増山 雄大(ますやま たけひろ)さん
[千葉県]→[和歌山県 紀美野町]


兵庫県出身。千葉県で26年間教員として働いたのちに、紀美野町へJターン移住する。昨年協力隊としての任期を終了し、現在はまちづくり団体の立ち上げや新たな挑戦をするための起業など、意欲的に様々なことに取り組んでいる。人生はいつからでも変えられると話す、増山さんの新たな人生に迫る。

26年間の教員生活から地域おこし協力隊へ

増山さんは、50歳という節目に新たな挑戦に出ることを決めた。定年まで残り10年という時に早期退職、和歌山県へ家族で移住、地域おこし協力隊員になる。

26年間という長い時間、千葉県で教員として働いてきた。働く中で、今の教育環境にたくさんの疑問や課題を感じ、思い切って違う立場から人づくりに関わることを決意。大きな変化を求めていた時、奥さんから紀美野町の地域おこし協力隊員募集の情報を教えられた。

兵庫県神戸市出身の増山さんは、大学進学を前に東京へ。その後千葉で就職し、32年間の関東生活を経て関西へ戻ってきた。いわゆるJターンとも言えるようなタイプの移住者だ。

「和歌山は祖父の出身地であったり、妻の出身地であったりもするので、縁はあったんですが、これといった具体的な印象はなかった。」と話す。

「紀の川SAから和歌山を見下ろした時の感動は忘れられない。まず山。長く住んだ千葉には高い山がなく、平坦が多い。見渡す限りの山々の眺めは特別だった。地域の人と接した時も、時間の流れ方といい、地に足ついた生き方があることを実感できた。川も山も人に近く、一つ一つに感動があり、、インパクトがあった。実際に下見に来たときに、ああここに入りたいなと思わせてもらえた。」

移住したての頃、家族で「しめ縄作り」のワークショップに参加。

長く教職員として勤めてこられた増山さんにとって、紀美野町の隊員募集内容も惹かれるものがあった。「高大連携による、教育を通じてのまちづくり」というミッション。教員経験も活かせそうで、なんだか面白そうだとワクワクした。

紀美野町にある存続が危ぶまれる公立高校。増山さんが主に取り組んだのは、その公立高校の魅力化だった。

様々な課題が山積する中で、まずは、議論を始めるために、今の現状を知ってもらって、地域みんなの問題として認識してもらう必要があった。教育現場、学校が抱える課題はまちの課題にも繋がってくる。一つ一つ、骨の折れる道のりだったに違いないが、その分手応えもあった。

3年間を通して、「町の学校魅力化」をテーマにしたシンポジウムも開催した。

和歌山大学と町との連携の下、町立野上中学校、県立海南高校大成校舎、私立りら創造芸術高校の学生たち・地域の大人が集った「きみの未来フォーラム」でのグループトークにて。(2020年)

3年目には、和歌山大学の協力の下、町立中学校、県立高校、私立高校の枠を超え、町に関わる若者たちと大人が膝を交え、「紀美野町に残したいもの」をテーマに語り合った。一つの地域の将来についてみんなで議論しあう場を作れたことに、大きな手応えを感じつつも、やっとスタートラインに立ったところだと語る。

「学校や地域に誇りを持てないと、学校の存続も厳しくなるし、一度出た若者は帰ってこない。過疎化も進む。帰ってきたいと思える仕組みを今のうちにしっかりつくっておかないと。

結局は共感できる仲間をちょっとずつでも増やしていかなあかんなと。何よりまちづくりに積極的に関わってくれている人たちが、教育とまちづくりの問題に関心を寄せてくれたことが大きな一歩になった。増山って何してるねん、っていうところから、自分がどういう人間なのかを理解してもらうことができたことは大きい。自分でいうのも変やけど、信頼関係はそれなりに作れたと思う。繋がった仲間がまた仲間を広げていってくれる。」

移住して見つけた新たな人生

①「まちづくり応援団team2020」を3名の仲間と立ち上げ
②和歌山大学のKii-Plus(紀伊半島価値共創基幹)の研究支援員
③「ローカリティ!」というネットメディアでライター
④小学校の助教諭の免許を取得して非常勤講師
⑤「Jumboプロジェクト」を起業(情報発信)(動画制作)

①〜⑤は増山さんが地域おこし協力隊を卒隊後、1年間で新たにはじめたことだ。あまりにもたくさんの取り組みに、全てを紹介しきるには紙幅が足りないと残念な思いになるほどに、全てにおいて増山さんのこれまでの活動や、これからの未来に向けた思いが込められていた。ぜひ一度直接ご本人のお話を聞いてみていただきたい。ちなみに増山さんいわく、全て語るには次の日の朝までかかるだろうとのこと・・。

新たに3人で立ち上げた「まちづくり応援団team2020」。現在は、20~50代の6名のメンバーで活動している

「50歳以降は自分自身がおもしろいと思えることをやっていきたいと思ったんです。わがままという意味ではなくて、自分がおもしろいと思えるからこそ、一緒にやる仲間が増えるし、関わる人も自然に増える。義務感の仕事が増えてしまうと、自分もつまらなくなるし、周りの人もおもしろくないと思うんですよ。教員の時は、自分も生徒もやるべきことが多すぎて、生徒たちは与えられ、詰め込まれてばかり。自分の頭で考える余裕もない。“遊び”がどんどん排除されている。そういう課題を感じてたので、これからの人生は、自分自身でも“遊び”や“楽しむ”ことをテーマに、また子供たちにそういう場が与えられるようなことをやっていきたいんですよ。収入はまだ少ないですけどね(笑)。」

自分がやりたいと思えること、ワクワクすることに全力で取り組んでいる様子が伺えた。①にあげたまちづくり応援団のプロジェクトでは、情報発信にも力を入れている。チームでは、リバートレッキングなどの自然体験プログラムの提供なども行うが、増山さんたちの思いに共感する仲間が一人、また一人と増えていっている。

「こういう生き方、価値観もあるんやなっていうのをどんどん発信していきたい。生きづらさを感じている人たちに向けても発信できれば。」

今は変化を楽しんでいる

もう一つ、大きな変化といえば起業したことだろう。「Jumboプロジェクト」という屋号で個人事業を開業し、新しく動画制作や情報発信の事業を開始した。動画制作については、横浜の動画スクールに入会し、一から勉強したという。

「地域の魅力を発信するにも、地域のことを知っている人が発信していく方がいいだろうと。動画という手段にも興味がありました。」

スクール生の多くは20代や30代。50名くらいの同期生がいる中で、若い仲間とも年代を超えたつながりが生まれ、紀美野町にも遊びに来てくれた。世代も住む場所も違う、新しい仲間ができたことも嬉しい変化だ。動画制作をはじめたということがきっかけで地域の中でも新たな役回りができた。紀美野町の移住者をインタビューして回る動画なども作成。YouTubeでも公開中だ。

「人生っていくつからでも、なんとでもなる。20代からでも、50代からでも。やっぱりエネルギーとかバイタリティが大事なんだと思いますね。環境を変えたいとか、何かを変えたいとかで移住を考えてる、例えば子育てとか、いろんな動機の人がいると思うんですけど、やっぱり、自分が住みたいと思うところに実際に行ってみる。それで、その地域の人と実際に話をする機会を作って欲しい。地域の生の声を聞いてみて、何か引っかかれば無理に移住する必要もないし、なんかええなと思たら思い切って動いてみたらいいと思う。思い切ってみたら、新たな人生が開けるっていうのは実感としてありますね。前向きな気持ちで入っていけば、必ず道は開けると思います。」

今がすごく楽しい。日々を楽しむという生活がしたかった。いろんなことを新しくはじめているけど、楽しむ姿勢っていうのをこれからも持ち続けていきたい。

まちづくり応援団team2020