっと落ちていきました。

私はやっぱりライターっていう肩書が欲しかったというか、物書きになりたかったのでそれをとても大事にしてたんですけど、これからは、好きな時に書けたらそれでいいやっていう気持ちになって、すぐに実家に帰る準備を始めました。自分の人生の、ライター編「完」みたいな感じで。