「いつか、自分のキャンプ場をつくりたい」。そう考えて家族と一緒に福島県田村市へ移住した橋本剛さん。一方、奥田航大さんが田村市へ来た理由は、「会社の看板ではなく、自分が看板になって仕事をしてみたい」と思ったことだった。

同じ田村市の地域おこし協力隊でも、やっていることはかなり違う。橋本さんは3年間の任期を終え、2026年8月に川内村で『Seserabi camp forest』をオープンしたばかり。奥田さんは現役の協力隊として、地域商社、商品開発、ブランディング、アート事業などに取り組んでいる。

一人は、好きだったキャンプを仕事にした。もう一人は、これまで培ってきた広告やデザインの経験を使いながら、地域の中で新しい仕事をつくろうとしている。共通しているのは、田村市に来て用意された仕事をこなすのではなく、ここで「自分の仕事」をつくろうとしていること。卒隊した人と、まだ任期の途中にいる人。2人の現在地を聞いた。

好きだったキャンプを、自分の仕事にするまで。

2026年8月1日、川内村に『Seserabi camp forest』がオープンした。運営するのは、田村市の起業型地域おこし協力隊を卒隊した橋本剛さん。お客さんがいる日は接客や施設の掃除、管理棟でのパソコン作業。いない日は、音の出る開拓作業を進めている。キャンプ場はオープンしたものの、まだ「完成」ではないらしい。
「まだまだ開拓途中です。今は開拓とマーケティング、両方に力を入れています」

自分のキャンプ場を持つ。その夢自体は叶った。ただ、そこにたどり着くまでのスケジュールは、橋本さんの想像とはだいぶ違っていた。

3年目には、もうオープンしている予定でした

協力隊に着任した頃、橋本さんは3年目にはキャンプ場をオープンさせるつもりだった。ところが、実際に土地が決まったのは着任から2年5か月後。工事が始まったのは2年8か月後。そして開業は、協力隊を卒隊して5か月が経った2026年8月だった。場所も、当初考えていた田村市ではなく隣の川内村になった。
「想定どおりには、全くいかなかったですね」
では、3年前の自分に今、何か言うとしたら? 少し気の利いたアドバイスでも返ってくるのかと思ったら、答えはかなりシンプルだった。
「特にないです。最善の選択をしてきたと思っています」
夢を追いかけて田村市へ来た人、と聞くと、勢いで人生を変えたようにも見える。でも橋本さんの話を聞いていると、むしろ逆だ。土地の条件、収入、家族との時間、開業までに必要な期間。夢の話なのに、考えていることはかなり現実的だった。

仕事で疲れていた頃、キャンプに出会った。

以前は埼玉県川口市で会社員をしていた。営業所の責任者としてチームをまとめ、厳しい目標数字と向き合う毎日だった。
「80%くらいまでは達成していました。でも、そのノルマは想像を絶するストレスとの闘いでもありました」

そんな頃、キャンプに出会った。自然の中でゆっくり過ごしていると、「本当の自分を取り戻せるような感覚」があったという。そこから、さまざまなキャンプ場を巡るようになった。特に気に入って何度も通ったのが、山梨県にあるキャンプ場。そこには橋本さんと同じようなリピーターが多かった。
「みんな、キャンプをして帰る頃には元気になっているんです。自分もそうでした。それを見て、自分も人の癒しになる場所を提供したいと思うようになりました」
疲れた自分を元気にしてくれた場所を、今度は自分がつくる側になりたい。それが、キャンプ場づくりの始まりだった。

キャンプ場をつくりたい。でも、土地がない。

問題は、どこにつくるのか。当時暮らしていた川口市は住宅も多く、近隣を含めてもキャンプ場にできるような土地は簡単には見つからない。そこで地方移住が選択肢に入った。その頃、息子さんが誕生したことも大きかったという。
「妻も地方移住には憧れがあって、子どもを田舎でのびのび育てたいという考えがありました」

とはいえ、移住してすぐキャンプ場がつくれるわけではない。橋本さんが考えるキャンプ場用地の条件は、なかなか多い。ある程度平坦で、車が入れる道がある。電気を引ける。十分な広さも必要。さらに、土地が見つかってからは、自分で造成作業を進めたいと思っていた。
「じゃあ地方でどこかに就職して、休みの日に土地を探すのか。でも、それだと家族との時間がなくなる。それも現実的じゃないなと思いました」

そんなときに知ったのが、起業型地域おこし協力隊だった。最長3年間、収入を得ながら起業に向けた準備ができる。橋本さんにとっては、「キャンプ場をつくる」という計画と生活を両立するための方法だった。当時募集していた地域を調べ、実家の川口市から遠すぎないこと、父親がいわき市出身だったこと、そして山林が多いことから田村市を選んだ。最初に田村市を訪れたときの印象は、「船引まで出れば買い物にも困らないし、住みやすそう」。そして3年以上暮らした今も、その印象はあまり変わっていない。

田村市ならではの魅力は、正直わかりません

田村市の魅力を聞くと、橋本さんは「四季がはっきりしていること。夏は比較的涼しいし、冬は寒いけど雪は少ない。首都圏へのアクセスもいいし、車があれば買い物も苦にならない。渋滞もない」と、いくつも挙げてくれた。

ただ、そのあとにこう続けた。
「でも、これって他の地域にもあると思うんですよね。僕は他の田舎に住んだことがないので、田村市ならではの魅力は正直わかりません」
移住者へのインタビューでは、なかなか珍しい答えかもしれない。でも、橋本さんはその代わりにはっきりと言う。
「僕にとっては、とても住みやすいです。移住したことに全く後悔がないし、大満足しています」
田村市を必要以上に特別な場所として語らない。そのほうが、かえって実感が伝わってくる。

移住前には、田舎ならではの近所付き合いにも不安があった。ところが、今暮らしている地域は「遠すぎず、近すぎず」。野菜をたくさんもらい、お返しを持っていくと、「お返しなんて本当にいらないから!」と言ってくれる。

息子さんの同級生が十数人と聞いたときも、最初は心配した。橋本さんも奥様も100人以上の同級生がいる環境で育ったため、想像がつかなかったからだ。実際に暮らしてみると、先生の目が行き届きやすいなど、少人数ならではの良さも見えてきた。もちろん、高校の選択肢や駅までの送迎など、この先の不安はある。良いところだけではなく、不便になりそうなことも含めて、「それでも住みやすい」と話す。

土地を探すのを、もう一度続けようと思えた。

3年間の協力隊活動で、特に大きかった出会いを聞くと、橋本さんは三輪忠仁さんの名前を挙げた。当時田村市復興応援隊だった三輪忠仁さんとの出会いをきっかけに、田村市の指定管理施設『ホップガーデンオートキャンプ場』の運営管理を任されることになった。そこで実際のキャンプ場運営を経験し、マネジメントやオペレーションを学んだ。
「そこで実績を積めたことが、補助金の採択や銀行融資にもつながりました。今のキャンプ場も、設備の設計からマネジメントまで、その経験が全部土台になっています」

三輪さんには、土地探しの面でも助けられた。田村市でなかなか土地が見つからず、キャンプ場づくり自体を諦めかけていた頃、「近隣地域に、こんな場所がありましたよ」と教えてくれた。結局、その場所で開業することにはならなかった。それでも実際に土地を見たことで、「理想の土地は、どこかにあるはず」と、もう一度探してみようと思えたという。そして現在のキャンプ場の土地にたどり着いた。地権者とのつながりも、人から人へと紹介を重ねた先に生まれたものだった。

キャンプ場づくりを進める中で、一番大変だったことは、土地探しだったと語る橋本さん。
その中でも家族の存在は大きな支えになっていたようだ。
「妻はどんな時も応援してくれて、後押ししてくれて、本当に感謝しかありません。」と語る橋本さん。そして、息子さんの笑顔を見ることで「自分の夢を叶えて、家族を幸せにする」という気持ちがより一層強くなり、大きな壁を乗り越えることができた。

キャンプ場で働く姿を、息子に見せたい。

『Seserabi camp forest』は、まだオープンしたばかり。今はまず、キャンプ場を軌道に乗せることで頭がいっぱいだという。多くの人に来てもらい、地域で買い物や食事をしてもらうことで、川内村の経済にもつながればと考えている。

そして、もう一つ。橋本さんが叶えたいことがある。
「僕が楽しみながら働いている姿を息子に見せたいんです。息子も、自分のやりたいことを見つけて、それに向かって行動する子になってくれたら、この上ない幸せです」

地域おこし協力隊だった3年間を、橋本さんは「人生を再スタートさせたような、かけがえのない時間」と表現する。ただし、これから協力隊を目指す人への言葉は、かなり現実的だ。
「僕の場合、起業型は事業を全部自分で決めていくものでした。結果を誰の責任にもできません。過度なサポートを期待すると、見当違いになると思います」
大切なのは、事前によく調べること。自分で調べ、自分で決めた一歩なら、その後の結果も自分で引き受けられる。

予定より時間がかかった。場所も変わった。それでも橋本さんは、「最善の選択をしてきた」と言う。そして今、ようやく自分のキャンプ場の営業が始まった。

「会社の看板」から離れて、自分が看板になる。

「会社員時代の仕事に、不満があったわけではないんです」
そう話す奥田航大さんは、現在、田村市地域おこし協力隊として地域商社やブランディング、アート事業に取り組んでいる。以前は、広告やデザインの仕事をしていた。会社員としての仕事には満足していた。それでも次第に、「会社の名前やコネクションで仕事をするよりも、自分の力で、自分が看板になって、お客さんと近い距離で仕事をしてみたい」と思うようになった。会社を離れたかった、というより、自分の名前で仕事をしてみたかった。その先にあったのが田村市だった。

田村市には「もっと知られていいもの」があった。

協力隊への応募を考える中で、奥田さんは何度か田村市を訪れた。目に留まったのは、地形を生かしてつくられる農産物や、それを使った加工品だった。
「もっとたくさんの人に知ってもらいたいものが、いろいろあるなと思いました」
商品そのものを売るだけではなく、その魅力を見つけ、伝え方を考え、必要とする人へ届ける。自分がこれまで経験してきた広告やデザインの仕事が、地域でも生かせるのではないか。そう考え、「この街で事業者の方と一緒に地域を盛り上げる地域商社と、街や産品の魅力をつくるブランディング事業をやりたい」と、田村市へ移住した。

現在、地域商社では田村市産の野菜や果物を使った商品開発、販路づくり、ブランディングなどを行っている。ただ、奥田さんが考える地域商社は、単に「田村市の商品を売る会社」ではない。
「商品から、田村市のストーリーや魅力を伝えることを意識しています。広告的な要素ですね。潜在的に眠っている魅力を引き出して、表現して、それを求めている場所へ届ける。それが一番大切だと考えています」
商品のパッケージや売り方だけではなく、「何を魅力として見せるか」から考える。広告の仕事をしてきた奥田さんらしい地域商社の捉え方だ。

「何もない」は、今も“余白”

移住したばかりの頃、地域の人から「何もないところによく来たね」と言われた。その「何もない」を、奥田さんは以前「余白」と表現していた。田村市で暮らし始めて約1年。今も、その感覚はあまり変わっていないという。
「精神的な余白は、今もあります。でも、お客さんや街に住む方との心の距離は近いんです。ほどよいつながりを感じながら暮らせています」
余白はある。でも孤立しているわけではない。その距離感が、奥田さんには合っているようだ。

まずは、自分を理解してもらうことから

一方で、自分の名前で地域に入り、仕事をする難しさも感じている。会社員時代なら、会社名や実績、これまでの取引先などが最初から名刺代わりになる。でも田村市では、ほとんどつながりのない状態から始まった。
「全くつながりがない場所で仕事をすること自体、場所を問わず難しいことだと思います」

それでも田村市には、新しいことを始める人を応援してくれる空気があるという。新商品をつくる。今までとは違う販路に挑戦する。0から1をつくるとき、多くの人が協力してくれた。ただし、「応援してくれる地域だから、すぐ何でもできる」という話でもない。奥田さんが大事にしているのは、急がないこと。
「まずはゆっくり時間をかけて関係をつくって、自分を理解してもらった上で挑戦することが大切だと感じました」
「自分が看板になりたい」と田村市へ来た。だからこそ、その看板を知ってもらうところから始める必要があった。

地方だからこそ、アートが際立つ。

奥田さんの活動には、もう一つ大きな軸がある。アートだ。現在はアート施設の再建などの「場づくり」に加え、アート教育や、アートを活用した観光といった「コトづくり」にも取り組んでいる。地方でアートをやる意味について聞くと、「都市部やデジタル上では、アウトプットが飽和していると思うんです」と奥田さん。毎日のように大量の作品や広告、コンテンツが流れてくる。その一方で、地方で生まれる創作やアウトプットは、地域の内外で目に留まりやすい。
「地方でやるからこそ、影響が大きくなる可能性があると思っています」

教育の面でも、アートやデザインには意味がある。
「ジャンルは何でもいいんですけど、自分の手でものやことをつくるという経験は大切だと思っています」
観光という面では、地域に新しい見どころをつくることもできる。今まで当たり前すぎて気づかなかったものを、「これは面白いかもしれない」と見直すきっかけにもなる。アートを飾ることそのものではなく、アートを使って何が起こるか。奥田さんはそこを見ている。

自分のエゴが先行しないように

任期が終わる頃、どんな状態になっていたいですか? そう尋ねると、「田村市の顔となる地域商社を確立することと、地域にアートやデザインが根付いている状態をつくりたいです」と答えた。目標は大きい。でも、そのあとには「まだ現状は程遠いので、コツコツ目の前のことから取り組んでいきたいです」と続ける。その進め方にも、奥田さんらしさがある。
「地域で仕事を進めるには、住んでいる方の協力なしでは進めることができません」

自分がやりたいことだけを押し通すのではなく、まず相手を知る。敬意を持つ。自分のことも知ってもらう。
「自分自身のエゴが先行せず、街に住む方と共創する意識が大事だと思っています」
自分が看板になる。でも、自分だけで仕事をつくるわけではない。田村市で1年仕事をしてきた今、奥田さんはその両方を実感している。

自分で決める。でも、自分だけではつくれない。

「自分のキャンプ場をつくる」と決めて田村市へ来た橋本さん。「自分が看板になって仕事をする」と決めて田村市へ来た奥田さん。やっていることも、任期の段階も違う。それでも、2人の話には共通するところがある。橋本さんは、誰かが夢を叶えてくれることを期待せず、自分で調べ、自分で決めることを大事にしている。奥田さんは、自分だけの考えで進めず、地域の人を知り、関係をつくりながら一緒に仕事をつくることを大事にしている。自分の仕事なのだから、自分で決める。でも、地域で仕事をする以上、自分だけではつくれない。

地域おこし協力隊という制度は、2人にとってゴールではなく、それぞれがやりたいことに近づくための時間なのだろう。橋本さんは3年間を終え、自分のキャンプ場を開いたばかり。奥田さんは、まだその3年間の途中にいる。2人とも、完成した姿を見せているわけではない。田村市で「自分の仕事」をつくる、その途中にいる。

PROFILE

橋本 剛さん

田村市起業型地域おこし協力隊の卒隊生。埼玉県川口市から家族で田村市へ移住。協力隊活動ではキャンプ場運営や起業準備に取り組み、2026年8月1日、川内村に『Seserabi camp forest』をオープン。現在もホップガーデンオートキャンプ場の運営管理に携わっている。
Instagram:https://www.instagram.com/seserabi_campforest

奥田 航大さん

田村市起業型地域おこし協力隊。広告・デザイン分野での経験を生かし、地域商社事業をはじめ、田村市産品の商品開発、販路構築、ブランディング、アートを活用した地域づくりなどに取り組んでいる。

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