- 出身地と現在のお住まい
新潟県新潟市出身→2023年3月から田村市常葉町で家族6人暮らし
- 現在のお仕事
キッチンカーPaddy Village Café(パディビレッジカフェ)で、田村市産食材を使用したパンケーキサンドとラテアートを施したカフェラテを販売
- 移住を決めたきっかけ
新型コロナを機に、心機一転して別の場所で暮らしたかったから
近藤拓也さんは、ラテアートの世界大会に出場した腕を生かして田村市への移住後にキッチンカーを開業。ふわじゅわ食感のパンケーキサンドと、繊細なラテアートが施されたカフェラテで、県内各地で多くの人の心を満たしています。移住までの道のりや、お子さん4人との暮らしのことをうかがいました。
自慢の一杯は「わざわざ田村に来てまで飲んでもらいたい」
――キッチンカーのコンセプトについて教えてください。
いろんなところに登場する、おしゃれなカフェをイメージしています。メインは田村市産の食材を使ったパンケーキですが、大学卒業後にカフェでバリスタの仕事をしていて、ラテアートの世界大会に出たこともあるのでカフェラテも看板商品。「カフェドリンクに合うスイーツを」と思い、パンケーキを出しています。スターバックスのカップは、持っているだけでおしゃれに見えますよね。僕のパディビレッジカフェも、同じように感じてもらいたいと思っています。
キッチンカーの一番のメリットは、人がたくさんいるところに行けること。逆に、どこにいるのかわからないと思われたくないので、平日は地元の田村市役所や行政局、公民館、スーパーなど、毎週決まった曜日に同じ場所にいるようにしています。土日は宣伝も兼ねて、イベントや観光地などに出店しています。
――お客さんの反応はいかがですか?
「田村市でこんなにおいしいコーヒーが飲めるなんて」と言ってもらえることが、とてもうれしいです。バリスタとして、ミルクの割合などを調整して一人ひとりの好みに合ったラテを出せることが強みです。わざわざ田村に来てまで飲んでもらえる一杯だという自信があります。もちろん豆も、焙煎後10日以内の新鮮なものにこだわっています。
パンケーキは、特にお子さんからの人気が高いですが、「田村市に来てくれてありがとう」と言って買ってくださるご高齢の方もいらっしゃるんですよ。
――移住を考え始めたきっかけを教えてください。
以前は、生まれ故郷である新潟市で保険代理店の営業職として働いていました。新型コロナの影響でお客様と会う機会が激減し、関係が薄くなっていくことに耐えられなくなったんです。自分自身を変えたいという思いもあり、そのまま転職するより心機一転、別の場所で暮らしたくて、移住を考えるようになりました。
――なぜ田村市に移住を決めたのですか?
雪国育ちなので、はじめは愛媛や島根、鳥取など暖かい西日本の気候に憧れました。しかし、妻も新潟市出身。気軽に実家に帰れる距離でなければいけないと考え、近県にシフトしました。悩んだのは仕事のこと。そんな時に福島県の移住支援制度を見ていたら、移住すれば貸与されるキッチンカーで開業できる「キッチンカー移住チャレンジプロジェクト(以下、キッチンカー移住)」という田村市の移住支援策を見つけたんです。
保険代理店以前のバリスタとしての経験を生かして、移住後もすぐに仕事ができる。家族を食べさせていける。ビビッときて、迷わず問い合わせました。
4ヵ月でキッチンカーを開業。お披露目会は大盛況!
――家族の理解はすぐに得られましたか?
最初はかなり反対されました。妻もそうですし、当時小学6年生だった長女は転校したくなかったんでしょうね。特に義両親からは、本当にやっていけるのかと心配されました。キッチンカー移住のサポートをしてくれるKITCHENCAR’S JAPANから情報をもらい、売り上げのシミュレーションを作ったり、移住支援金や補助金のこと、家賃など生活費が抑えられることなどを説明して、理解を得ることができました。
――2022年12月にプロジェクトの採択が決まって、移住も決まりました。最初にしたことは何でしたか?
住む家の物件探しです。子どもが4人いて家族6人で暮らすとなると、最低でも3LDKはないとダメですが、これがなかなか見つからなくて。当初は中心地の船引町を希望していましたが、毎日ネットで情報を見ていた妻が、山あいの常葉町にある6DKの戸建てを見つけてくれて、すぐに申し込みました。
でも、キッチンカーを営業するうえで、敷地内に駐車場がない家を借りたことは後悔していますね。なぜかというと、自宅から離れた駐車場ではキッチンカーに積んである冷蔵庫や冷凍庫の電源が取れない。だから出店のたびに、冷蔵庫と冷凍庫の中身を自宅とキッチンカーに搬入・搬出しなければならないのです。そもそも、キッチンカーは改造車なのでなかなか駐車場を貸してもらえない。その苦労は、最大の想定外でした。
――採択後は、どのようなスケジュールで開業したのですか?
採択から約4ヵ月後の2023年3月末には、キッチンカーのお披露目イベントが控えていました。つまり、それまでに開業に向けたすべての準備が必要です。まずはどんなキッチンカーにするのか、ターゲット層を検討し、コンセプトを決定し、事業計画を作成しました。カフェラテに合わせるメインメニューも悩みましたが、キッチンカーではであまり見ないパンケーキが良いと考えました。知り合いがおいしいパンケーキを出す店をやっていて、レシピをいただける環境にあったことも、一つの理由です。
KITCHENCAR’S JAPANや、キッチンカー移住事業を運営する一般社団法人Switchの皆さんに、仕入先や出店場所について相談しながら進められたことは大きな助けになりました。その期間中に移住準備もあったので、かなり忙しかったのですが、楽しみながら進められましたね。
――キッチンカーデビューとなったお披露目イベントはいかがでしたか?
11時30分ごろにスタートして、14時には250食が完売。一時100人近くが行列を作っていました。完売のタイミングでも50人ぐらい並んでいたほど、大盛況だったんです。
キッチンカー移住の事業に応募した後の9月に、田村市の観光名所「あぶくま洞」であぶくま洞秋祭りというイベントがあり、初めて田村市に足を運びました。そこで見たのは、車の大行列。田村市ってすごい田舎なのに、こんなに人が来るんだ!と。それで、ここで出店できるなら食っていけると確証が持てました。その光景を見ていたので、お披露目イベントの売り上げも想定外ではありませんでしたけど、多めに在庫を確保していたつもりだったのに、それでも足りなかったんですよ。
横のつながりをつくって目標を叶えていきたい
――子育て環境としてはいかがですか?
以前はマンション暮らしだったので、子どもが騒いでも安心なのは良いですね。あとは、自然に触れる授業が多いんです。例えば、カブトムシを幼虫から育てるとか。
長女は中学校に上がるタイミングでの転校になり、特に心配していました。でも、引っ越してきて2日目に、「先生に言われて」と同級生の女の子3人が遊びに誘いにきてくれたんです。本人も楽しかったようで、夕方6時ぐらいまで帰ってこなくて。うれしくて、親のほうが泣きそうになりました。その子たちと一緒に入学式を迎えられたことは、すごくありがたかったです。
――今後チャレンジしてみたいことについて教えてください。
いまの売上は、割に合っていると思います。でも、1人で営業していることもあり、固定店舗と比べるとちょっと少ないぐらい。ひたすら調理して、水を飲む暇もないような時もあるので体力的にも大変です。
飲食業はある程度、稼ぎの天井が見えるような業種。キッチンカーだけでは、子ども4人全員を大学進学させるのは難しいと考えています。今後の目標としては、自分があったらいいなと思うような固定店舗を田村市で持ちたい。キッチンカーのフランチャイズ化にも挑戦してみたいし、ラテアートの講師経験を生かして、カフェの専門学校を立ち上げてみたい。自分一人の力ではできることではないからこそ、今後も横のつながりをつくっていきたいです。
――田村市へ移住を考えている方にメッセージをお願いします。
田村市って温かい方が多くて、移住してからすごく心が助けられたんです。自然も多いし、スローライフにはぴったりな場所ですが、自分のようにいろいろ開拓して地域を盛り上げていこうとする人もたくさんいます。同じ目標に向けて、一緒に頑張っていける方と出会えるとうれしいです。
近藤拓也(こんどう たくや) さん
1986年、新潟県新潟市生まれ。大学卒業後に新潟市のカフェで就職し、バリスタとしてラテアートの世界大会に出場、店長も経験。その後、家業の保険代理店に入社。2023年2月に田村市常葉町へ移住し、2歳~中学2年生の子どもたちと暮らしている。
https://www.instagram.com/paddyvillagecafe/
※内容は取材当時のものです
文・写真:五十嵐秋音
※本記事はふくしま12市町村移住ポータルサイト『未来ワークふくしま』からの転載です。