profile

富永 紘光/宰子

富永紘光 32歳 薪屋とみなが 宮崎県宮崎市出身 2012年移住
富永宰子 38歳 英語教室・書店 北海道十勝出身 2017年移住

筆者が下川に移住する前、「モレーナ」店主・栗岩さんの記事を、何度も読みました。
絵を描きながら海外を旅して、たどり着いた場所が下川町だったと話す栗岩さんの物語は、勇気を与えてくれました。

薪屋のトミーさんと、英語の先生の宰子さん。
北海道で出会ったお二人の物語も、これから下川に来ようとしている人々や、下川での暮らしに心惹かれている人々の背中を、そっと押してくれるのでは、と感じます。

“自分ができること”をなりわいに繋げながら、より良い暮らしをつむぐ、お二人に話をうかがいました。

この人たちと一緒に仕事をしてみたい

紘光:東京に住んでいた学生時代に、所属していた団体の繋がりからNPO法人「森の生活」の存在を教えてもらいました。
都会ではなく田舎で暮らすイメージは、すでに持っていて、なかでも林業や森っていうキーワードに惹かれて「森の生活」の求人に応募しました。

でも当時は、下川町のことを何も知らなくて。

宰子:私は北海道出身だから、町の名前は聞いたことがありました。
林業が盛んな地域だということも、なんとなく知っていて。

結婚を機に下川へ移住したけれど、まさか自分が住むことになるとは思ってもみなかったです。

紘光:就職のための面接で、初めて下川に来たとき、人通りが少なくて見た目だけでは活気が感じられなかったんだよね。
だから正直「ここで暮らすの、厳しいかも」って、一瞬ためらいました。

でも、当時NPOの代表だった奈須さんや現代表の麻生さんと話をして「この人たちと一緒に働かせてもらいたいな」って、強く思って。

学生を続けるか就職するかで、ずっと悶々としていた時期だったけど、下川に住んでいる人たちに会って、話をして「ここでやってみよう」と思いました。

就職してからは、森のコーディネーターとして地域の人たちと森の活用の仕方を考えて、イベントやワークショップを企画したり、森のガイドもしていました。

社会人として仕事をすること自体が初めてだったから、いろんな人に助けてもらいましたね。

自分で生産する暮らしへ

紘光:仕事を続けるなかで「自分は森のことを伝えたり人と森をつなげたりはしているけど、何を生産しているんだろう」って思ったことがあって。

具体的な何かを、ゼロから作って食っていきたいと思ったのが、独立しようと思ったきっかけです。

それから当時、高齢化で自分で薪を割れる人が少なくなってきたという話や、森林組合で薪用丸太の供給量が減ってきたという話を聞いたことがあって。

自分の興味があることで、持っている知識を活かしながらできることを考えて、薪屋を始めてみようと思い立ちました。

宰子:私も「好きにやるのがいい」って思っていました。「森の生活」での仕事も、もう少し続けてみたらと、思ったこともあるけれど、私も自分の好きなように仕事をしているし「やってみたら」って。

紘光:宰子もね、英語の先生として、自分の生業があるし。

宰子:下川に来る前から、旭川で英語の先生をしていました。

こっちに来てからは旭川に加えて、下川の「モレーナ」の一角をお借りして英会話教室を開いています。
それからオンラインで教えている生徒さんが、何人かいますね。

紘光:独立することに対して、宰子は最初から肯定的でした。

今は家業である薪屋はもちろん、仲間に声をかけてもらい間伐などの丸太を生産する山仕事もやっています。

薪だけ割って売るのは、魚そのものを知らずに刺身だけ売っているのと一緒だと思うから。
薪を扱うのに山を知らない、木が立ってる状態のことを知らないのは、ちょっとしっくりこなくて。

できる限り、どの山から誰がこの薪を切り出して、どういう搬出方法で届くのかを、きちんと説明できる状態でありたいと思っています。

世代も年齢も越えた心地よいつながりがある

紘光:下川に移住して8年経つけれど、まだまだ。
やれることはたくさんあるなって思います。
楽しいことも、きついこともあるけど、毎年、暮らしや仕事をもっと良くしていきたいって思うから、住み続けているよね。

人口が減ってさびれていくのではなくポジティブな空気が漂っている状態だったり、地域の中でお互いに仕事やお金がいい循環で回っている状態だったりを、作り出せたら。

そのために「山」を舞台に、お互いに仕事を分け合えるようなことができないかなって思っています。

宰子:下川に来て始めたことのうち、最近始めたのが、地域で手に入る材料だけで服を作ることです。

町内の商店「マルウささき」で糸を、不用品を引き取って販売している「ばくりっこ」で布を買って、今は婦人向けの服を手縫いで作っています。

ミシン糸だとポリエステルになってしまうから、絹とか綿の糸を使いながら「ばくりっこ」に集まったウールとか、綿や麻の布でワンピースやパンツを作っています。

仕事は英語がメインですが、裁縫もできるし、ものづくりはずっとやっていました。

だから服を作る過程でゴミがたくさん出るのを痛感していて、大量生産されている服を作る上で、どれだけ水を汚したりゴミを出したりしているんだろうと想像すると、ちょっと恐ろしくなって。

新しい素材でなくても、この町にはまだまだ使える布がたくさん眠っているから、それを使って自分のものをこしらえる人が、自分も含めて増えてほしいなって思いますね。

下川は、私の生まれたとこも変わらない風景だけれど、ちょっと違うなと思うのが、地域に住む人たちが集まるお店が結構あるところ。

それから、地元の人とか移住した人と、仲良くなりやすいなと感じます。
裁縫を通しても、いろんな人とのご縁ができたり。

栗さん(栗岩さん)も、英会話教室で「モレーナ」を使わせてくれて。今では町一番の親友です。

紘光:宰子が栗さんのことを親友だって言ったり「モレーナ」での様子を話して聞かせてくれたりするのが、すごくうれしいんです。

最近は、栗さんの書籍を作るプロジェクトにも関わっているし。世代を超えて、ソウルメイトのような、心と心で通じ合う理解者がいるって、すごく素敵だなって思います。

宰子:栗さんの書籍は、英会話で旅の話を聞いていたから、書籍化の話が出た時にぜひ協力したいと思って。

デザイナーさんを紹介したり、下川町を何度も取材してもらっている雑誌「スロウ」さんに関わってもらったり、町内在住の編集者さんに声をかけたり。

私は、栗さんが手書きでまとめていた旅行記のタイピングを担当していました。11月1日に無事『昭和放浪記』が完成して。2月には『平成放浪記』が出版される予定です。だからそれまで、引き続きウェブページのPRと、チラシを作って手伝っていますね。

紘光:僕が忙しくてなかなか「モレーナ」に行けなくても、宰子から栗さんの話が聞けるから、その距離感も心地よくて。
どんどん関係性がアップデートされてるなって感じ。

それは栗さんとだけじゃなくて、他の人ともそうだしね。

宰子:下川には、私と栗さんみたいに、世代や立場が全然ちがうけど仲が良い人たち、結構いると思うな。

下川町をもっと知りたい方はこちらへ