都会での仕事や利便性を保ちながら、自然に囲まれた田舎で過ごす時間も持てる二拠点生活。心と暮らしに余白が生まれる、魅力的な生き方として注目されています。一方で、仕事との両立やお金、家族との関係など、始める前に悩む人も多いのではないでしょうか。

2023年に千葉県流山市から福島県田村市へUターン移住した橋本吉央(よしちか)さんは、移住前後で仕事を変えず、事務所がある東京と、住まいがある船引町を行き来する二拠点生活を送っています。今回は、二拠点生活を選んだきっかけや、日々の暮らしで大切にしていること、さらに子育て中のパパとして感じていることなどについて、お話を伺いました。

二拠点生活は家族と仕事をどちらも大切にする最善策

ー田村市にUターンしたきっかけを教えてください。
僕は船引町で生まれ育ち、進学を機に地元を離れ関東で就職しました。地元に戻るつもりはなかったのですが、2022年に祖母と父が相次いで病気で亡くなり、母や弟、そして高齢の祖父が暮らす実家のことが気がかりになりました。加えて、僕自身も核家族の中で、子育てと仕事を両立していくことに難しさを感じていました。家族全員にとって良い選択は何かを夫婦で話し合い、当時住んでいた千葉県流山市から田村市へUターンすることにしました。妻が隣の三春町出身であることも、戻ってくる選択につながったと思います。現在は船引町の実家で、家族7人で暮らしています。

ーなぜ二拠点生活をすることにしたのでしょうか。
2015年から東京にある子育て支援のNPOで働いており、田村市に戻ってからも勤め続けたいと思っていました。しかし事務所があるのは都内で、福島県内に支社はありません。家族との時間は優先したかったので、単身赴任はしたくありませんでした。ふと「通えないかな」と思い調べたところ、自宅から事務所まで片道2時間半ほどで行けることがわかりました。船引駅発の始発に乗れば出社時間に間に合います。ただ帰宅は21:00ごろになるため、無理のないよう、平日の半分は東京に宿泊滞在しながらNPOの事務所に出社し、もう半分はフリーランスの妻が契約しているテラス石森の事務所でリモートワークをする、二拠点生活をすることにしました。

二拠点生活を検討している方から「疲れないですか?」とご質問をいただきますが、電車での移動ですし、2時間半は近いほうです。新幹線の中で仕事を進められますし、地方と都内を行き来することで、自分の中の風通しも良く、もう3年ほどこの生活を続けています。

二拠点生活を送る橋本さんの1週間の過ごし方。田村市にいる日はお子さんを保育園に送ってから仕事に向かう

ー二拠点生活を始めるにあたって迷いはありませんでしたか?
特別な決断をしたという意識はありません。最善を考えた結果、たまたま二拠点生活という形になっただけです。 不確定なことに対してどう行動するかは、自分で考え、決めて、実践するというのを、大事にしています。 気がかりだったのは、東京へ行くことで家族に家事や育児の負担が偏ることでした。そのため、妻や一緒に住む母とは事前にしっかり相談し、納得した上でこの生活を始めています。

ー交通費や宿泊滞在費の手当はありますか?
通勤手当については一般的な範囲で支給されますが、宿泊に関する手当は特にありません。ただ、流山市ではアパートを借りていた一方で、田村市では持ち家に住んでいるため、毎月家賃として支出していた分の費用が手元に残る形になりました。その分を、手当の上限を超えた交通費や宿泊費に充てています。また、子育てを母や弟に手伝ってもらえるなど、お金以外の面でも助けられていることが多く、そうしたことも含めると、総じて過不足のない生活ができていると感じています。

テラス石森で仕事中の様子

ーUターンしたことで、地元である田村市をどう捉え直しましたか?
「地元に戻るつもりがなかった」とお話しましたが、その理由の一つに、子どもの頃に抱いた「田舎は人間関係が面倒」という気持ちがありました。組(くみ)と呼ばれる、同じ地区に住む家々が入る自治組織があるのですが、子どもの目にはしがらみとして映り、好意的に思えていませんでした。

でも、祖母・父の葬儀やお盆などで組の皆さんにお世話になったり、子どもたちが地域の方々に可愛がってもらいながら成長していく姿を目にしたりと、地域の人とのつながりの意味を改めて実感して、自分もできることをやっていきたいと思うようになりました。

組の活動については、コロナ禍をきっかけに冠婚葬祭のお手伝いがなくなるなど、全体的に簡素化の傾向が見られます。高齢化が進む中で、こうした変化は無理のない形として地域の中でも受け入れられており、僕自身も二拠点生活をしながら、無理のない範囲で参加することができています。

田村市での子育ての魅力や期待

Uターンしてから、子どもに「静かにして」と注意することが減ったそう。「家の周りは豊かな自然に囲まれているので、のびのびと過ごさせてあげられます」と橋本さん

ープライベートでは、3人のお子さんのパパなのですね。
2014年、2017年、2024年生まれの3人の子どもがいます。一番上の長女が生まれた頃は、長時間労働の企業に勤めていました。給与は良かったものの、子どもの寝顔しか見られない生活に疑問を感じて、現在のNPOに転職しました。第二子の長男が産まれた時は3ヶ月の育休を取得し、長女とたくさん遊んだり、家族そろって過ごしたりする時間を持つことができました。こうした経験が、今の家族との向き合い方や暮らしの土台になっていると感じています。

Uターンした時、長女は小学3年生で、地元にある船引小学校に転入しました。はじめは緊張で教室に入れず校庭で泣いていましたが、クラスメイトが迎えに来て「どうしたの?」「一緒に行こうよ」と教室まで連れて行ってくれ、田村に住む子どもたちの優しさと素直さに驚いた覚えがあります。今は友達に恵まれながら楽しく通っています。

ーお休みの日、お子さんとはどのように過ごしていますか?
片曽根山森林公園のアスレチックで遊んだり、市立図書館に本を借りに行ったり、子育て支援センターや屋内こども遊び場「おひさまドーム」に行くこともあります。市内で開催されるイベントにもよくお出かけしています。イベント情報は市内のお店のInstagramや市の広報紙、新聞折込のチラシなどでチェックすることが多いです。

毎年秋に田村森林組合が開催している「緑の感謝祭」へ、家族でお出かけ。新聞折り込みのチラシで木工イベントがあることを知ったそう

上2人は小学生で、育成会という地元の子ども会に入っています。僕も小学生の時に入っており、片曽根山登山や夏季キャンプ、地元夏祭りでの太鼓やよさこい踊りの披露、秋祭りの神輿渡御など、同じ地区に住む他のご家族と親交を深める機会になっています。下の子はまだ入れませんが、各活動に一緒に連れて行って、かわいがってもらっています。

ー田村市の子育て環境についてどう感じていますか?
田村市に来てから、徒歩でお出かけをする機会が減ったように感じています。流山市に住んでいた頃は、散歩がてら買い物や公園遊びをしていましたが、田村市ではどうしても車での移動が中心になります。家の周りで歩いていける範囲に、行きたい場所が増えるといいなとは思います。

また、仕事柄、一時保育やベビーシッターといった子育て支援制度が気になっています。もっと気軽に利用できるようになれば、より多くの子育て世帯にとって住みやすい地域になるのではないかと感じています。わが家も流山市に住んでいた頃は核家族だったため、こうした制度に大いに支えられてきました。田村市でも核家族で暮らす子育て世帯は増えていると思います。子育てにおいては、大人が余裕を持てる環境が本当に大切だと日々実感しており、無理をせず頼れる制度や仕組みが、今後も地域の中で広がっていくことを期待しています。

本を通してつながる場を作りたい

ー田村市で地域活動を始められたそうですね。
Uターン後に3人目が生まれました。育休を取得し、授乳以外の抱っこや家事などに積極的に取り組めるよう準備をしたのですが、想定外だったのは、僕の母の育児力がとてつもなく高かったことです(笑)。僕がやろうと思っていたことは全て母がこなせてしまうので、家の中で大人の手が余ってしまいました。それならと、家の外に目を向け、地域の中で自分の時間を使ってみようと思いました。

もともと読書が好きだったこともあり、「読書会」という、本の感想を参加者同士で語り合うイベントに参加してみました。自分の感じたことを話し、相手の感想を聞いて共感したり深掘りしたりする時間がとても面白く感じられました。人見知りで自分のことを話すのが苦手な僕でも、本を介することで楽しくコミュニケーションができると気づき、自分でも読書会を開いてみることにしました。ボランティアスタッフをしていた本屋や、職場復帰後も田村市民大学「たまり」で読書会を開催しています。

橋本さんが開催した読書会の様子。同じ本でも参加者によって視点や感想が異なるところや、普段は寡黙な人が饒舌におしゃべりするところが面白いそう

ーこれからチャレンジしたいことを教えてください。
本や読書を通して、地域にひらかれた場をつくっていきたいという思いがあります。僕自身にとっても、地域の皆さんにとっても、お互いがつながるきっかけとなる場所があったらいいなと感じています。都内に出勤した際には本屋を巡りながら、少しずつイメージを膨らませています。仕事と両立しながら考える時間を取るのは簡単ではありませんが、いつか形にしていきたいと思っています。

橋本吉央さん

Instagram:https://www.instagram.com/yoshichiha