「地域のキーマンに聞く「新しいニッポン」への道筋」、第三回は、株式会社パソナグループ 南部靖之代表です。
「地方創生」の始まりとも言える事業を起こした背景、それはとてもシンプルなものでした。
1本めの記事はこちら
何が淡路島への移転を決断させたのか?(1)〜株式会社パソナグループ 南部靖之代表〜【地域のキーマンに聞く「新しいニッポン」への道筋】
1)「地方創生」にここまで力を注ぐワケ
倉重:御社は2003年頃から、いわゆる地方創生という言葉が世の中に出てくるずっと前から、地方でいろんな活動をされています。なぜここまで南部代表は地方創生に注力されてらっしゃるんですか?
南部:社会にあるその時その時の問題に対して、それを解決したいと思って動いた結果として、地方創生につながっただけなんです。
倉重:結果的にですか?
南部:そもそもパソナの企業理念は「社会の問題点を解決する」。社会課題解決自体が、ビジネスなんですよ。
倉重:はい。
南部:問題点といっても、社会状況によって様々なものが発生しますよね。その問題をそれぞれ解決したいと考えていったら、地方創生につながったんです。
倉重:そうなんですか….。
南部:私は2001年~2002年頃、ずっと日本中を行脚していまして。2年間くらいあちこちを回ったんです。
倉重:ほおお。
南部:商工会議所、大学、それから地方のいろんなところで話を聞きました。そこで出てきたのがフリーターやニート、そして団塊の世代の定年退職者の問題。農業の就業者数が足りないという話もありました。
倉重:うんうんうん。
南部:そんなときに、ご縁のあった秋田県の大潟村で2003年に農業インターンシップを始めたんです。60名くらいを派遣しました。それが地方創生のはじまり。
倉重:そうなんですね!そのお話をうかがって思い出しましたが、そもそも最初に南部代表がこの会社を学生時代に起業されたきっかけも、なかなか活躍できない主婦の方の再就職支援だったとうかがいました。ある意味、本当に活躍の場がなくて困ってる人たちとか、ちょっと意気消沈しちゃってる人たちにどんどん場を与えて背中を押してみたいなことを、一貫してやってこられたっていう感じなんですね。
南部:そうですね。今は東京一極集中の問題、あるいは衰退していく地方の問題をなんとかしなきゃならないと言われていますよね。社会課題は年代によってさまざまですが、人が活躍する場を創るという意味でも、今は「地方創生」というテーマで取り組むことが本当に重要だと思っています。
2)「素直に動くこと」が全ての始まり
倉重:南部代表の場合は、会社を起こすというよりも産業自体を興されています。今までに全く存在しなかった事業が、今の会社(パソナ)の事業の始まりだったと思うのですが…。
南部:そうかもしれませんね。最初の事業を始めた頃は、まだ「派遣」という言葉もありませんでした。今は派遣法という法律もできたし、男女機会均等法だとか、女性活躍推進法、一億総活躍推進法などなど、いろんな仕組みができてきていると思います。女性の再就職を応援したいと思って始めた事業が、大きな産業にまでなってきているのは確かですね。
倉重:後からそれがついてきてる感じですよね。「地方創生」も、南部代表にとってはもしかしたら同じようなものだったのかなと、ちょっと思ったんです。もうすでに何年かやられてた後に、そういう世の中の動きがついてきて、言葉ができて、それが産業になったりとか社会の基礎部分になったりとか、本当に先鞭の付け方というか、何ですかね、先見の明というか、何というか、そういう兆しはどうやってつかんでこられたのでしょうか?
南部:やはり、そのときそのときの社会の問題点に対して、私は素直に「こういうものがあればいい」とか「こうしなければならない」とか、それを自分のミッション、使命として行動に移しただけなんですよ。
倉重:素直に行動に移しただけ…ですか。
南部:実は、兵庫県知事に書いた手紙がここにあるんですよ。
1995年の阪神淡路大震災のとき、私は当時の貝原知事にね、こういう制度が復興に役立つとか、これから日本は災害が増えるだろうから復興庁をつくるように政府にかけ合いましょうとか、起業家を育てて復興のシンボルにしましょうとか….、そういうことを並べた手紙を書いたんです。
倉重:へえ!!
南部:実はそのことを貝原知事が回顧録に綴られていたことを先日知りました。亡くなられてしばらく経ったあと、知事の書斎の机からその手紙が出てきたそうなんですよ。
倉重:起業家、ベンチャーというところまで含められてるところがすごいですね。まるで東日本大震災の後に議論されたことのようですね。それをそんなに早く…すごいです。当時の知事も、相当勇気づけられたんでしょうね…。南部:私はいつもそれをこうして直筆で書いて、自分の気持ちを伝えるんです。ばんばん書くんですよ(笑)。
倉重:そうなんですね。こうだ!っと思われたら、本当に素直に思ったままに行動されるんですね。すごい…。
南部:社員の結婚式にも手紙を贈ります。こういうのはやっぱりリモートでは伝わらないから(笑)。
倉重:それはそうですね。eメールなんかじゃ、ぜんぜんできないですね(笑)。
3)父の教えからつながった、社会への向き合い方とパソナの創業精神
南部:世の中の問題を素直にとらえて、それを少しでもよくすることをやれというのは、実は私が親父から教わったことなんです。
倉重:そうなんですか!
南部:女性の再就職を応援したいという話を親父にしたら、それをボランティアじゃなくて株式会社でやれと。ボランティアだとお金をくださいと言ってもらった範囲でしか活動できない。自分でやりたいことは、会社を作ってビジネスでお金を稼いでこそできるんだと。学生時代にそう言われました。
倉重:今でこそ「社会起業家」の時代と言われますが、その先駆けでもあったんですね。
南部:いまだに「社会の問題点を解決する」というパソナの理念が、ボランティアみたいだと言われたりしますけどね。
倉重:そうなんですね…。
南部:創業時もそうですが、上場するときもそれをみんなに話しました。そういう意味でもやはり、企業は「ベストセラーで」はなく「ロングセラー」であるべきだと思います。倉重:ビジネスにするターゲットっていうのは本当にいろいろあると思うんですけど、南部代表がやってこられたことって、言ってみれば、人の気持ちを対象にした事業だと思うんです。人の気持ちを奮い立たせてやる気にさせることそのものをビジネスにされたというか。これってある意味、一番難しい話ではないですか?
南部:難しいんですが、本来それが一番大切で、世の中のあるべき姿かもしれませんよね。ただみんな、思っていてもなかなかできなかったりして、それを行動に移すのは難しい。
倉重:でもお父様はそれを事業でやれとおっしゃった。
南部:私は最初、「あかん、できん」と思いました。
倉重:ははは。
南部:そうしたと親父がね、萩に行けと。萩に行って吉田松陰の墓参りをしてこい、と言ったんですよ。南部家の墓参りもあんまりしないのに(笑)、何で吉田松陰なんて。でも言われたので、行ったんですよね。行ってね、これだ!と思ったんですよ。
倉重:何があったんですか?
南部:壁にかけてあった掛け軸に、陽明学の教えの言葉で「知行合一」というのがありました。
倉重:「知行合一」?
南部:知識をつけることは行動することのはじまりであり、行動することは付けた知識を完成させることである。行わなければ知っているとは言えない。知っていても行わなければ、まだ知らないと同じである。知って行ってこそ、本当の知恵、真智である。こう書いてあるわけです。
倉重:なるほど〜。
南部:よし、これだと。そして帰ってきてすぐに行動に移したんです。親父、叔父、先輩や友達から360万円集めて、会社を起こしました。卒業わずか一ヶ月前でした。
倉重:….すごいですね。でもそこまでの感受性というか、感性を持って、出会った言葉に反応できる人と、そうでない人がいますからね…。
南部:その当時の私にはもちろん成功するかどうかもわからないし、現に大学の先生は、先輩が就職している福利厚生の良い大会社に行けと言ってました(笑)。でも、私は親父のほうを信じた。親父は先生とまったく逆のことを言ったんです。苦労せいと。親父を信じてよかったですね(笑)。
次回は、南部代表ならではの、社員への思い、そしてこれからあるべき働き方についてうかがいます。本社移転の本当の理由もより深く語っていただきました。
3本目の記事はこちら
何が淡路島への移転を決断させたのか?(3)〜株式会社パソナグループ 南部靖之代表〜【地域のキーマンに聞く「新しいニッポン」への道筋】
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南部 靖之(なんぶ やすゆき)
兵庫県 神戸市 出身。1976年2月、「家庭の主婦の再就職を応援したい」という思いから、
大学卒業の1ヶ月前に起業、人材派遣システムをスタート。以来“雇用創造”をミッションとし、新たな就労や雇用のあり方を社会に提案、 そのための雇用インフラを構築し続けている。
【インタビュアー】ネイティブ株式会社 代表取締役 倉重 宜弘(くらしげ よしひろ)
金融系シンクタンクを経て、2000年よりデジタルマーケティング専門のベンチャーに創業期から参画。大手企業のネット戦略、Webプロデュースなどに数多く携わる。2012年に北海道の地域観光メディアを立ち上げたのをきっかけに、2013年「沖縄CLIP」、2014年「瀬戸内Finder」を手がける。2016年3月、地域マーケティング専門企業「ネイティブ株式会社」を起業し独立。