いちき串木野市は、鹿児島県の西側にあり、海と山に囲まれた自然豊かな街です。
新鮮なまぐろをはじめ、海の幸を楽しむことができ、農作物も豊かで「食のまち」として注目されています。
温かい気候と地元の人々の暖かさが心地よく、穏やかな生活を求める方にぴったりの場所です。
また、3つのJR駅と、2つの高速インターチェンジがあり、都市部へのアクセスも良好。
歴史と文化が息づくこのまちは、新しい生活を始めるのにも優しい環境が整っています。
▼いちき串木野市の移住サイトはこちら▼
いちき串木野に様々な想いを持って移住してきた方がたくさんいます。
そんな移住者の方々にじっくりお話を伺い、人生を振り返っていただきました。
今回お話を伺ったのは、レタス農家として独自のビジネスモデルを築きながら、地域農業の未来にも向き合っている松田健さん。
移住から約10年、家族と共に歩んできた「い~くらし」の軌跡を伺いました。
目次
プロフィール
新しい土地で農業を始めたいという夢を抱き、東京から山梨、長野を経て、鹿児島県いちき串木野市へとたどり着いた松田さん。
移住スタイル | Iターン |
家族構成 | 夫婦+子ども3人 |
年代 | 40代 |
職業 | 経営者 |
移住元 | 長野県 |
八ヶ岳で芽生えた農業への情熱

熱く語ってくれた松田さん
松田さんが農業に興味を持ったのは、東京・八王子で育った中学生の頃、八ヶ岳を訪れた体験が原点でした。自然の中での暮らしに心を惹かれ、「農業をやりたい」と語ったことをきっかけに、家族が山梨で脱サラして農業を始めたイズミ農園を見つけてくれたそうです。
「まずは高校を出てから来い」と言われ、高校卒業後に就職したイズミ農園で、農業の基本を一から学びました。中でも、レタス作りの面白さに目覚め、将来はレタスで独立するという目標を抱くようになったと語ります。
長野での挑戦と葛藤 —— トップリバーでの11年間

一面のレタス畑
次の舞台は、レタスの本場・長野県。松田さんは「農業をやるなら自分でやるべき」との信念のもと、トップリバーに入社。直営農場の立ち上げに携わり、生産責任者として栽培管理はもちろん、物流、営業、人材育成まで幅広く経験しました。
※トップリバーとは
若手の育成に注力する長野県発の先進的な農業法人。農業の企業化を進め、レタスを中心に高品質な野菜を全国へ出荷。独立支援や経営ノウハウの共有など、新規就農者のサポート体制も充実している。
https://www.topriver.jp
しかし、役職が上がるにつれて現場から離れ、日々パソコン業務に追われるように。「自分がやりたかった農業って、これなのか?」という迷いが募っていきました。そして33歳、「自分で農業をやるなら今しかない」と一念発起し、独立を決意します。
冬レタスの最適地を求めて——いちき串木野との運命の出会い
次に考えたのは「どこでやるか」。夏レタスの産地・長野とは対照的に、温暖な地で冬レタスに挑戦することを目指しました。いくつかの候補地を検討する中で、鹿児島県いちき串木野市が浮上します。レタスにとって致命的である降灰の影響を受けにくいこと、また、物流面で見た時に鹿児島市まで1時間以内で行ける場所であることはプラスの要因となりました。
最大の決め手は、鹿児島市の青果流通業者「かねやま」との全量買い取る契約が成立したこと。「作ったものがすべて売れる」という安定した出口が確保できることは、新規就農者にとっても受け入れる地域にとっても非常に大きな安心材料でした。
地域との出会いと支援体制——「覚悟」を信じた人たち
一方で「借りることができる畑が無い」という現実も松田さんの前に大きく立ちはだかりました。最初は断られながらも、市役所職員の方と共に畑を見て回る中で、いちごハウス木場の木場さんと出会います。トップリバーのことも知っていた木場さんは、松田さんの強い覚悟と具体的な計画を知り、好意的に受け入れ、移住する上でたくさんの後押しをしてくれました。
松田さんは長野で建てた家を売却して移住資金を確保。「もう戻らない」という決意が、周囲の信頼を勝ち取る要因になりました。移住直前には、大里地区でちょうど農地の区画整理が進んでおり、タイミングも味方しました。
農業委員会や農家の方150人の前でプレゼンテーションをし、地域の賛同を得られたのが8月2日。そこからわずか8日後の8月10日にはいちき串木野へ引っ越してきます。急いで引っ越してきた背景には就農計画があり、9月からの種まきに間に合わせたいとの思いからでした。
奥様の理解と支え
移住当時、小学4年生と1年生だったお子様たちは新しい環境に戸惑いながらもすぐに適応。数か月後には第三子も誕生し、家族5人でのいちき串木野での暮らしが始まりました。
夏は海水浴、冬は澄んだ星空を眺め、豊かな自然の中で子どもたちはのびのびと育っています。大学受験の際も、鹿児島市内の試験会場に日帰りで行ける距離の利便性に、松田さんご夫婦はあらためてこの土地の良さを実感したといいます。
奥様自身も農業経験があり、松田さんの志を深く理解していました。長野では出張が多く家を空けがちだった松田さんも、移住後は日没とともに仕事が終わり、家族との時間が大幅に増加。夕食を一緒に食べること、子どもをお風呂に入れること、そんな「当たり前の暮らし」ができるようになったことに、何よりの価値を感じているそうです。
また、奥様の実家・宮崎県も車で約1時間半と近くなったことも、移住する上でプラスの要因になりました。
子どもたちの成長と新しい日々
移住当時、小学4年生と1年生だったお子様たちは新しい環境に戸惑いながらもすぐに適応。数か月後には第三子も誕生し、家族5人でのいちき串木野での暮らしが始まりました。
夏は海水浴、冬は澄んだ星空を眺め、豊かな自然の中で子どもたちはのびのびと育っています。大学受験の際も、鹿児島市内の試験会場に日帰りで行ける距離の利便性に、松田さんご夫婦はあらためてこの土地の良さを実感したといいます。
ビジネスの拡大と地域農業への貢献
現在、松田さんは約10人のパート従業員を雇用し、事業を着実に拡大中。同時に、大里地区の集落営農組合「夢ファーム大里」の副会長として、地域の農家と協力し、肥料の共同購入や機械のリースなど効率化にも取り組んでいます。
自らの経営ノウハウを共有し、地域の農家が安定的に収益を上げられる仕組みづくりにも尽力。地域農業の継続可能性を高める役割を担っています。
農業は感覚ではない——再現可能な農業を目指して
松田さんは「農業は感覚ではなく、データと計画でできる仕事」だと語ります。新規参入者の支援にも力を入れており、収支計画や作業工程を見える化し、農業が「職業として成り立つ」ことを伝えようとしています。
地域に農家が増えれば、物流の効率も上がり、買い手の信頼も得られる——そうした長期的な視点で、仲間づくりを進めています。
地域に根ざす暮らし——「暮らし」と「関わり」の価値
松田さんは地域の草刈りや行事などにも積極的に参加し、交流を大切にしています。お酒は飲めませんが、代わりに送迎を引き受けるなど、自分なりの関わり方で地域に馴染んでいきました。
「何かをしてもらうより、まずはこちらから動くこと。そうすれば自然と応えてもらえる」と話します。
いちき串木野で、あなたも「い~くらし」
「レタスの出荷において物流の観点から高速道路のインターチェンジが近い利便性でいちき串木野を選んだことが、結果的に生活する上での利便性の良さ(鹿児島市まで車で40分、JRで30分程度)にもつながっている」と松田さん。
駅や高速道路のインターチェンジが近いエリアに点在しているため、鹿児島市からのドアtoドアで考えると距離の近さを感じます。
豊かな自然、新鮮な食材、あたたかな人々——いちき串木野市は、松田さんのように挑戦を応援してくれる土壌があるまちです。子育て支援や定住補助制度も整い、新しい暮らしのスタートを後押ししてくれます。
「自然の中で暮らし、仕事と家庭のバランスを保ちたい」「地域と共に成長していきたい」——そんな想いがある方にとって、いちき串木野はきっと心地よい場所になるはずです。