少し怖いと思っていた場所が、地域の「守り神」に見えるまで。

みなさん、はじめまして。田村市地域おこし協力隊、そして第11期田村市観光キャンペーンクルーの谷口です。これまでは写真を撮ったり、取材したり、どちらかというと記事の向こう側にいることが多かったのですが、今回からは、僕自身が田村を歩いて、見て、聞いて、感じたことも交えながら、田村市の場所をご紹介していきます。

記念すべき最初の場所は、常葉町にある「磯前神社」。
実はここ、僕の大好きな場所のひとつです。
田村市に移住してから、訪れるのはこれで4回目か5回目。
なのに——。
社殿のあるところまで上がったのは、今回が初めてでした。

好きなのに、少し怖かった

磯前神社を初めて見たときのことは、よく覚えています。
深い杉林。その奥の岩壁に、張り付くように建っている木造の社殿。
「なんで、こんなところに?」
というのが最初の感想でした。

写真を撮るには、とにかく格好いい。鳥居と石段、その上にぽつんと見える社殿。晴れた日の木漏れ日もいいし、雪が積もった冬の姿もきっといい。
だから何度も足を運んでいました。

でも、不思議なことに、いつも下から眺めて写真を撮るだけ。
杉に囲まれて昼間でも薄暗く、人の気配もほとんどない。静かで、荘厳で、少しだけ「ここから先に入っていいのかな」と思わせる空気がありました。

好きな場所なのに、どこか近寄りがたい。
そんな場所だったのです。
今回、その印象を変えてくれたのが、磯前神社のすぐふもとで暮らす坪井さんでした。

「守り神だね」

取材の日、まず向かったのは坪井さんのお宅。
磯前神社について一通り話を聞いたあと、僕はこんな質問をしました。
「この地域の人たちにとって、磯前神社ってどんな場所なんですか?」
坪井さんから返ってきたのは、シンプルな言葉でした。
「守り神だね」

昔は、病気や飢饉、不作など、人の力だけではどうにもならないことが起きると、地域の人たちは磯前神社へ祈りに来たのだそうです。現在、磯前神社には大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が祀られています。

坪井さんから見せてもらった地域の資料にも、五穀が実らず、飢饉や悪疫に苦しんだ人々が社殿を建てて祈り、その後救われたという伝承が残されていました。「珍しい建物がある観光スポット」ではなく、ここで暮らしてきた人たちが、困ったときに手を合わせてきた場所。

そう聞いただけで、これまで見ていた磯前神社が、少し違って見えてきました。

「土」と「平」で、「坪」

坪井さんから聞いた話の中で、もうひとつ思わず身を乗り出したものがあります。磯前神社と、この地域に多い「坪井」という名字にまつわる話です。

地域に伝わる資料によると、磯前神社の始まりには、平家の落武者とされる土井荘之丞盛国という人物が関わっていると伝えられています。盛国は、現在のいわき市上遠野からこの地へ移り住み、神を祀ったとされます。そして、落人として身を隠すため、もともとの「土井」という名字を変えたのだとか。

坪井さんが教えてくれました。
「“土”と、平家の“平”を合わせると、“坪”になるんだよ」
土+平=坪。そこに「井」がついて「坪井」。
「え、そんな由来なんですか?」
思わず聞き返しました。歴史の真ん中にある名字が、何百年もたった今もこの土地に残っていて、その話を「坪井さん」から聞いている。

どこまでが史実で、どこからが長い時間の中で語り継がれてきた物語なのか。それでも、こうした話が今も地域の人の口から語られていること自体が、この神社と土地の結びつきの深さを感じさせます。

市の資料では、磯前神社は享保年間(1716~1736年)に勧請されたと伝えられています。現在の社殿は1894(明治27)年に再建されたものです。

話を聞いたあと、ひとりで山へ

坪井さんへの取材を終え、「じゃあ、写真を撮ってきます」と神社へ向かいました。今回は坪井さんと一緒に登る予定ではあったのですが、「上まで行くのはもう大変でね」とのこと。

というわけで、ここからはひとりです。神社と坪井さんのお宅の間にある砂利の駐車スペースに車を停めます。坪井さんによると、冬には雪景色の磯前神社を撮影するため、県外からやって来て、この辺りで朝を待つカメラマンもいるのだとか。

「今年、雪が降ったら僕も撮りに来ます」
そう言うと、
「おいで、おいで」
と笑ってくれました。
その約束は、たぶん果たすことになると思います。

鳥居をくぐると、空気が変わる

案内板に従って進むと、まず目に入るのが「上遠野薬師堂」。

その少し奥、杉の木々の中に磯前神社の鳥居が立っています。磯前神社の床下には石灰洞があり、崖を下った場所には上遠野薬師堂があることも、市の観光案内で紹介されています。

この日は9月とはいえ、まだ暑さの残る日。でも、鳥居をくぐって杉林の中へ入ると、肌に触れる空気が少し変わりました。

ひんやり、というより「しっとり」が近い。

高い杉が日差しを遮り、土と落ち葉と木の匂いがする。ところどころ木漏れ日が落ちていて、光が当たった草だけが妙に鮮やかな緑色に見えます。

カメラを持っていると、こういう光をつい追いかけてしまう。石段を上りながら、何度も立ち止まってシャッターを切りました。そして木々の間から、あの社殿が見えてきます。
「ああ、やっぱりすごいな、ここ」
何度見ても、この瞬間はちょっと声が出ます。

どうして、ここに建てたんだろう

磯前神社の社殿は、石灰岩の岩壁を利用するように建っています。現在の建物はほぼ方一間の入母屋造で、土台の三隅を自然石に架ける「懸造り」という建築。福島県内でも例の少ない形式で、2005(平成17)年には田村市指定有形文化財に指定されています。

写真で見るだけでも不思議なのですが、実物を目の前にすると、さらに不思議です。
柱の下は平らな土地ではありません。
巨大な岩。
その岩を避けるどころか、使うようにして建物が立っています。

坪井さんから見せてもらった資料には、かつての社殿について「飛騨の匠が一夜で造った」との伝承が残されていました。その社殿は1892(明治25)年に野火で焼失。その後、常葉だけでなく大越や滝根などの信者からも寄付が寄せられ、1894(明治27)年11月に現在の本殿が建てられたといいます。

下から見上げながら考えました。
前の社殿は、どんな姿だったのだろう。
そして、火事で失われたあと、なぜもう一度、同じようにこの岩の上へ建てようと思ったのだろう。
でも、「守り神」という坪井さんの言葉を思い出すと、少しだけ分かる気がしました。
地域の人たちにとっては、「なくなったから終わり」にできる場所ではなかったのかもしれません。

床下へ。急に、涼しい

磯前神社への参拝は、ちょっと変わっています。
社殿へ行くには、なんと床下をくぐります。
市の文化財紹介にも「急な石段を登り、社殿の床下をくぐり抜けて上る」とあります。公式サイトですら「ちょっとした冒険気分」と書いているくらいです。

床下へ向かう手前、大きな岩のそばに、小さな石の祠がありました。苔むした岩に囲まれ、ひっそりと置かれた祠。中を覗くと、誰かがお供えした硬貨がいくつか見えます。

ここで僕は、ひとつ気づきました。
「あ、小銭持ってない……」
取材と撮影のことばかり考えていて、お財布は車の中。
「次に来るときはちゃんと持ってこよう」
そう思いながら、祠に一礼して、その先へ進みます。

大きな岩のそばにひっそりと置かれた、小さな石の祠。

これまで4、5回ここを訪れている僕も、床下へ入るのは今回が初めて。
身体を少しかがめ、柱と岩の間へ入っていきます。

社殿の床下。巨大な岩の間に柱が立ち、昼間でもかなり暗い。

すると——。
一気に涼しくなりました。

杉林の中の涼しさとは、また違います。
湿度も、匂いも変わる。

岩と土の湿った匂い。
少しカビっぽいような、洞窟特有の匂い。
そして奥から、冷たい空気がすーっと流れてきます。

「あ、ここか」
坪井さんから聞いていた洞窟です。
社殿の床下、岩壁の奥には洞窟があります。市の観光案内でも、床下の石灰洞について触れられています。

暗い穴の中を覗こうとした、その瞬間。
目の前にぶら下がっていた黒いものが、
バサッ。
と、洞窟の奥へ飛んでいきました。

「……ほんまにコウモリおるやん」
ひとりなのに、普通に声が出ました。

大きさも、思っていたよりある。坪井さんたちから「コウモリがいるよ」と聞いてはいたのですが、本当に目の前から飛んでいくとは。

昔、この地域の子どもたちは、松明を持ってこの洞窟の中を探検していたそうです。
その話を聞いたときは、
「昔の子ども、強すぎません?」
と思いましたが、実際に入り口に立ってみて、その感想はさらに強くなりました。

僕もスマートフォンのライトで奥を照らしてみました。
でも、その先は暗闇。
光を向けても、どこまで続いているのか分かりません。

「これはスマホのライトで入るところじゃないな……」
さすがにこの日は、中へは入りませんでした。

床下から外を振り返る。暗闇の向こうに、杉林の光が差し込む。ちなみに、この洞窟へ立ち入る場合は、地域の管理者への確認が必要とのこと。昔の子どもたちにならって、勢いだけで探検するのはやめましょう。コウモリに嚙まれて吸血鬼になっても知りませんからね。

さて、冗談はこれくらいにして、床下を抜けると、その先にはさらに石段が続いています。

そしてここから、僕にとって4、5回目にして初めて見る磯前神社の景色へ向かいます。

4、5回目にして、初めて見た景色

床下を抜けると、その先には岩の間を縫うように石段が続いています。そこをさらに上っていくと、ようやく社殿と同じ高さまでたどり着きました。岩壁すれすれに建つ社殿。すぐ隣には巨大な岩が迫ります。

木の床へ足を乗せると、ぎし、と小さく音がしました。すぐ隣には、社殿よりもずっと昔からここにあったであろう大きな岩。下から何度も見てきた建物なのに、同じ高さまで上がってみると、また印象が違います。

「よく、ここに建ってるな……」
思わず、もう一度つぶやきました。

磯前神社を訪れるのは、これで4回目か5回目。でも、ここから下を見るのは初めてです。社殿の高さから見下ろした石段。下から見上げるのとは、まったく違う高さを感じます。

石段のずっと下に、さっきくぐった鳥居が見える。その先には上遠野薬師堂の屋根。杉の木々の隙間からは、集落や田んぼ、その向こうの空も少しだけ覗いていました。

杉の木々の向こうに見える上遠野薬師堂と、早稲川上遠野の集落。

不思議なのは、下から見上げているときよりも、上から見下ろしたときのほうが、この社殿がどれだけ高い場所に建っているのかを実感したこと。さっきまでいた場所が、ずいぶん遠くに見えます。

そして、ようやくお参りです。社殿の前には、鈴と長い綱が下がっています。

ただ、ここで思い出しました。
そうだった。
小銭、持ってないんだった。

床下へ入る前の石の祠で気づいていたのに、改めてちょっと申し訳ない気持ちになる僕。鈴を鳴らして、手を合わせます。
「今日は取材でお邪魔しました。失礼します」
そんなことを、心の中で唱えました。

これまで何度も写真を撮りに来ていた場所なのに、ちゃんとここまで上がって、手を合わせたのは初めて。磯前神社との距離が、少しだけ近くなった気がしました。

昔は、子どもたちの遊び場だった

この荘厳な場所が「子どもの遊び場だった」と聞いたのも意外でした。坪井さんが子どもの頃、地域の子どもたちは磯前神社へ遊びに来ていたそうです。

さらに、震災前には、姉妹都市である東京都中野区との交流で訪れた子どもたちを地域の家庭で受け入れ、農業体験をしたあと、磯前神社へ連れて来ることもあったといいます。

たくさんの子どもたちがやって来て、洞窟を探検する。僕がこれまで「ちょっと怖い」と感じていたあの杉林に、子どもたちの声が響いていた時代があった。想像すると、また景色が変わります。

現在も地域との関わりがなくなったわけではありません。坪井さんによると、毎年5月3日には地域の人たちが集まり、神社で祭りが行われています。昔は出店もあり、子どもたちがたくさん集まるにぎやかな日だったそう。今はかつてほど大きなものではないものの、地域の人が神社へ足を運ぶ日は今も続いています。

また、年に数回、地域の皆さんで周辺の草刈りや伸びた木々の手入れも行っているとのこと。人の気配がないように見えて、実はずっと、人の手が入っている。この場所が百年以上残っているのは、建物が丈夫だったからだけではありません。

有名になることと、大切に訪れること

最近は、SNSや写真を見て磯前神社を知り、県外から訪れる人も増えているそうです。坪井さんの家の前を、他県ナンバーの車が通っていくことも珍しくない。マイクロバスで訪れる人もいるといいます。写真を撮る側の人間としては、この場所を「撮りたい」と思う気持ちはものすごく分かります。特に雪の日なんて、絶対に格好いい。

ただ、人が増えれば、それだけでは済まないこともあります。坪井さんは、神社の周辺ではなく、少し離れた道路沿いの藪などに、ごみを捨てていく人がいることも話してくれました。せっかく遠くから訪れるなら、この場所が「写真映えする珍しい神社」である前に、今も地域の人たちが大切にしている守り神であることを、ほんの少しだけ知っておいてほしい。

僕自身、今回それを知ってから登ったことで、歩き方まで少し変わった気がします。

「一回じゃなく、何回も来てほしい」

坪井さんに最後、聞いてみました。
「初めて磯前神社へ来る人に、何か伝えるとしたら?」
少し考えて返ってきたのは、
「一回だけじゃなくて、何回も来てほしいな」
という言葉でした。

春の新緑。
夏の深い緑。
紅葉。
そして、雪。
季節が変われば、この杉林の光も、岩の色も、社殿の表情も変わるはずです。

そういえば僕も、これで4回目か5回目。それでも今回、初めて床下をくぐり、初めて上まで登り、初めて見た景色がたくさんありました。磯前神社は、一度来ただけでは分からない場所なのかもしれません。

「怖い場所」から、「また来たい場所」へ

石段を下り、再び鳥居をくぐる。
杉林を抜けた瞬間、外の暑さが戻ってきました。

ほんの少し前まで、僕は磯前神社を「好きだけれど、少し近寄りがたい場所」だと思っていました。
でも今は違います。

病気や不作のときに手を合わせた人。
火事で社殿を失い、寄付を出し合って再建した人。
ここで遊んだ子どもたち。
毎年草を刈り、木を手入れする人。
そして今も、「守り神」と呼ぶ人。

あの静かな杉林の中には、人の気配がないのではなく、長い時間をかけて積み重なった、人の気配がたくさん残っていたのだと思います。

だから、次は雪の日に来てみよう。
今度はちゃんと、小銭も持って。

杉林に差し込む光。次に来るときは、また違う表情を見せてくれるはず。

 

田村市地域振興型地域おこし協力隊 谷口恭平

三重県出身。大阪府から福島県田村市へ家族で移住し、現在は地域おこし協力隊として移住相談員を務める。カメラを片手に田村市を巡り、Instagramでは地域の風景や暮らし、人の魅力を日々発信している。
Instagram:@kyo_mo_tamurabiyori

 


 

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