ベース産業との架け橋。

美瑛町のベース産業は農業である。美瑛町を訪れる人は景観を目当てに来ることが多いが、その景観を作り上げているのは畑である。つまり、農業がなければ観光業は成り立っていない。美瑛町は一見、観光業で盛り上がっているイメージがあるが、農業従事者との間の相互理解が必要と佐竹さんは言う。

「例えば、農家さんの中には、路上駐車している車が多すぎて、農機具を走らせることが出来ないことや、畑は私有地でありそこに無断で入ることも本来許されることでは無いのに加えて、靴の裏についた土の菌によって畑がだめになってしまう可能性があること、観光客が畑にゴミなどを置いていってしまうことなどの問題を何とかして欲しいと思っている人がいます。」

農業と観光業、この2つを架け橋で繋ぐことも佐竹さんはミッションの1つだと思っている。美瑛には、一次産品が多い。しかし、それを加工し、付加価値をつけることで6次化できれば、農業分野にも今まで以上の収益が見込めるという。

「農協は美瑛選果というブランドを作り、2007年5月美瑛選果美瑛本店をオープンさせ、そこにレストラン入れてみたりと観光ともうまく絡めた取り組みを行っています。現在、そのレストランはミシュランの一つ星をもっています。この取り組みは、日本でも最先端の取り組みだと思っています。こうした農業と観光業の接点づくりや、観光を農家さんに還元させていく仕組みをもっと作っていけないかと考えています。」

よそ者だからこそ見える世界

佐竹さんは東京と北海道美瑛町を行き来する、いわば2拠点生活をしている。基本は、火曜日から金曜日が美瑛町、土曜日から月曜日が東京という具合に行き来している。一見するとこの生活は大変そうに見えるが、メリットばかりだと佐竹さんは語る。そのメリットの一つが東京的な感覚を持ち続けられていることだという。それによって、地元の人達が気づいていない価値に気づくことができる。農業しかり、観光業しかり、佐竹さんには、それらが「札束」にしか見えない。これは、地元の人達にはない感覚であり、よそ者だからこそ持てる見方だ。

もう一つは、ダメだと思うことに対してしっかりとダメと言えることである。美瑛町は1万人の街であるので、コミュニティが小さく、密である。そのため、声の大きい人の影響を受けやすく、ダメだと思っていてもそれを言えない環境になりがちだという。佐竹さんにはいい意味でそのしがらみがない。

しかし、逆にコミュニティに自ら入っていくこともあるという。佐竹さんには、3つほど個人でやっていることがある。1つ目は、美瑛町の飲食店をすべて回って、店のマスターや観光客と話すようにしていることである。現場では何が起こっているのかを自分の目で確かめることが目的だという。2つ目は、夜一人で居酒屋に行くことである。たいていその場で地元の人達に声をかけられるそうだが、佐竹さんにとってはそういった人たちといかに繋がれるかが大切だという。3つ目は、毎週水曜日の18時から「未来の美瑛を妄想する会」と呼ばれる、町民対話集会を開催している。ここから生まれた幾つかのアイデアは実際に実現されている。

こう聞くと、ただ毎日飲み歩いて、言いたいことを言う、誰もがうらやむ、とても先進的な(笑)仕事、ライフスタイルに見えるかもしれない。しかし地域はやはり呑みニケーションが大切と言う、実にアナログ感あふれる仕事。けれど、そこには、佐竹さんなりの想いと、確信がある。

そのきっかけは、大学時代。佐竹さんは神戸の大学に通っていた大学3年のときに、阪神淡路大震災を経験した。その際、県外の学生を受け入れ、地域のボランティア団体への橋渡しや自身でもボランティア団体を設立し、震災復興を最前線で経験した。その経験から、地元の活性化は市民の活動から生まれるものだと身をもって強く体験した。

「私は常に、地域活性の取り組みは民間主導であるべきだと考えています。しかも楽しいことが必要条件。うまく地元の人を巻き込みながら、火種を作っていき、あわよくばビジネスに発展させていきたい。」