宮崎県西臼杵郡高千穂町、宮崎県の最北西部に位置し、熊本県や大分県との県境を含む町である。日本神話にも縁のある高千穂は、高千穂峡や高千穂神社などの景勝地にも恵まれ海外からも多くの観光客が訪れる。

しかし地方都市特有の人口減少や高齢化も進んでおり、いわゆる“過疎化”をどう食い止めるかが喫緊の課題となっている。その中、高千穂町の将来を少しでも明るいものにしたいと活動しているのが高千穂町議会議員の板倉哲男さんだ。元青年海外協力隊であり高千穂町地域おこし協力隊を経て町議となった板倉さん、どのような経緯で高千穂に移住し議員職を目指すことになったのか、その想いに迫る。

【環境に優しい仕事と資本主義への違和感】

「昔から野生の動物が好きだったんでよく動物が出るテレビ番組を見てたんです。その時に環境破壊が野生動物に悪い影響を及ぼすことを知り、その事もあって環境に優しい生き方をしたいなと思ってました」と話す板倉さん、その影響もあり大学では環境を学ぶために島根大学生物資源科学部に入学し、そして大学卒業後は福井県の農業法人に研修生として入ることとなる。「当初から興味の強かった“環境”を大事にする仕事を探してました。環境に優しい仕事って何だろうと考えた一つの結論が“農業”だったんですね。但し親戚筋にも農家をしている人がいなかった。将来独立もしたかったので農業法人に就職ではなく研修生として入りました」と話す。

主に稲作を中心に2年間の研修を行った板倉さん、次のステップを考えた時にふと考えが頭によぎった。「農業で独立することも考えたのですが、アフリカに行ってみたいと思ったんです。昔から野生の動物が好きでアフリカに行きたい想いもありましたし、アフリカに行けるタイミングは今しかないかなと思いました。年齢を重ねたらさすがに無理だと思いますしね。また“お金を稼ぐ”ために働くことに違和感を感じていたんです。資本主義の経済の中ではなく、自給自足の生活こそが環境に優しく持続可能なのではないかと、そしてアフリカに行くことでそれが体感できると考えていました」。

大学時代には研究のために海外に行く人も多かったという板倉さん、JICAの青年海外協力隊のことも知っていた。ボランティア活動をしながら長期に渡り滞在できることもありこの制度を活用し、2年間アフリカのマラウイ共和国へ飛び立った。

アフリカでも最貧国と呼ばれるマラウイに主に稲作の指導員として赴任した板倉さん、その時感じたことをこのように話す。「アフリカの農村は完全に自給自足のような暮らしだと思っていました。けれども現地の人は経済活動としての農業も行っていたんです。人々は農業でお金を稼ぎ、子どもの学費など人の根本的な幸せの為に使っていました。そこで私は気づいたのです。経済活動が悪い事ではない。お金を稼ぐその過程と、それを何に使うかが大事なんだって」。

この考えは現在議員職として活動する板倉さんの原点にもなっていると語る。

青年海外協力隊として活動する板倉さん

【高千穂町移住への決断】

帰国後、板倉さんは介護業界の会社に就職する。「この職を経験したかったのは将来的にどの地方に行ったとしても需要のある職種であると考えていたからです。ただ予想外のことが起きてしまった。それは体を壊してしまったことです。それまでは体力だけが取り柄だったのですが」と話す。

地方へ行き農業をしながら何かをしたいと考えていた板倉さんだが、このことで農家として働くことを諦めざるを得なくなる。ただどうしても農業に関わる仕事をしたいと考えていた板倉さんは、農家として働くのは無理でも支援することは出来るのではないか?と考えるようになった。「介護職を退職しデザイン制作会社で働きました。農家は生産することだけでなく販売できなければいけないのですが、そこが苦手な方が多いと感じていました。その手助けをすることができればと考えました」と話す。デザインのイロハを学び、またアグリビジネスについてもこの時期に学んだという板倉さん、次のステップでは地方へ行き実際に農家の支援をしたいと考えていた。

その時に見つけたのが高千穂町の地域おこし協力隊の募集だった。「募集内容が“農産物のブランディング”だったので正に自分のやりたかったことと合致しました。また宮崎出身だった青年海外協力隊の仲間によく将来について相談していたんです。その人からは『自分のしたいことしないと!』といつもアドバイスをもらっていたのと同時に、宮崎の良さも聞いてました。そのこともあり応募することにしました」。

2015年4月、板倉さんは高千穂町の地域おこし協力隊として着任することとなる。

余談だが、相談をしていた宮崎出身の青年海外協力隊仲間は今の板倉さんの奥様である。

【地域おこし協力隊から町議会議員へ】

板倉さんは、任務である高千穂町の“農産物のブランディング”をするにあたり兼ねてから実現したいことがあった。「東北で発刊された“食べる通信”を高千穂でもしたいと考えました。ただ特産品を通販のように販売するのではなく、冊子を通じて“生産者の想い”や“野菜の食べ方”、それに“地域の情報”を発信できる魅力的な取組でした」。

またタイミングも良かったと話す。「ちょうど着任した時は高千穂の各団体の若手が集まり『何かしたいよね』と機運が高まっていた時期でした。何かの拍子に食べる通信の話をしたら『それいいね!』ってことになって、トントン拍子に話が進みました」。

発刊資金はクラウドファンディングも活用し見事達成、板倉さんは編集長として取材から記事の作成、撮影等にも携わった。「非常にやりがいのある取組でした。農家さんの取材やそれを記事にすることで益々高千穂町の事が好きになりましたね。そして高千穂町の農業の事が多くの方に広がっていくのを感じることができました」と話す。なお申込者の約半数は県外からのお申込みだった。多くの方の想いが詰まった高千穂郷食べる通信は今なお3か月に1回発刊している。

高千穂食べる通信の発刊元メンバー(前列真ん中が板倉さん)

食べる通信の創刊イベントでプレゼンする板倉さん

冊子に掲載する農家への取材の様子

発刊された食べる通信

たかちほごう食べる通信:https://taberu.me/takachihogo/
食べる通信:https://taberu.me/

様々な活動で高千穂町の発展のために活動していた板倉さんだが、地域おこし協力隊も3年目を迎え任期後に何をするのか悩んでいた。「まず高千穂町に残ることは決めていました。何も高千穂町に縁がなかった私を温かく迎え入れてくれた上に、自分がしたい事業に関しても積極的に協力してくれた。次はその方たちにお返ししたいと考えてました。その中で選挙のタイミングも手伝ってですが、“議員”という選択肢があることを知ったのです。これなら高千穂町の持続的な町づくりについて、予算の使い道などの意思決定から関われると考えました」。一転、協力隊の任期途中での町議会議員選挙への出馬を決めたのであった。

いわゆる三バン(カバン・カンバン・ジバン)を持たない中での挑戦だったが、地域おこし協力隊の活動を通して知り合った人たちの協力もあり524票を集め見事7位当選、2017年9月より町議としての活動がスタートすることとなる。

【距離を縮め、繋げること】

板倉さんは議員の仕事をこのように話す。「地域おこし協力隊時代は“農業者”と“消費者”の距離を縮めるための活動をしてました。互いの理解を深めることで、農業者はよりやりがいを持ち消費者の目線に沿った農産物を作るようになるし、消費者は農業者のファンになり食や農業そして高千穂町のことを理解し、応援してくださるようになります。これが高千穂町の農業が活性化する根幹になります。議員の仕事も同じと考えており、“皆様”と“政治”を繋げることが、互いに高千穂町の課題を共有し、考え、協働する、つまり高千穂町がよりよい町になる根本であると考えています」。

公式HP等ではブログやSNSを効果的に使い特に若い層への発信をメインに、またインターネットを使用しない層には議会だよりを作ってアナログな発信もする等、どの年代にもわかりやすい発信を心がけている。「最初は『見てくれてるのかな?』と不安でしたが、少しずつですが『議会だより見てますよ』とのお声をかけて頂くことも増えてきました」と手ごたえを感じている。

また議会の一般質問の時には必ず提言することを心がけていると話す。「町政に関わる全般的なことを質問できる一般質問なのですが、そこで質問をする議員は実はあまり多くありません。私はこの機会には必ず質問をするようにしてます。また、ただの“質問”になるのではなく“提言”することを心がけてますね。しっかり高千穂町の実情や他地域での先進事例などを踏まえた上で質問することで、より現実的な提言をすることができます」。実際、高千穂町でのパブリックコメントの制度化は板倉さんの一般質問から制度化に至ったものだった。また「もちろん予算が絡むことも多くあるので全てが実現できるわけではありません。但しマラウイで学んだこと、“幸せになるためのお金の使い道”は常に意識して予算審査などの議員活動をするよう心がけてます」と話す。

民間企業、青年海外協力隊、地域おこし協力隊といったような様々なバックボーンを持つ人が町政に携わることは、多角的に町政を動かせるチャンスになる。そのような多様性を取り入れることが今後の町づくりには必要になっていくだろう。高千穂町の持続可能な町づくりに広く関わっていくことだろう板倉さんの活動に今後も注目していきたい。

住民への政治をつなぐ役割を担う

板倉哲男 HP:https://itakuratetsuo.com/