ゼロから一緒に観光を作っていきませんか?

「御浜町の募集要項を見つけた時、ピンと来ました。御浜町でなら自分の力を活かせる気がしました」

 

そう語るのは愛知県犬山市出身、玉置侑里子(たまおき ゆりこ)さん。

玉置さんは生粋の旅好きで、国内外問わず様々な場所を訪れてきた。旅先での新しい出会いを通して、各地の街や山々を歩くことが大好きになった。これまで熊野古道や旧中山道を歩いたほか、スペインのサンティアゴ巡礼路に3度も挑んでいる。彼女はサンティアゴ巡礼と熊野古道のどちらも踏破した「共通巡礼達成者」である。歩くことは玉置さんのライフワークであり、彼女の人生を語る上で欠かすことはできない。

 

2021年12月、熊野古道伊勢路のある三重県御浜町に移住。ゼロから観光地域づくりを推進する御浜町の地域おこし協力隊として、地域資源を活かしたツアー商品開発を行っている。慣れ親しんだ犬山の城下町を離れ、御浜町へ移住する決め手は何だったのか。これまでの経緯を伺った。

御浜町に移住する前の2021年、犬山で木工雑貨店に勤務していた。主に販促営業、ECサイトの設計などを担当。とは言いつつも、小規模の組織のため個人の業務内容は幅広く、マニュアルのない中ありとあらゆることを試行錯誤しながらやってきた。走りながら考えるスタイルがとても肌に合っていたという。

 

ところが2021年10月、コロナ禍の影響を受け、このお店が閉店することになってしまった。約5年務めた勤務先に訪れた突然の幕切れ。それを聞いた時は、目の前が真っ暗になった。

 

「また転職活動?それとも学校に行く?デザイン系の仕事は好きだけど、将来に確固たるビジョンなんてないし…雑貨店を離れて今後何をしようか…かなり悩みました。」

 

そんな時、当時通っていた行きつけの飲み屋のオーナーに胸中を話したところ、その後の人生を変えるアドバイスをくれたという。

 

「たまゆりは自由になったんやね。なんでも出来るやん。これからは犬山だけこだわらず、どこでも好きな場所に行ける。」

 

はっとした。どういうわけか、これから進む道を犬山の中だけで探していた自分に気が付いた。この言葉をきっかけに、犬山の外で働く可能性が生まれて初めて頭をよぎる。

 

もともと旅が好きで、訪れたことのない場所への好奇心は尽きない。それなのに、どういうわけか仕事探しとなると慣れた街を出る発想がなかったのだ。

 

玉置さんは帰宅するや否や、PCを広げて全国各地の求人ページを探した。

 

(幼少期に岐阜県で暮らしたことはあるけれど、せっかくなら全然知らない土地に行ってみたい。そういえば岐阜も犬山にも海がなかった。山歩きも好きだし、できれば海と山がそばにある町で暮らしてみたいな…。)

 

 

はやる気持ちを抑えながら、インターネットで「地方 求人」と入れた結果、全国の地域おこし協力隊の募集ページに辿りつく。

 

ずらりと並ぶ自治体の求人募集を見る中で、三重県御浜町のページに「観光資源のない町でゼロから一緒に観光を作っていきませんか?」の一文を見つけた瞬間、目が釘付けになった。

 

まず最初に思ったのは、熊野古道・伊勢路や七里御浜を有する御浜町なら、理想としてきた山と海のある暮らしが現実になる、ということ。

 

「御浜町に行ってみたい…!」直観的に思った。そして、御浜町の地域おこし協力隊に応募することを決意。

 

それからわずか2ヵ月後、玉置さんは御浜町に移住することになる。

 

“根無し草”のような半生

楽しそうなことには何でも挑戦していく性格だと自身の性格を語る玉置さん。

その言葉が示す通り、旅行添乗員や、病院事務、木工雑貨店など、特定の分野に限らずさまざまな職を経験してきた。

 

また、持前の好奇心から違う世界を見たい気持ちも人一倍強く、旅行にはよく出かけていた。

19歳の頃には、人生初の海外渡航で、1年間イタリアに留学した。

イタリア留学中、クラスメイトたちと

 

頻繁に旅行に行き、風のように自由を謳歌していた。その反面、定職に就かず “しっかりした大人になれない自分” にどこか焦りを感じていた。そして、事務職として働いていた23歳の頃、大好きな旅行を一時ストップした。


ところが、自分の好きなことに見ないフリをして、仕事一色の日々を過ごした結果、体調を崩してしまう。

 

「私はやっぱり旅行が好きだと気付きました。自分の本心を抑え込んでも本当にロクなことにならないです(笑)」

 

玉置さんは当時を振り返って笑った。しかし、自由と安定の間で大きな葛藤を抱えていたその時は、心にそんな余裕はなかった。

苦悩の末、スペイン・サンティアゴ巡礼へ

心身に支障をきたした結果、少しずつ旅行を再開することに。そんな折、スペインのサンティアゴ巡礼の存在を知った。興味を惹かれたが、800kmの巡礼道を完踏するには約2ヵ月かかる。仕事を続けながら挑むのは現実的ではなかった。悩んだ末、「どうせいつか死ぬんだ。やりたいことをやって死のう!」と仕事を退職、スペインに行くことを決意した。

 

玉置さんは当時の心境をこう語る。


「学校を卒業して、就職した会社に何年間か勤めて、いつかは家庭を持つ…?自分がそのルートを辿ることが全く想像できなかった。周囲と同じように生きられない自分に価値を見出せない、そんな苦しい毎日を変えたかった。スペインに行き、サンティアゴ巡礼道を歩けば何か活路を見出せるかもしれない。」

 

「サンティアゴ巡礼を歩くと決意した当時は、運動経験ゼロ。長距離を一人で歩き切れるのか不安で、何か月もかけて準備しました。」

 

どこまでも続く巡礼道を歩き進む

 

キャリアにおいてすっかり自信を失い、すがりつく思いで一人スペインの地に立った。しかし意気揚々と歩き始めて3日目、足に痛みが走る。その時の印象に残っているエピソードを教えてくれた。

 

巡礼道を歩き始めて3日目で足を痛めてしまって、毎日20km歩こうと思っていたのに、5kmが精いっぱいになってしまったんです。


せっかくここまで来たのに。予定通りに進めない、何事も続けられない私はスペインでもまた三日坊主で終わってしまうのか…と悔しくてたまりませんでした。そんな時に道中で出会った旅人が、今回は歩くのを途中でストップして、もう帰ると言い出したんです

 

どうしてなのか理由を聞いてみたところ、彼はまだまだ遥か先へ続く巡礼道を見つめてこう答えた。

 

「足もケガしているし、これ以上は歩けそうにない。でも諦める訳じゃないよ、また次来た時、ここからスタートすれば良いだけさ。

彼の話を聞いて、玉置さんは気がついた。
歩ける時に歩けば良い。自分のペースで楽しみながら進めば良いんだ、と。
数か月かけて万全の準備をして異国の地まで来たのだから、絶対に成し遂げなければ! と全身に力が入っていたことにも。

 

マイペースでいいと悟ってから、力が抜け、自分のコンディションに合わせて楽しんで歩くことができるようになった。

 

その結果、ついに800kmを踏破することに成功。この経験は、玉置さんの人生観に大きな影響を与えた。

 

巡礼道のゴール サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂

 

なぜかはうまく説明できないけれど、「これがいい!」という直感に従ってきた結果の今がある。

 

「サンティアゴ巡礼や熊野古道に出会ったのは偶然だった。でも歩いて本当によかった。」そう語る玉置さんは御浜町に移住してからは、熊野古道を歩くことをライフワークとしている。

 

「私にはじっと座って淡々と目の前のタスクをこなしていく仕事のスタイルよりも、自分のいる地域の魅力を自分の足で探索し続ける仕事が性に合ってます。」

 

持ち前の感性が活きる、御浜町での仕事

 

御浜町に移住後の現在は、Kii Tourismを結成。御浜町の阪本地区を拠点に、旅行商品開発、ツアー企画をしている。

 

「御浜町の持っているコンテンツは何か、どうアピールすれば旅行者を惹きつける要素になるか、探している最中です。町の協力を得ながら、地元の方にお話を聞いたり、現地調査に赴いたり。山林の道なき道を奥に分け入って進んで行くこともあります(笑)」

Kii Tourismメンバーと自転車で御浜町内をめぐる

 

 

玉置さんも泳ぎに訪れるという秘境感満載の清流、御浜町神木の「赤渕」

 

御浜町の自然に囲まれた生活を満喫できるのは、名古屋との二拠点生活が影響している、と玉置さんは語る。

 

プライベートでは飲みに出かけるのも好きだという玉置さんだが、御浜町の自宅からは徒歩圏内に飲食店はない。

不便では?と聞いてみた。

「飲みに行くのは好きです。でも、それは名古屋で行けば良いので。御浜町の自宅にいる時は、地元の美味しい食材でおつまみを作って、それをアテに飲むのが楽しいです。最近は近所のおじいちゃんからタケノコをもらって、天日干しにしてメンマを作りました♪派手な暮らしもたまには楽しいけれど、そればかりでは疲れてしまいますからね。
目の前に自然がある贅沢を噛みしめています。この環境を満喫できるのが本当に幸せです!
あと御浜町は静かでよく眠れるんですよ。遠くで鹿の声が聞こえる時はありますが、良いBGMになってます(笑)。」

 

都会と田舎を行き来することでどちらのメリットも享受できるまさに「いいとこどり」の二拠点生活が肌に合っている様子だ。

山に囲まれのどかな風景が広がる、御浜町阪本地区

御浜町での暮らし

「みかんのある暮らし」は御浜町ならではの楽しみだ

 

どんな時でも自分の「いいな」を信じてきた。御浜町に辿りついた時も「ここしかない」と運命的な出会いを感じた

玉置さんは自分のことを“引っ込み思案の冒険家”だと語るが、普段から自分の活動を尊重してくれる周囲に感謝を忘れない。

 

「今はとにかく毎日が楽しいです。本来の自分でいていいんだと、御浜町の方たちに教えてもらいました。今度は、私を温かく迎え入れてくれた御浜町の魅力を伝えていきたいです。」

 

これまで培ってきた玉置さんの経験は、御浜町の魅力を発信する活動にも大いに活かされるはずだ。

 

玉置さんの冒険に、今後も目が離せない。

 

 

みかん農家を目指して!兵庫県から新規就農に挑戦する宮部さんの移住ストーリー
▼御浜町へ移住して、みかん農家になった仲井さんの物語▼

 

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