Profile
徳間和彦(とくま かずひこ)
1957年 北海道釧路市生まれ
2007年 移住
下川町は、たまたま流れ着いて気づいたら何年も住んでいるという方が、決して珍しくない気がします。
徳間さんも、そのひとり。現在は空き家を手放したい住民と、下川町で家を探している人をつなぐお手伝いをしています。
自分のスキルを活かした仕事をしながら、趣味でつながる人との関わりも広がっていく──その結果、徳間さんの下川町在住歴は16年になりました。
暮らしの楽しさは、都会であるかどうかは関係ないのかもしれません。(2024年3月取材)
ここは他の町と違う
大学を卒業してからはずっと石炭の流通企業に勤めていました。
40代に入ったら、東京本社のコンサルティング企業に転職し、北海道内のいろいろな自治体の方々との仕事をしていました。
下川町のことを知ったのは、その仕事を始めてからです。
当時、下川町ふるさと開発振興公社クラスター推進部という公社が、新しく人を募集していました。
そのことを、懇意にしていた方から教えてもらい「おもしろそうだな」と思ったのがきっかけです。2007年頃のことですね。
仕事を通じて下川町のことを耳にするたび「まちづくりに一生懸命な地域なんだな」とは思っていました。
1998年から地域資源を活用したまちづくりを始め、2005年には五味温泉に木質バイオマスボイラーが設置されました。
このボイラーは、地域材を使った熱供給をベースにしたまちづくりの構想に基づいたものです。
まちづくりの計画は絵に描いた餅で終わることも多々ありますが、下川町はそうではなかった。
着実に実現していたし、実現するために積極的に活動している人材もたくさんいるなという印象でした。
縁もゆかりもないけれどまずは行ってみようと思い、結果的にクラスター推進部に転職し、下川町にも引っ越してきました。
下川町は2008年に環境モデル都市、2011年には環境未来都市に選定されています。
移住後は、その都市計画の実現のために、主に木質バイオマスに関する様々な調査をしました。
ライフワークも仕事に活きる
今までいくつかの地域に住みましたが、人口規模で言うと、下川町が一番小さい町です。
人間関係がうまくいくか心配していましたが、ぜんぜんそういうこともなく。
マイナス30度近くまで下がる冬の寒さは身体にこたえますが、人との関わりで苦労した記憶はないですね。
フレンドリーだけど、一線は引いているというか。遠からず近からずな人間関係が作れました。
あとは、何かを決めるときのスピードが、非常に早いと感じましたね。
人口が多いと組織も大きくなって、物事を決める段取りが増えると思います。でも下川町だと早く結論が出る。非常に小気味がいいというかね。
住み始めてしばらく経って「何かやりたかったら自分で立ち上げればいいんだよ」と町内の方に言われたときも「自分で立ち上げるってどういうこと?!」と戸惑いましたね(笑)。
下川では個人主催のイベントがたくさん開催されますが、そういう考え方の方が多いからかもしれません。
趣味で続けていたギターも、下川町に来てから、ネットワークが広がりました。
新しくできた音楽仲間もたくさんいます。引っ越してきてしばらく、ギターをやっていたことは話していなかったんです。
でも、仕事で地域の資源を活かしたものづくりを考えているときに「ギターを作ってみては?」と提案したら、それがトントン拍子に進みました。
結果、ギターをやっていたことを周りに話したら、自然と音楽仲間が増えていきました。
町内のイベントで演奏したり、自分たちでライブを企画したり。
旭川や札幌でライブをすることもあります。YouTubeでも演奏動画を配信しています。
だいたい5つくらいの企画やバンドと、並行して関わっている感じです。
音楽は、ライフワークですね。

徳間さんの提案から生まれた、ハルニレの木から作られたギター
空き家問題はまだまだ解決の途上
10年くらい前からは、環境に関する調査からだんだんと地域の課題解決に直接携わるようになっていきました。
下川町では家不足と空き家の取り扱いが問題視されるようになってきて。
そこで、新たに不動産のことも勉強し、下川町で家を探している人と、空き家を売りたい・貸したい人をサポートするようになりました。
空き家にも、いろいろなレベルがあります。すぐに住める状態のものもあれば、改修が必要なものもあり。持ち主の方が北海道にいなかったり、誰が持ち主なのかを探すところから始めなければならなかったり。
だからとにかく、関係者とは何度も話し合いを重ねます。
売り手・買い手から信頼してもらえないと、やり取りが進みませんからね。
今年(2023年度)は20件くらいのマッチングをサポートできました。
でも、まだまだ下川では家が足りない。
空き家は限られた資源ですが有効に活用することで多様化するニーズに応えていく必要があります。
空き家の問題がなるべく早く解決できるように、できることに従事したいですね。
私が移住してきた当時に第一線で活躍していた世代が、今は引退間近です。
新しく移住してきた方々も増え、町を引っ張る人たちが入れ替わった印象があります。
当時とも、感覚や感性が変わってきて、町の盛り上げ方も変わってきた。
私自身、こんなに長く下川町に暮らすことになるとは正直思っていませんでした。
でも、私の仕事を引き継いでくれる若手も現れて。
町外から移り住んできた人たちのセンスや発想も加わって、下川町は昔と変わらず、今でもおもしろい町だなと思います。