富良野市内で米粉100%のパン屋sora no kujiraを営む西山 拓志(たくじ)さん、夢希(ゆき)さんご夫婦。南富良野町出身の拓志さんは、28歳ごろに「自分で何かをやってみたい。」とパン職人を志し、帯広のパン屋で4年間修行。その後、2011年に夢希さんと一緒に念願のお店をオープンしたんだそう。米粉のパン屋になるまでは、紆余曲折あったそうで・・・
米粉100%のパン屋になったきっかけは?
拓志さん「元々は小麦を使用した普通のパン屋を営んでいたんです。2011年にオープンして十数年、地元の人々にもよくご来店いただけるようになり、とても順調に営業していました。
ただ、2022年6月に小麦アレルギーを発症し、小麦を使ってパンを作ることが出来なくなってしまったんです。
実を言うと、発症する数年前から「もしかして小麦アレルギーかも・・?」と思っていたのですが怖くて検査できなかったんです。薄々気づいてはいたのですが、数年はだましだましパン作りをしていました。お医者さんからは「アナフィラキシーで死ぬよ?」とまで言われていました。
最後の方は嗚咽してしまうほどアレルギー症状がひどくなり、3ヶ月ほど休業していました。その時は今後どうしていくのかは特に決めておらず、どうしようかなと思ってました。笑。
そんな中、妻も小麦アレルギーを発症してしまい・・・」
夢希さん「花粉症かな?と思って調べたら、まさかの小麦アレルギー。そこで2人でグルテンフリーの生活に切り替えてみたら、花粉症だと思っていた症状が小麦アレルギーの症状だとわかり、少しづつ改善してきました。他にもグルテンを摂らない生活を続ける中で、グルテンは摂りすぎると身体に良くない作用があることなどを知り、米の可能性を感じ始め、2人で話し合い米粉パンを作ることを決めました。」
米粉のパン作りはどうでしたか?
拓志さん「正直なところ、米粉のパンは小麦のパンと作り方が全く違くて未知の世界でした。小麦粉だとグルテンがあるのでこねることでフワフワ食感を出せるのですが、米粉はホットケーキと同じ感じで生地を型に入れて焼くという感じなんです。
やっぱりふわふわした食感が出せなかったり、最初は大変でした。」
夢希さん「米粉だと作れる幅が狭まるので、パンの種類も小麦を使っていた時よりも半減してしまいましたね。ただ、米粉は焼き菓子に適しているので焼き菓子を増やしました。
作るのに少しコツは必要なので、日々試行錯誤です。笑」
これからの目標はありますか?
拓志さん「最終的には広い敷地に畑を持って、自分たちで野菜を作って、イベントを開いて、時間に追われない生活をしたいです。笑
お店のこれからでいうと、一番は同じ小麦アレルギーを持っている人に勇気を与える存在になりたいですね。米粉100%のパン屋さんは全国に何店舗もあると思うのですが、当事者が作るって一番強いと思っています。
お店で小麦アレルギーの人が「やっとパンを食べることが出来ました。ありがとうございます!」と言ってくださることがあって、やっぱりすごく嬉しいんです。
そういう意味でもECサイトやSNSなどには力を入れていきたいと思っていて、小麦アレルギーの人にも、そうでない人にも実際に食べてもらって米粉パンの存在を知って欲しいです。」
編集後記
基本即行動派の拓志さんと考えに考えるという夢希さんの2人で営んでいるsora no kujira。喧嘩することも多々あるとおっしゃっていましたが、インタビュー中は素敵な笑顔が飛び交っていました。
さて、最後にこぼれ話でお店の由来について紹介したいと思います。パン屋を開業し始めた頃はお子様が小さかったこともあり、絵本みたいな名前を考えたそう。
どんな店にしたいかをノートに箇条書きにし、その頭文字を組み合わせて「そらのくじら」になったんだとか!
(そら)空が好き
(の)のんびりと
(く)くつろげる
(じら)自分らしさ
素敵な由来ですよね〜
笑顔が素敵なお2人が営む米粉100%のパン屋さん、富良野に訪れた際にはぜひ足を運んでみてくださいね!