【第1回インタビュー記事公開】フラー株式会社 代表取締役会長 渋谷修太さん

兵庫県加東市の出版社・スタブロブックスでは現在、田舎に拠点を置く出版社のスタンスを活かした地方発本づくりを進めています。本サイトでは、当書籍に掲載する原稿の一部を先行公開していきます。

今回公開するインタビュー記事は、今勢いのあるIT企業のフラー株式会社の創業者であり、現在、代表取締役会長を務める渋谷修太さん。

渋谷さんは都心で活躍後、2020年6月に故郷の新潟に拠点を移し、以降、地方での活動に精力的に取り組まれています。地方移住や地方での起業に興味のある方、自分の好きな場所で好きな仕事をしたいと考えている方、Uターンを検討している方、地方創生や地方活性化に関心のある方などの参考になれば幸いです。

(プロフィール)
フラー株式会社 代表取締役会長 渋谷修太氏
1988年生。新潟県出身。国立長岡工業高等専門学校卒業後、筑波大学理工学科社会工学類経営工学へ編入学。グリー株式会社を経て、2011年11月フラー株式会社を創業、代表取締役に就任。2016年には、世界有数の経済誌であるForbesにより30歳未満の重要人物「30アンダー30」に選出される。2020年6月、故郷の新潟へUターン移住。2020年9月、新潟ベンチャー協会代表理事に選任。2020年10月、長岡高専客員教授に就任。

新潟の人口が日本でいちばん多かった!?

「コロナは、地方の価値をふたたび高める100年に一度のゲームチェンジャーです」

2020年6月に故郷の新潟にUターン移住するとともに、現在会長を務めるフラー株式会社の登記上の本店も新潟に移した起業家の渋谷修太さんはそう強調し、さらに続ける。

「今から百数十年前、新潟の人口が日本でいちばん多かったのをご存じですか? 19世紀は地方、とくに日本海側が日本をけん引していたんです。それから百数十年経ち、コロナで都市部から地方への人口移動の流れが生まれた今、この歴史的なチャンスをつかまない手はありません」

この渋谷さんの言葉を聞き、(新潟の人口が日本でいちばん多かった?)とにわかに信じられずに調べてみると……なるほど、日本の人口大移動の歴史が見えてきた。

統計が残る中で新潟県の人口が日本一になったのは、さかのぼること約150年前の1874年(約163万人、新潟県調べ)。その後、1877年に石川県にトップの座を譲り渡すが、1882年に新潟がふたたび日本一に返り咲いている。

なぜ新潟や石川といった日本海側エリアの人口が多かったのかといえば、理由は農業と海運業だ。第一次産業が中心だった明治時代、稲作に適した気候が農業人口を育むとともに、海運の主要ルートだった北前船の活躍もあり、日本海側が産業の中心としてにぎわいを見せていたのだ。

その後、工業化と陸路の発達により、地方の人材が太平洋側の工業地帯や都市部に大移動を始める。そして多くの人たちが第2次産業に従事することで日本はモノづくり大国となり、世界第2位の経済大国にのぼりつめた。1億総中流社会の幕が開け、日本全体がわが世の春を謳歌するようになったが、その裏側では都市部への人口集中が続き、近年は都市と地方の格差が問題になっていた。

「そんな過度の集中から解放されたタイミングが2020年です。業種業態にもよりますが、コロナによるテレワークで都市部にいなくても働けることがわかりましたよね。すると豊かな暮らしを求める人たちが地方に目を向け、Uターンや移住をする人が増えました」

この取材原稿を書いている2021年2月、興味深いデータが新潟日報から発表された。「2020年7~12月の下半期は、東京都から新潟県への転入者が転出者を上回り、52人の『転入超過』となったことが新潟県の調べで明らかになった」のだ。52人と聞くとわずかに思えるが、19年同期は659人の転出超過なので見過ごせない変化である。

人口移動の流れをマクロ視点で見ると、コロナ後も東京一極集中を覆すような地方回帰の動きまでは起きていない。しかし少なくとも新潟に限ってみれば、コロナを機に転入出の逆流現象が起きているのは確かだ。

渋谷さんはツイッターで新潟日報の記事を引用し、こうつぶやいている(2021年2月20日)。

このツイートは2021年6月7日現在、2359件の「いいね」を獲得し、引用ツイートを含むリツイート総数は479。いわゆるバズっていることからも注目の高さがうかがえる。

そしてこのつぶやきから感じとれるように、渋谷さんの故郷に対する思いは強い。実際、地元にUターンしてからの渋谷さんの活動は、すべてが新潟起点となっている。

後述のように新潟ベンチャー協会を立ち上げて地元起業家の育成に注力したり、母校の長岡高専の客員教授を務めたり。あるいはプロサッカーチームのアルビレックス新潟とフラーとのオフィシャルクラブパートナー契約を結び、スタジアムにも足を運んで熱烈な応援を続けている。

そんな渋谷さんの魂の応援が選手たちに届いているのだろう、アルビレックス新潟は快進撃を続けている。

地方で100年に一度の「巨大な波」をつかめ

何が渋谷さんを、そこまで地元愛に駆り立てるのか。

「僕はビジネスで動き出す際に波を読んできたんです。10年前はスマートフォンの波をとらえてフラーを立ち上げ、成長させてきました。代表権をもつ会長に就任した現在のミッションは、スマホのつぎの波をいかにとらえるか。その意味で、コロナによる地方移住の流れは100年に一度の巨大な波。奇しくも、コロナ前から描いてきた地元への貢献と、ビジネスとして時代の波をつかむタイミングが一致したんです」

2011年に創業したIT企業のフラーは、今やアルバイトを含めると100人以上の規模に育ち、渋谷さんご自身は2016年に経済誌『Forbes』で「アジアを代表する30歳未満の30人 (Forbes 30 Under 30 Asia) 」に選出されている。

起業家としての才覚を若くして発揮してきた渋谷さんが、つぎなる大波として「地方」に着目したのが興味深い。

「地元への思い入れは強いですが、それだけじゃないんです。繰り返すように、地元での活動とビジネスが結びつく時代がやってきたわけです。地方を盛り上げるビジネスを、ゼロから生み出していきますよ」

みんなの夢をかなえるための会社をつくる

新潟県で生まれ育った渋谷さんは、ご両親の仕事の関係で県内各地(上・中・下越・佐渡)で暮らしてきた。「だからこそ特定のエリアではなく、新潟県全体に愛着があるんです」

中学卒業後は国立長岡工業高等専門学校に進学し、すでに起業を志していたという。

「プログラマーを目指して高専に入りましたが、プログラムが得意な仲間がたくさんいるなか、僕は人をまとめて巻き込んでいくほうが向いていると思いました。だから『みんなの夢をかなえるための会社をつくるから、いつかいっしょにやろう』と当時から言っていましたね」

高専で5年学んだのち、筑波大学に編入して経営を専攻し、卒業後はグリー株式会社に入社。その半年後の2011年11月、モバイルアプリの分析支援事業を展開するフラーを立ち上げた。「いつかいっしょにやろう」との宣言どおり、高専時代の同級生や大学時代の友人と設立している。

「さらにフラーには小中学生時代の同級生も働いているんです。そんな彼らの話を聞くと、小学生時代から『みんなの夢をかなえるために会社をつくる』と言っていたらしいです。僕は覚えていないんですけどね(笑)」

会社の後輩の思いを受け、故郷新潟にオフィスを開設

そんな渋谷さんは、フラーの創業地として茨城県つくば市を選んだ。

「就職を機に六本木で働きましたけど、好きにはなれなかったんです。ざわついてるし、空気はきたないし、星は見えないし。ならば大学時代を過ごしたつくばにしようと」

大学在学中にカリフォルニア州のシリコンバレーに10日ほど行った経験も影響している。

「たとえばグーグル本社の敷地内にはビーチバレーのコートがあり、エンジニアたちは生き生きと楽しみながら働いていました。フラーもそういう会社にしたいと思い、都心から少し離れたつくばに決めたんです」

創業3年後の2014年には本社オフィスを千葉県柏市に移転し、2017年には故郷の新潟に拠点(翌年支店登記)を開設した。

「新潟にオフィスを出したのは、会社の後輩がきっかけです。故郷の新潟に帰らないといけなくなったけど、そうするとフラーで働けなくなると悩んでいて。だったら新潟にオフィスをつくろうって話になりました」

地方でのビジネスに不安が募ったが、ふたを開けると新潟オフィスは現時点で20名の社員を数えるまでに成長し、地元の企業や自治体とのつながりも増えた。

「県内の名だたる企業や団体から仕事を数多く依頼してもらえるようになり、開発を手がけたアプリを通じてフラーというIT企業が新潟にあると認知されるようになりました。その結果、求人を出すと多数の応募が集まるようになったんです」

その言葉どおり、フラーは日本三大花火大会のひとつとして知られる新潟の長岡花火や、新潟県三条市に本社を置くアウトドアメーカーのスノーピークのアプリを手がける会社としても有名だ。

「新潟オフィスの社員のほとんどは、都内のIT企業を退職し、Uターンで帰ってきた人たちです。フラーのような会社を地方につくれば、都市部でスキルを磨いた人たちが働きたいと思ってくれる。そうやって新潟での展開に手ごたえを感じていた矢先、コロナで地方回帰の流れが加速されました」

柏の葉のオフィスも同様、結婚や出産などのライフスタイルの変化を機に、都内から郊外に引っ越してきた人たちが中心という。

「いずれの拠点のスタッフも、多くがオフィスから徒歩圏内に住んでいます。僕たち自身が住みたい場所にコミュニティ(会社)をつくったら、職住近接のライフスタイルに価値を見出す人たちが選んでくれた。東京で本当に暮らしたい人は、じつはそんなに多くないんじゃないかと思いますね」

自分の存在価値をよりいっそう実感できる場所

渋谷さん本人も新潟にUターンした理由は、前述のように「1つは地元愛、そしてもう1つはビジネスで勝てる波が来ていること、この2つが新潟に揃っているから」だ。

「新潟を離れるとき、もう戻ってくることはないかもしれないと思っていました。ですがここ数年、故郷への思いがどんどん強くなっていたんです。というのも支店を出し、仕事で新潟とかかわる機会が増えるほど、びっくりするほど地元に貢献できるようになってきて」

企業や自治体の仕事を手がける一方、母校の長岡高専では客員教授を務める。新潟県内の経営者や行政関係者との人脈も広がり、「新潟に戻っておいでよ」と声をかけられる機会が増えていた。

「戻りたい気持ちはあるけれど、仕事があるから難しい。そんなふうに思っていたらコロナが来て、どこに住んでも仕事に影響が出にくい時代になった。どうせ暮らすなら、自分の存在価値をよりいっそう実感できる場所、自分がいちばん求められる場所に居ようと思い、新潟へのUターンを決断したんです」

新潟はビジネスチャンスの宝庫

では、渋谷さんの言う「ビジネスで勝てる波」とは何を意味しているのだろう。聞いてみると、「ざっとあげるだけでも3つある」という。

「まず1つ目は自然と食です。今年の冬は雪がすごかったですが(笑)、それすらコンテンツになるほど新潟は四季折々の自然が楽しめる地域です。さらに米どころで海産物も豊富、とにかく食がうまい。コロナで自然を求める都市部の人たちに、そんな地域資源を提供できる強みが新潟にはあるんです」

ついで2つ目は「進化の速度」と渋谷さん。

「僕が新潟を離れて十数年経ちますが、故郷に戻って気づいたのは、あらゆる業界が10年前のままストップしていること。それらを現代風にアップデートするだけでビジネスになるし、競合も少ないのでその意味でもチャンスです」

そして3つ目は「歴史」だ。

「これは都市部に圧倒的に勝てるコンテンツです。なぜなら新潟が固有に育んできた歴史を東京が今からつくり出すことはできないからです。そんな新潟ならではの歴史をコンテンツ化することで、地域の魅力をアピールするのは十分可能です」

こうしたビジネスチャンスを具現化するのが、渋谷さんの専門領域でもあるDXだ。地方は都市部との情報格差に課題があるからこそ、DXのニーズも効果も大きい。会長を務めるフラーの出番でもあるだろう。

さらに情報発信という意味において、渋谷さんは新しい試みにチャレンジしている。2020年9月、ユーチューバーデビューを果たしたのだ。チャンネル名は、「渋谷修太の新潟自慢(YouTubeへのリンクあり)」。ズバリ直球の打ち出しで新潟の魅力をアピールし、関係人口の創出につなげたい考えだ。

新潟をアップデートする若手起業家の育成に注力

新潟がビジネスチャンスの宝庫というのはわかった。では勝てるビジネスを地域貢献にどう結びつけるのだろう。渋谷さんの答えは、「新潟×起業×高専のあわせ技で産官学をつなぎ、新潟をアップデートしていく」と明確だ。

まず「新潟×起業」から。

「新潟には創業100年を超える老舗企業が数多くあります(2017年に創業100年以上となる新潟の老舗企業は1283社で全国5位:新潟県調べ)。そうした老舗企業が時代のニーズに応えるためには新規事業や業態転換が時に求められますが、新しい風を起こす若い力が新潟に不足しているんです」

そう課題を口にするように、新潟の起業率は全国最下位(都道府県別の新設法人率で新潟県最下位:2018年東京商工リサーチ調べ)にとどまる。そこで新潟ベンチャー協会を立ち上げ、起業家育成に力を注いでいくことになった。

「たとえばスタートアップのアドバイスをしたり、若い起業家に僕の経験や知識を還元したり。起業して10年ほどやってきたので、地元の若手起業家や老舗の二代目、三代目の皆さんに役立てることがあると思っています」

ついで「新潟×高専」について。

「地方のDX化が求められている今、高専生の力が活きてくると考えます。そこで客員教授を務める母校の長岡高専と包括連携協定を結び、新潟や地方の課題を高専の力で解決する仕組みをつくり上げていきます」

地域貢献をビジネスにつなげる活動を本格化するため、渋谷さんは自ら創業したフラーの代表取締役社長を退いて代表権をもつ会長に就任し、新潟に拠点を移したのだった。

東京を経由せず、ローカル×ローカルで地方を盛り上げる

「新潟発のビジネスで圧倒的な実績を出し、ゆくゆくは地方活性化のロールモデルを他の地方に横展開していきたい」と意欲的だ。

「というのも地方の課題はある程度共通していますから、新潟で培ったビジネスモデルを他の地方に直接つないだほうが再現性が高いと思うんです。たとえば新潟で成功した地方活性化のビジネスモデルを栃木で試して共に地域を盛り上げたり、とかね」

コロナ以前は東京がビジネスのハブとなり、東京に集まってから地方同士が結びつくことも多かった。

「でも新潟空港を利用すれば関西や福岡に直接行けちゃいますし、なによりリモートを活用すれば場所を問わず、これまで以上に効率的につながれることがわかってしまった。地方と都市部の情報格差もDXを活用すればある程度解消できますしね。だったら東京を経由せず、ローカルとローカルが直接つながったほうが早いし、おもしろいビジネスが生まれるんじゃないかと思うんです」

新潟には固有の地域資源があるように、全国各地にもそれぞれに育んだ歴史や文化、伝統がある。一方で人口減少や経済衰退といった課題はすべての地方で共通だ。ならばわざわざ東京に頼らずとも、地方同士で手を組んで、ともに盛り上げ、ともに解決に向かうほうがきっと楽しいことになる――地域貢献とビジネスを有機的につなぐ渋谷さんならではの発想といえるだろう。

Uターンして故郷で働く良さ

ここでいったん執筆の筆を止め、本書のテーマに立ち返りたい。というのも本書の軸は地方に移住後も都市部とつながる働き方、暮らし方を提唱しているからだ。

なかでも「ローカル×シティ×ワーク」の核となるのは、地方移住後も都市部のリソースを活用して付加価値を生み出し、都市部マーケットに提供した結果の利益を地方に引き込む好循環を生み出すこと。渋谷さんのローカル×ローカルは一見、ローカル×シティ×ワークとは異なるようにも思える。

この考え方を渋谷さんにぶつけると、「ローカル×シティ×ワークの発想はおもしろいので、逆にもっとエッジを立てて打ち出していけばいいと思いますよ」と賛同してくれた。

本書が定義する都市部のリソースというのは、単に都市部に集まるヒト・モノ・カネ・情報だけではない。都市部でスキルと経験を養ったのち、地元にUターンした人材も含む。

とすれば、渋谷さんのように都心で起業家として活躍した人が地方に移住し、都市部で築いた経験や人脈を活用して地元を盛り上げる働き方、暮らし方こそ、ローカル×シティ×ワークなんじゃないかと思えてくる。

「コロナ後の働き方、暮らし方という意味でいうと、これまでは先に会社を決め、住む場所が決まりました。でも今後は、その順序が逆になります。つまり豊かな人生を求める人は、もっとも幸福を感じる暮らし方を先に考えるようになるということです」

たとえばサマースポーツやウィンタースポーツが好きな人は、海や山に近いエリアで住む場所を先に決め、その暮らしを実現できる働き方を考えるようになる。

「しかも従来は、仕事内容は住む場所にある程度縛られましたが、これからは好きな場所に住み暮らしながら、なおかつ好きな仕事に従事することも可能です。そんな二兎を得る働き方、暮らし方が可能な時代になりました」

その結果、フラーの社員がそうであるように、「職住近接」に価値を見出す人が増えているように感じる。

第一次産業が中心だった時代は農業従事者や職人が多く、職住近接が当たり前だった。それが工業化で職と住が切り離された時代が長く続いたが、コロナによる地方分散の流れが今後定着すれば、ふたたび職住近接が豊かな暮らしの象徴的なワークスタイル、ライフスタイルになるかもしれない。

筆者自身も2008年にフリーランスとなり、10年以上職住近接を続けてきたからこそ、これこそが人間本来の働き方、暮らし方であるという確信めいたものがある。

登記上の本店を新潟に移し、〝新潟の会社〟として地域貢献

渋谷さんに本書の取材をZoomで敢行したのは2020年10月。その直後の2020年11月16日、フラー株式会社からニュースリリースが発表された。

「フラー株式会社 本店移転のお知らせ」と題されたそのリリースを見たとき、地域貢献に対する渋谷さんの本気度を痛感した。「フラー株式会社は旧新潟支社をオフィス移転し、さらに創業9周年の日である2020年11月15日付で登記上の本店を新潟に移し、新たに『新潟本社』とした」というのだ。本社移転の目的は、つぎのように記されている。

「地域貢献への想い、昨今の地方回帰の趨勢、人材確保を通じた最良のモノづくり、メンバーのライフスタイル支援など、さまざまな面から本社のあり方を見直し、柏の葉本社と新潟本社の二本社体制で、それぞれの特長を最大限に活かした経営により中長期的な成長を目指すことといたしました」

地方の企業が本社を東京に移転するケースはあるが、フラーが示したのはその逆パターン。都市部で成功した企業が地方に還る、今後はそんな企業版の地方回帰の波が訪れることを期待したい。

(コロナの状況が緩和して新潟に撮影に伺えたら、本社移転についての思いを渋谷さんに直接確認するつもりだ。その取材内容は書籍版の原稿に追記することにする)

将来はローカル×グローバルも視野に

さて最後に、渋谷さん個人の今後の展望をたずねると、「グローバル展開、スマホのつぎの波をとらえること、地域貢献の3つを30代で達成すること」と答えてくれた。

「まず2つ目と3つ目は30代前半に取り組み、コロナが落ち着いた30代後半に視野に入れているのがグローバル展開です」

2021年現在で32歳の渋谷さんはそう展望する。

「コロナが世界に広まってから、コロラド州のデンバーに移住するアメリカの人たちが増えているそうです。調べるとデンバーは四季折々の変化があって暮らしやすく、新潟に通じる地域性を感じます。今はコロナで日本国内に限定されますが、コロナが落ち着けば世界に視野を広げ、世界中のローカルとローカルをつなげるビジネスにもチャレンジしたいですね」

都心で活躍した起業家が新潟にUターンしたと思ったら、すでに視野は世界に向いている――。

ただし、共通するキーワードは「ローカル」だ。まずは地元貢献とビジネスの掛け算で新潟を盛り上げ、さらに新潟と他の地方をつないで日本全体を盛り上げてくれることを大いに期待したい。

(文・写真/スタブロブックス)