島根県邑南町で食と農で地域を盛り上げる仕組みづくりを推し進め、大きな成果を上げている寺本英仁さん。その活動は今、全国規模で広がりを見せています。ネイティブでは、その様子を広くご紹介してきましたが、この度、その寺本さんに毎月1回のシリーズで、日々の活動の様子や、その中で考えることを寄稿いただけることになりました。
今回はその1回目です。

寺本英仁(てらもと えいじ)

島根県邑南町 農林振興課 食と農産業戦略室


島根県邑南町役場職員。1971年島根県生まれ。<A級グルメ>の仕掛け人として、様々な試みを行い、全国の自治体から注目される存在に。『NHK プロフェショナル 仕事の流儀』ではスーパー公務員として紹介された。

2018/11/9 著書ビレッジプライド 「0円起業」の町をつくった公務員の物語を出版。

広島カープファンの僕。

昨晩は北海道鹿部町からの出張り帰り、
公用車のアンテナの調子が悪く、非常にラジオ中継が聞きにくいなか、
広島カープの試合を夢中に聞きながらハンドルを握っている。

エースの大瀬良が登板にも関わらず、ロッテ打線から4本の花火のようなホームランが
マツダスタジアムの外野観客席に白球が吸い込まれていく様子をアナウンサーが報じている。

最高に気分が悪い。

セ・リーグ首位で交流戦を首位で迎えたが、
交流戦に突入してからは、連敗が続き、巨人に首位を奪われてしまった。
僕は広島県と島根県の県境にある、島根県邑南町に生まれた。
島根県邑南町は広島市内まで車で1時間30分と非常に近く、子供の頃から広島カープファンだった父親に
当時のホームスタジアムである広島市民球場に連れていってもらっていたため、
僕は大の広島カープファンである。
大学を卒業して、邑南町役場に入庁してからも、カープの日々の試合内容は気になってしょうがなく、
毎晩、ナイターの試合状況をラジオスマホで情報収集して過ごしている。

広島カープカープは昨年まで、セ・リーグ3連覇を成し遂げ、
今年度は4連覇を目指してシーズンを戦っている。
僕の子どもの頃もカープは黄金時代だった。
山本浩二に衣笠祥雄がホームランを打ち、江夏豊や僕と同郷の島根県出身である大野豊が
対戦相手の打者をバッタバッタと三振に討ち取るシーンが今でも鮮明に残っている。
しかし、僕が大学1年の時にセ・リーグ優勝したのを最後に、
広島カープは暗黒の時代を迎える。

何故、広島カープは弱くなったのか?

カープは、本当に弱かった。
子供頃に強かった広島カープは、僕が役場に入ってからつい最近まで
セ・リーグのBクラスが指定席だった。

この頃プロ野球に新たにフリーエージェントと逆指名の2つの制度が導入されたことが
その理由ではないだろうか。

それまで選手が他チームに移籍する場合は、球団同士が合意して、選手を交換するトレードしかなかったが、
フリーエージェント制度ができたことで、ある一定の期間、実績を出した選手は、
球団を自ら選択できると言う権利が与えられたのだ。

もう一つの「逆指名制度」は、
また、従来プロ野球界に入団するには、ドラフト会議で指名されることが必須だったのが、
もう一つの「逆指名制度」ができることで、ドラフト1位・2位までは、選手の方が球団を指名できるというものに
一部ルールが変わったのだ。

僕自身も、個人の自由が束縛されるルールだなーと思っていたが、
「プロ野球選手」という特別な存在になるためには、「しょうがない」と理解していた。

しかし実際には、この2つのルールが広島カープを本当に弱小チームにしてしまったのだ。

選手側には、自由が与えられてよいのだが、
球団にとっても、より契約金額や年俸、その他の条件がよい選手を選べるようになった。
要するに、強大な資本を持った巨人のようなチームに選手が集まることになったのである。
市民球団である広島カープは資金がないため、ドラフトで上位選手のよい選手を獲得することができないし、
せっかく育って活躍するようになると、他球団にフリーエージェントで移籍するようになってきた。
川口、江藤、金本、新井、大竹、黒田、前田とカープの中心選手は巨人・阪神・メジャーリーグへと出て言った。
こうした選手の流失とともに、カープの成績は落ちていったのだ。

しかし実は、この前田のメジャー移籍をした翌年から、なんとカープはセ・リーグ3連覇を果たしている。

ドラフトの逆指名こそ現在はなくなったが、未だ続くフリーエージェント制度による主力選手の流失を克服し始めた、とも言えるのだ。
いったい、どうやってそれを克服したのだろうか?

僕はその理由は、時間をかけた「人材育成」に尽きると考えている。

カープは何故強くなったか?

ドラフトで大学性や社会の即戦力の選手の獲得が難しくなってからというもの、
カープ球団は選手の素材に徹底的にこだわり、名も無き選手を一流選手に成長させてきた。

カープのドラフト戦略は、実に面白い。

高校生でも、甲子園のスター選手よりも、
高校で投手で、4番で足の早く、肩の強い選手を優先して獲得している。
高校時代に投手で4番をチーム内でつとめる選手は野球センスの塊で、
足が早く速い肩の強い選手は、投手として大成しなくても、どこのポジションでもこなせるからである。

現在カープの主砲である鈴木誠也や、
今シーズンに移籍したセ・リーグ2年連続最優秀選手の丸選手がこのパターンである。
また、高額な外国人をメジャーから入れるのではなく、
ドミニカ共和国にカープアカデミーを作り、素質のある選手に長期間に渡って育成している。
現在、広島カープの長距離砲バティスタ選手や、救援投手のフランスア選手は、
このカープアカデミー出身の選手である。

子供の頃に憧れただけの広島カープだったが、
僕は。今この巨大資本に対抗するために、地道に選手の人材育成をしてきた、広島カープのやり方が
自分の仕事のやり方の基準になり、目指すべきところになってきている。
ちなみに昨年の広島カープと巨大資本球団巨人の対戦成績は
17勝7敗1分けと圧倒しているのだ!(笑)

 

邑南町の料理人育成制度

邑南町も他の自治体と比較しても決して、財政の豊かな町とはいえない。
こんな弱小の町が生き残っていくために、広島カープのような人材育成をしていこうと思った。
それが平成23年から始まった「A級グルメ構想」の取り組みの一つである【耕すシェフの研修制度】である。
この「耕すシェフの研修制度」は、「食」や「農」に関心のある都市部に住んでいる人に、
将来、その道のプロフェッショナルになるための支援をし、邑南町での起業を目指してもらうものである。
研修に費用料金はとらない。逆に3年間の研修期間中は、月額16万7千円の研修費を町が負担するという、
料理人や有機農家を目指す若者にとっては夢のような制度だ。

僕はこの8年間で、71人の研修生と出会った。

その研修生たちが邑南町に来るまでに何を背負って生きてきたかは、僕には想像もつかない。
けど、この町で過ごした日々は、それなりにみんなの人生に影響があったと思う。
僕はそんな彼らの人生に少しだけでも、触れる機会があったことを、純粋に幸せに感じている。
この幸せを、少しでも鮮明に記憶に残したいと、今も強く思っている。

これから綴る、邑南町の研修生とのオムニバス形式のドラマは、
皆さんが生きる中で参考にして欲しい…などとは思っていない。
むしろ、僕が自分がただ勝手に鮮明に残したい記憶を少しでも共有し、味わってもらいながら、
気軽に楽しんで読んで頂ければと思う。

膨らまないパン屋登場

さてさて、前置きがものすごく長くなってしまったが(笑)、
最初に取り上げるのは、なんといっても「てらだのパン」の寺田真也くんだ。
彼は僕の著書「ビレッジプライド」に中で「0円起業家」として取り上げたことから、
全国の地方創生に関わる方に知られることになった。
僕も講演のたびに彼の話をするので、注目度がものすごく高い「耕すシェフ」の研修生の一人だ。

寺田くんは兵庫県姫路市出身で、
「耕すシェフ」の募集を知ったのは、テレビで邑南町の特集を見たのがきっかけらしい。
研修生が耕すシェフの応募する動機として、テレビ番組を見たことがきっかけと言う人が意外に多い。
「テレビの全国放送に出たって、最近はまり効果はないよ」と言う人も多い。
確かに現代は、インターネットの普及により、情報収集の手法は多様化してきているが、
やはりテレビの全国放送はメディア界の王様で、影響が絶大であるのは、現代でも変わらない。

マスコミへの情報発信についてはまた、詳しく何処かで触れることにして、寺田くんの話に戻そう。

彼は町長面接でも、「応募のきっかけは?」と訪ねられると、
「えーと、テレビをみまして…何の番組かは忘れましたが…」と答えるのである。
普通、応募動機くらいは聞かれるのが当然なので、
テレビ番組がきっかけだとしても、番組名くらいは調べてくるものだが、
彼は思ったままを人に伝えてしまう。
よく言えば飾らない性格なのだが、それを周囲が理解をするのには、かなり時間がかる。

最初の研修先のレストラン「AJIKURA」で、そんなこんなで料理長とぶつかったエピソードは拙著でも触れたが、
案の定「AJIKURA」の中でも、彼がみんなに理解されるのにはかなり時間がかかった。
僕自身も彼と会った当初は「思ったことをズケズケ言う人間だなー」と感じていたが、
彼と付き合っていくうちに、実は彼は心がまったく汚れてなくて、
本当に自分が見たもの感じたことを、そのまま口走ってしまうのだということに気付きはじめた。
「配慮」と言う言葉は良い意味に聞こえるが、僕はこの言葉に少なからず「嘘」が含まれていると思う。
人間生きていく上で「嘘」も必要だけど、寺田くんはいい意味で「嘘」がつけない人間なのだ。
「その時、その一瞬を素直に生きるってこういうことなんだ…」と僕は感じた。

寺田くんと付き合っていると、正直今も、腹が立つ時もあるし、イライラする時もある。
だけど、てらだくんは「てらだのパン」で、今日も一人、自分の気持とまっすぐ向き合って
自分のパンを焼き続けている。

2年前の8月頃、当時のA級グルメ総料理長だった紺谷氏に
2ヶ月後の10月にオープン予定の寺田くんの様子を、見に行ってもらったことがある。
その日の夜は我が家で、耕すシェフの研修生を集めてバーベキューをすることになっていたので、
寺田くんのパンをもってきてと頼んだのだ。

紺谷シェフが、「どう思います?」と、そのパンを差し出しながら言った。
僕は一瞬目を疑った。
素人の僕でも一目瞭然、「全く膨らんでいない」のである。
このままでは「てらだパン」は、「膨らまないパン屋」として最悪の評判になるのではと、本当に絶望に陥った。
僕は紺谷シェフに、「オープンまで、マンツーマンで教えてやってくれないか?」とお願いした。

「0円起業の町」の肝は、地域の住民が自分たちの地域の空き家や空き店舗を、自分たちが出資して作り、起業家を受け入れることだ。
起業家は、家賃だけでお店を持てるのだ。
寺田くんの場合も、出羽自治会の地域が合同会社出羽を設立し、そこがパン屋の出資者になったので、
自治会や合同会社のメンバーとうまくやっていかないと、「てらだパン」は維持できない。
出羽地域の人たちも、自分たちが店舗を提供し投資しているわけだから、寺田くんに対しても、ついつい口を出してしまう。
寺田くんはあの性格だから、その人達に思ったこと・感じたこと全て口走ってしまう。
パンが美味しく焼ければ、それでも地域の人も認めるだろうが、
「膨らまないパン」では説得力があるわけではない。
逆にみんなの心配が心配を呼び、悪気はまったくないのだが、
「寺田くん大丈夫?」とか、「寺田のパンは、きっとずっと膨らまない」などと、
あることないことの噂が、ツィッターよりも早く広がる。
これが「田舎」の凄さだ。

寺田くんを出羽地域に紹介した手前、僕は両者の板挟みになって、苦しい立場に追い込まれた。
とにかく、両者の役割を明確にしてもらい、「てらだのパン」をなんとか10月にオープンさせた。
険悪になることがなかったと言えば、大嘘になってしまう。(笑)
僕自身、寺田くんに対して「自分の店なんだから、もっと真剣に考えろよ…」と苦々しく思ったことも何度もあった。
寺田くんも「店をやることを決めたのは、寺本さんにやってみろと言われたから」と周囲に漏らしていると聞いた時は、
確かにそうかもしれないけど、正直と腹がたった。
「0円起業」って聞こえはよいかもしれないけど、起業する側にとってはあまりにリスクが少なくて、
かえってデメリットになることもあるではないか…とも感じた。
でも、そんなことは今更、寺田くんにも、出羽地域の人にも言えるわけないし、
とにかく、僕は店をオープンさせたかった。

オープンさえすれば、寺田くんの甘い考えが、少しは変化するのではないかと。

てらだのパンは広島カープだった

不安と期待を同時に抱きつづけていた。
そして、日にちだけはあっという間に過ぎていき、10月「てらだのパン屋」がオープンした。
オープン当日、お客が全く来ないのではないかという僕の心配は、良い意味で裏切られた。
出羽地域の人たちは、数十年ぶり近所にできるパン屋を大歓迎し、行列をなして待っていたのである。
もちろん、出資者としての心配もあったろうが、僕は決してそれだけではない気持ちを強く感じた。
その証拠に、彼らが、ただパンを買うお客にとどまらず、
寺田くんが、レジでもたついていれば、率先してレジを手伝い、厨房に皿がたまれば、皿洗いまでしていたからだ。
パンが全部売れて、寺田くんがようやく食事をとるまで、帰らなかった人までいた。

そのお客と、寺田くんのパンを食べながらの会話がこれまた、面白かった。

「寺田くん、やっぱり出羽の食材を使ったパンを作らないと!」
「あの時、お会計をもっと早くしてあげないと!おばあちゃん、沢山パン買ってくれたのに、重たくてしんどそうだったよ!」
などなど、あれやこれや、寺田くんのお仕事ぶりに批評を始めたのだ。
こうしたやりとりが、数時間に及ぶこともあった。
寺田くんも、いつもの感じで、思うがままに口走っているのだが、
出羽地域のおばちゃん、おじちゃんは、そんなことにはお構いなし。
ノーガードの打ち合いとまではいかないが、お互いに結構本気な「パンチ」を打ち合っている。
時々ハラハラすることもあったが、僕にとってはこの空間はなんとも気持ち良かった。
まるで広島カープを親や仲間と応援する時のようだった。

広島カープの選手がエラーすると、テレビの前で僕はその選手をボロクソに言ってしまうことがある。
もちろんチャンスで打てない選手にもだ。
でもそれは当然憎いわけではなく、心底応援しているからこそだ。

寺田くんにとっては、出羽地域の人たちはまるで「広島カープァン」なんじゃないかと思う。
役場で僕の正面の席に座っている職員の三浦さんは、出羽自治会の役員もしている。
彼とは、朝いつも寺田くんの話で盛り上げる。
まるで、昨日の広島カープの試合を振り返るように。
僕が寺田くんを褒めると、三浦さんは、難しい顔をして首を傾けるが、
逆に僕が寺田くんを腐すと、真剣な眼差しで寺田くんをかばう。
「あんた、いったい寺田くんのこと、好きなん?嫌いなん?」と言いたくなるが、
実はまったく僕も三浦さんと同じで、別の誰かが寺田くんを悪く言うと、ついついかばってしまう。
もっと言えば、自分以外が寺田くんの悪口を言っていると本当に腹が立つ。
なぜなら、寺田くんの悪口を言っていいのは、本当は僕だけだから!(笑)


ある日の朝、いつも寺田のパンに辛口な三浦さんが、僕にこんなことを言ってきた。
「寺田くんのパン最近、すごく上手くなってきたんよ。俺はあの味、すきなんだよなー」と。
僕もそれは同感だった。
彼はパンを焼けば焼くほど、そしてみんなから言われればいわれるほど、ちゃんと上達してきているのだ。

オープンして3ヶ月したころには、立派なパン屋になってきたのである。
出羽地域の熱狂的なファンに支えられながら。

膨らまないパン屋は、実は「広島カープ」だったのだ。

そして、彼の名誉のために、最後に書いて置きたいことがある、
パンが膨らまなかったかの理由は、新しい器具に慣れていなかっただけで、
そこまで彼の腕がわるかったわけではない(らしい)と。(笑)

今や僕は完全に「寺田ファン」になっている。
もしかするとカープよりも好きかもしれない。なにせ彼は、もう町にとって、無くてはならない存在なんだから。

(続きは、来月の後編で。)

文責:島根県邑南町 寺本英仁


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