Profile

中田 豪之助/中田 麻子

中田豪之助 57歳 農家 東京都出身
中田麻子 52歳 東京都出身 2005年に移住

「この箱詰めが終わるまで、ちょっと座って待っててくれる?」

訪れた私たちをちらっと目視したあと、笑顔のままで目線を手元に戻しつつ声をかけてくれた。アップテンポなピアノジャズが流れている作業場で、2人はリズムを刻むように軽やかに、やさしく、トマトを箱に詰めた。

40歳近くまで東京で生活していた2人が下川にたどり着き、町を代表するフルーツトマト農家になった。都会で暮らしてきたからこそ見える、田舎で暮らすということ、農業を営むということとは。

トマトの箱詰め
箱詰めを担当する麻子さん。ひとつひとつ丁寧に。

田舎暮らしに憧れて、最後にたどりついた場所

豪之助「2人とも東京出身だから『ふるさと、いなか』と言えるような場所はなかったんです。だからどこにでも行けるなぁと思って、田舎暮らしできる場所を探していたんですよ。兄が経営していた文具部品工場の工場長をやっていたのだけど、それももう畳む方向に進んでいて、『どこに行ってもいいんだよ』と言われたりもして。」

麻子「私は当時、ソフトウェア開発の会社に勤めていて、メンテナンスなどで出張が多かったので、田舎に行くたびにリサーチしていました。『ここはなんだか閉鎖的だな』とか『ここは住みやすそう』とか。実際に2人で訪れたりもしていたよね。山形とか長野とか。」

豪之助「北海道との縁はたまたま訪れたIターンフェアがきっかけでした。道東地域の町の方に一度北海道に来てみなよ、とおすすめされたんです。その後はとんとん拍子で中標津町に移住して、農業資材の会社に勤めることになりました。」

麻子「私は動物が大好きだったので、獣医さんや牧場でお手伝いをしていました。それが楽しくて楽しくて。ある時から週末に2人で牛のお世話をするようになりました。やさしく声をかけながら搾乳すると、牛が『がんばってるね』と頭をなめてくれたりして(笑)。」

豪之助「大変だったけど、2人とも酪農をやりたいという思いが高まって、いろんな人に相談したり、紹介してもらったり、土地が安かった道北にも足を運び始めました。下川にもそのタイミングで一度訪れています。」

トマトの出荷
力仕事を担当する豪之助さん。赤くなる前のトマトを出荷する。

(中略)

誕生と死のサイクルを見つめて、自分の生業にする

麻子「私、実はトマトが大嫌いだったんですよ。紹介いただいた下川の農家さんに『とにかく食べて!』と言われて、イヤイヤ食べてみたら、びっくりするくらい甘くておいしくて。フルーツトマトを食べたのはその時が初めてでした。こんなにおいしいトマトならつくってみたいな、トマト嫌いな子どもも食べられるようなトマトをつくりたいなと思ったんです」

豪之助「だから、麻子は厳しいんだよね。箱詰めのときにも『そんなおいしくなさそうなトマト入れたらだめ!』って言われますよ(笑)。いろいろあって酪農ではなく農業を始めたんだけど、やってみて思ったのは、どちらも誕生と死が日常茶飯事だということです。この「誕生と死のサイクル」を見つめて自分たちの生業にしていくっていうのは、慣れるまで大変。そのサイクルを自分の生活の中に取り込んでいけるようになると、自分自身もそのサイクルの一員なんだとわかってきます。」

麻子「農業をやっていると、人間の小ささを感じるんです。人間にできることはささやかで、トマトが気持ちよく成長できるように、サポートするだけです。都会にいると、トマトは私たちに食べられるだけの、人間のしもべのように見えるかもしれないけど、そうじゃないんです。植物にもおてんとさまにも、人間はかなわない。農業はそういうことを教えてくれます。みんなが身体と心でそれを理解できたら、人間はもっとやさしく、幸せなよい社会になるのにと思います。目の前に出されたご飯は、誰かが苦労して作ってくれて、太陽と水と土の力で成長して、私たちの糧になってくれる。感謝の気持ちが自然と湧いてきます。」