4年目にしてようやく、地域の本音が聞こえてきた

協議会解散からプロモうるま設立を経て、迎えた4年目。ブレークスルーの突破口が開く。

プロモうるまの島しょ地域活性化事業の一環として、伊計島での「暮らしにアート」に加えて、宮城島で郷土芸能のイベントを企画開催することになったのだ。

「地域でヒアリングをしていた時に『やりたい』という声が挙がったのがきっかけでした。『島から人が減り、郷土芸能の担い手がいなくなった』『伝統の芸能の継承ができず、衰退していっている』『披露の場もなく、寂しい』という声に応える形で、2015年12月に『たかはなり(注3)・島あしび』と題したイベントを開催したのですが、終了後に地域の方から『やっぱりこれを続けたい』という声が自発的に挙がったんです」

クラフトイベントの時とは一味違う、地域の人々の切実な想いと意欲を受け止め、仲宗根さんらはイベントを続ける上での課題を整理した。それまでの経験から、ただ単に続けるのではなく、何のために続けるのか、誰の意志で続けるのか、を明らかにする必要があると感じたからだ。

「そのプロセスの中でようやく、私たちのやるべきことが見えたんです。郷土芸能を継承していきたくても、島に人が少なくなっている、空き家も増えてきている、という目の前の現実を、地域の人たちはどうしたいのか。そして、将来的にこの地域をどうしていきたいのか、という課題を解決するために、イベントなり他の形なりでお手伝いするのが、私たちの役割なんだ、と」

地域の人々の願いから始まったこのイベントは、2016年8月には第2回「たかはなり島あしび ~りかりか真夏の宮城島~」として開催。前年度以上の手応えを得た仲宗根さんらだったが、その一方でイベント会場の一部に活用した島の空き家の現状などを目の当たりにする。

「『人口が減る』ということが、ここまで地域を衰退させるのか、と改めて痛感させられました」

そこで2016年、島しょ地域活性化事業として空き家を利活用した「お試し移住」にも取り組んでいくことになった。

※注3:たかはなり…宮城島の別名。「高く、離れている」の意味で、美しい自然と懐かしい沖縄の原風景が広がる島を、地元の人は愛着を込めてこう呼んでいる

3組が移住。”お試し移住”事業で感じた手応えと可能性

お試し移住」とは、島の空き家を提供してもらい、移住定住希望者がそこに期間限定で宿泊し、島での暮らしを実体験する、というもの。初年度となった2016年は2ヶ月の実施期間中に8組が滞在するという、ほぼフル稼働状態。そのうちの4組が実際に移住を希望し、すでに3組が移住済みだ。

しかも、その中のひとりである菊地竜生さんは現在、宮城島で妻子とともに暮らしながら、プロモうるまで仲宗根さんらとともに移住定住促進事業に従事しているという。

お試し移住がきっかけとなり宮城島に暮らす菊地竜生さん一家

「ここまでの結果が出るとは、正直予想していませんでした」と仲宗根さん。

「移住を希望する人向けの『雛形(ヒナガタ)』というウェブサイトがあり、そのタブロイド紙にヒントをもらったのが始まりでした。『お試し移住』のいいところは、地域の派手さじゃない部分、本来の価値を理解して共感してくれた人に、移住してきてもらえること。それと同時に空き家を活用していけるというのも大きいですね」

「地方の人口減少」は国にとっても喫緊の課題だが、特に離島部においては末期的な状況になりつつある地域も少なくない。

「沖縄県やうるま市という単位で見れば人口は増えていますが、離島部はこの10年で人口が実に20%減っています。このまま行けば30年後には人がいなくなってしまう、ということです」

深刻を極める課題だが、そんな中で仲宗根さんらが挙げた成果にひと筋の光明を感じるのは筆者だけではないだろう。

「お試し移住」は2016年には伊計島で、2017年には伊計島と宮城島で実施したが、「2017年は問い合わせだけで90件を超え、そのうち13組に試住してもらうことができました」と仲宗根さん。ほとんどが県外からだが、中には県内・市内からの参加希望者もいたという。

「空き家のほとんどは沖縄特有の大きな仏壇つきで、中には築100年を超える貴重な古民家などもあります。難しいのは、管理している方自身がそこで生まれ育ったわけではなかったり、『活用しながら残していきたい』とは思っていても、その活用方法について親戚間で意見がまとまっていなかったり、といったことですね。ただ、2〜3ヶ月ほど人に貸し、人が入ってくるという“経験”を通して、家主さんの気持ちも変わっていくのでは、と思います。実際にお試し移住をした方と、家主さんとの間で直接賃貸契約が成立したケースもありました」

とはいえ、移住にまつわるトラブルもゼロではなかった。

人口を増やしたいからといって、誰でもいい、というわけではない、ということなんですよね」

仲宗根さんらは、初期の「イチハナリ〜」の頃に知り合った地域のムードメーカー的な方の力も借りながら、また、地域の方と外から来た方の交流を橋渡ししながら、時間をかけて地域の“本音”が自然と湧き出るのを待った。

そうした働きかけを通して、地域の方が元気になっていくのを目の当たりにし、「島に人を入れていくことが大事なんだ」と気づいたことから、「お試し移住」に取り組み、成果につなげた。ここまでに実に4年の歳月をかけている。

地域が大切にしているものを大切にできるかどうか、お互いにそれがわかるフィルターとしての『お試し移住』を第一歩として、次は移住定住の『中間支援組織』をつくっていきたい」と仲宗根さんは今後の展望を語ってくれた。

移住者を受け入れる時、何かあった時の“矛先(ほこさき)”がどうしても家を貸した個人に向いてしまうことが多いんですが、支援組織が間に入ってサポートすることで、安心して受け入れられるようにできるのでは、と考えています」

空き家の情報や「借りたい」情報を集約し、さまざまな事情で当人同士では直接やりとりしづらい人も気軽に相談できる場所。仲宗根さんらが次のステップとして見据えるこの組織は、「最終的には離島部が自立した経済を生み出せるような仕組みをつくっていきたい」という目標に向けた、大きな要石(かなめいし)になるはずだ。

つづきは後編「アライアンスで勝ち取った拠点整備事業を通して『健康』&『食と農』を地域経済成長のエンジンに」にて!