いきなりなぜこの問いを取り上げたくなったかというと、もちろん今の新型コロナに翻弄されている状況に密接に関連があると考えたからです。この問いの回答は、私が勝手に想像して言っているわけではなく、きちんとした元ネタがあります。2018年7月に放送されたNHKスペシャル「大江戸」第3集「不屈の復興!!町人が闘った“大火の都”」という番組です。秀逸な番組で本当に面白かったので、非常に強く印象に残っていました。コロナショック真っ只中の今、ふとそれを思い出しました。

江戸時代の3年に1度の大火が、人々の価値観を変えた

その番組によると、江戸時代の東京(江戸)はとにかく火災が多い都市だったそうです。”大火”の定義は1.6km以上の延焼だそうで正に大火事。それが約260年あまりの江戸時代になんと89回、およそ3年に1回のペースで起こっていました。

しかし、驚くことにその期間に江戸の人口は加速度的に増加し、当時世界最大の100万都市になったんだとか。

これがどうしてなのか。近年の研究で、そのプロセスが明確になってきたのを、CGと研究者のお話で非常に面白く説明していたのが、先の番組です。
その大きな理由は、当時の日本人の知恵と工夫で、壮大な規模で火災に強い都市計画を推し進めたことでした。江戸城の天守閣の再建すら諦め、幕府の資金の全てを復興と防災都市づくりに注ぎ込む巨大な公共工事は、全国から人が集め、かつてなく経済が拡大して、今の大東京の基礎となりました。

その時の大きなポイントは、当時の消火方法。水をかけて鎮火させるのではなく、とにかく延焼を防ぐために家屋を壊していく「破壊消火」という方法をとったのです。あの時代劇でお馴染みの町火消「いろは47組」は、そのために編成された地域の自主消防団でした。とにかく「破壊」しやすい町並みにするために、町人の家は柱も屋根もペラペラの貧弱な木材で建築。また家財道具も必要最低限にして、いざとなると住民たちは、進んで自宅の破壊に協力したんだそうです。

そしてその結果、物理的な豊かさや所有の概念にとらわれない価値観が生まれてきました。
「宵越しのカネを持たない」気質は、正にそうした背景から生まれたのです。当時の多くの人が、今風に言うと究極の「ミニマリスト」でした。粋で鯔背(いなせ)な江戸っ子基質。火事と喧嘩は江戸の花。これらの江戸時代の価値観や文化は、なんと火災という災害が生み出したものでした。

また火事がきっかけで、今につながる多くの文化も生まれました。なんと大相撲や花火大会も、最初は火災復興支援イベントがきっかけだったんだそうです。(※繰り返しますが、これは私が勝手に言っているわけではありません!)「本当?」と思われる方は、下記のリンクから是非同番組をご覧ください。超おすすめです。

NHKオンデマンドより[NHKスペシャル【大江戸】©NHK
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アフターコロナ時代に、私達の価値観はどうアップデートされるのか?

ここまでお話したら、もうすでに同じことを感じている方は多いと思います。
そう、我々が今直面しているこの新型コロナウイルスによる「疫病災害」も、私達の価値観にも大きな影響を与えるに違いありません。

思えば9年前のあの東日本大震災は、絆、連帯、共創など、薄れていた価値観を見つめ直す機会になりました。
それはある意味で、直接的な被災者と、そうでない人との「自分ごと」レベルの格差が非常に大きかったからかもしれません。しかし今回は、感染の有無やその数に関わらず世界中の人達が「自分事」として受け取っているはずです。そしてこの事態がもたらす経済的なインパクトは、さらにそれを拡大させます。これは少なくともこの時代を生きる私達にとっては初めての経験です。

この変化がどういう方向に向かうのかは、まだはっきりしていません。しかし、その変化の幅は、かつてなく大きいでしょう。
というのも、今回は「人生100年時代」を迎えると言われそれを実感し始めたタイミングでもあり、スマホやSNSで、人と人がかつてなく意思疎通できる特殊な環境になった矢先に起こったからです。うまく説明できませんが、端的に言えば「人生そのものに思いを馳せる」ことから始まる変化になるはずです。

みんな「本音で生きる」ようになるかもしれない。

先にも述べたとおり、価値観の変化がどこに向かうのか、現時点ではまだ世の中的にもはっきり言及されていません。
今後、そうした議論がたくさんでてくるでしょう。
例えば、細かい話ですが、時差通勤やテレワークの急速な普及で、特に都会では通勤ラッシュが極端に緩和されています。多くの人が、「あれは何だったのか?」「なんであんな思いまでして我慢して通勤していたのか?」と感じています。こうしたことすら、この規模で起こると社会全体の価値観に影響します。

その変化の一つとして、「我慢していた」多くのことからの「開放」のきっかけにはなるかもしれません。

近年、ジェンダーに関する議論や様々なハラスメントなどに対する声が上がるような社会になり、理不尽さを「我慢」することをやめる機運が生まれて来ています。なので余計に今回の事態は、働き方や生活で知らず知らず感じてきた「我慢」も浮き彫りにする可能性があります。嫌なことは嫌と言い、社会や強者への「忖度」を仕方ないとする雰囲気から、「結局は本音で生きなきゃ」という感覚は、多くの人が強く持つようになるでしょう。

そこから、さらにどういう価値観が、私達の社会を包み込んでいくのでしょうか。私にもまだ全く見えていませんが、注目せずにはいられません。

しかしこうして色々考えてみると、前述の江戸時代の例だけではなく、特に我々日本人の感覚や考え方は、もしかしたら、むしろ「災害」が当たり前の環境によって作られたものかもしれませんね。あの東日本大震災では、「あんなひどい状況でも、パニックにならず配給に列を作る日本人」が、諸外国から称賛されました。もしかしたらあれも、「災害時なのにすごい」のではなく、「元来日本人が、繰り返す災害から得た感覚」なのではないかと。

つまり、私達の祖先が、大陸の端の島国という他に逃げにくく、しかも定期的に災害が起こる地域に住み着いたこと自体が要因で、それでもなんとか力を合わせて豊かな生活を再興してきたことが、もしかしたら遺伝子レベル(?)で記憶されているからこそ、そういう行動が自然と沸き起こるかもしれないなとまで思います。

安易な「日本礼賛」をするつもりはありませんが、災害が私達の思考そのものに大きく影響していることは間違いありません。そして、その行方がまた大きく変化するタイミングに差し掛かっていることを、意識していきたいと思います。

文:ネイティブ倉重

【著者】ネイティブ株式会社 代表取締役 倉重 宜弘(くらしげ よしひろ)
愛知県出身。早稲田大学 第一文学部 社会学専修 卒業。金融系シンクタンクを経て、2000年よりデジタルマーケティング専門ベンチャーに創業期から参画。大手企業のデジタルマーケティングや、ブランディング戦略、サイトやコンテンツの企画・プロデュースに数多く携わる。関連会社役員・事業部長を歴任し、2012年より地域の観光振興やブランディングを目的としたメディア開発などを多数経験。2016年3月にネイティブ株式会社を起業して独立。2018年7月創設の一般社団法人 全国道の駅支援機構の理事長を兼務。